優しいから少しこわくて
「どうした、名前。来ないのか」
前を歩く優をぼうっと見つめていたら、彼が振り返って少し笑った。手を差し伸べられたので、何の抵抗もなくその手を握る。優の髪も目も日本人からしたら不思議な色をしているし、さすがハーフだなと思わされることは多い。特に顔立ちがきれいだ。野球だけをさせるには勿体ない。私は、彼が野球をしているのを見たことがない。彼を好きだと、思ったことなど一度もない。
「少し痩せたな。ちゃんと食事をとっているのか」
「食べてるよ」
「あまり心配をさせるなよ」
優はそう言って笑いながらも私の手を握る手の力を強めた。優は優しい。彼に告白されたのは一年以上前のことだが、付き合い始めたのは半年前だった。正直誰でもよかった。たいていの男子は振ればそれっきりだったけど、優は何度も私に告白したので、断り続けるのも悪いと同情半分に付き合い始めたのだ。
「肩はどうなの?選手として復帰は、できそうなの」
「ああ、だいぶ良くなったよ…珍しいな、名前が野球絡みの質問をするなんて」
「なんでよ、これくらいするよ」
珍しい、と言われて心外だった。でも否定はできないのも確かだった。いままで優に野球について聞くことも、話すこともほとんどなかった。私はいつも優を野球とは切り離して見ていた。彼がかつて優秀なキャッチャーでチームの期待を一身に背負っていただとか、そのせいで肩を壊して療養中だとか、そんなことは私にとってはどうでも良かったから。滝川クリス優、一人の人間としての彼しかいらないのだ。
「今日はちゃんと手を握り返してくれるし、なんだか様子が変だな」
「なにそれ」
「名前は、いつまでたっても掴めない」
優がどこか遠くを見つめながら言った。彼の切なそうな顔。いつも一緒にいると、何度かさせてしまう見慣れた顔だ。でも、胸を痛めているのは貴方だけじゃないと、そう気づいてほしいといつも願っていた。貴方が私を掴めないのではない、私が貴方に掴まりたくない理由を、理解していないだけなのに。
「名前は、俺を好きと思ったことはないのだろうな」
「…どうして、時々そんなことを言うの」
「いつもそう思っているからな」
優は優しい。どうしてそんな優が私を好きなのかは理解できない。そして私が優を理解できないように、優も私を理解できないのだろう。優はいつか私から離れていく。これは間違いなかった。優は卒業してすぐにでもアメリカに渡るだろう。野球のために、私の前から消える。そしてそれっきり、私たちは会わないと思う。失うのが怖い。失いたくないなら、始めから手中に入れなければいい、単純な話だ。
「名前、好きだ」
「知ってるよ」
「いつもお前の気持ちは言ってくれないんだな」
「うん」
「まあ、別にいい」
彼を好きと思ったことは一度もない。でも愛おしいと、失いたくないと思ったことはいくらでもある。もう手遅れなのかもしれない。優は私を「いつまでたっても掴めない」と言うけれど、貴方が知らないだけで私はとっくに貴方の手中にいるのだ。失いたくないと願っている時点で、貴方は私のもので、もう抗えないのだ。あまりに貴方は優しくて、愛おしくて、私は怯えるしかない。私が野球を好きになれないのが、揺るぎない証拠としていつも突き付けられるのだ。
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最悪さまに提出です。
ありがとうございました。
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