ビリッと嫌な音がして俺は反射的に「えっ」と母音に濁点がつきそうな声が口から零れた。見れば制服のズボンに穴が開いている。顔から血の気がひくとはこういうことを言うのだろう。「えーッ」と叫びたくなるのを堪えて注意深く顔を近づけてみると、椅子から釘の先端のようなものが少し飛び出していて、それがどうやら原因らしかった。太ももの脇あたりに五センチほどの穴が開いた。大きさだけ聞くとそれほど大きくないと思う人もいるかもしれないけど、実際そうなってみると結構つらい。意外と大きい。そこを冷たい風がひゅうひゅう通り抜けるし、結構わかりやすい。ああ、どうしようどうしようと考えたがもうすぐ部活が始まってしまうしツッキーに怒られても嫌だから俺は気にしないことにして教室から部室へと駆けて行った。太ももが見えてしまっていると思うと恥ずかしい。



「おい山口、ズボンに穴あいてんぞ」

「知ってるよ…」

「ほったらかしてんの…みっともないからやめなよ」

「ごめんツッキー…って、これ今日あいた穴だからほったらかしてるわけじゃないって!」



部活が終わった部室で日向に指摘された。やっぱり意外と目立つみたいだ。ツッキーから軽蔑するような視線を受けたが、それは誤解である。「あらら…けっこう派手に破れちゃってるね」と困ったような笑い方をする菅原さんと、「お前たしかに新しい制服買えないくらい貧乏そうにも見えるよな!」とカカカと大声で笑う田中さんに挟まれて俺は赤面するしかなかった。ああ、俺は何も悪くないのになんでこんなに恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだろう…。結局その日はジャージで家に帰ったはいいのだが、部活で疲れて風呂に入った後にはすぐに寝てしまい母親に縫ってとも新しいものを買ってとも言えずに朝が来てしまった。まずい。朝練があるからジャージで登校してもいいけど朝礼は制服じゃないといけない。馬鹿だ、一日あったのに馬鹿だ…と頭を抱えながら破れたズボンをはいて朝礼に出る。でもまあ、そんなに大した不幸じゃないと自分に言い聞かせながら朝礼が終わる鐘を聞きつつ欠伸をしたら、ふとある女の子と目が合った。しかし彼女の視線はそのあとずぐに俺の脚に向けられていた。彼女は席を立った拍子に目に入ってしまったんだろう、俺のズボンにあく穴が、そして不幸にもクラスでかわいいと評判の名字名前さんだなんて、そんなことあってたまるか。俺は心の中で「最悪だッ」と叫んで目の前が真っ白になるような錯覚に陥っていた。「山口くん」と呼ばれて俺は動揺して吹っ飛びそうになる脳内回路をどうにか保って返事した。



「ズボン、脱いで」

「え、え!?」

「ご、ごめん変な意味じゃなくて…!その穴縫ってあげようか?」



いきなり発せられた彼女の言葉の意味が全くわからなかったが、そういう意味かと俺はなぜかものすごく安心していた。縫ってあげようか、って、別に名字さんは手芸部でもなかったし、縫えるのかな。そんな疑問が浮かびつつも俺は教室の端でズボンを体育着にはきかえて、ズボンを彼女に手渡した。断じて俺は変態とかそういうわけじゃないけど、好きな女の子に自分のズボンを手渡すのは少なからず緊張した。俺のズボンを受け取った彼女は裁縫キットを取り出して真剣な顔つきでちくちくと穴を縫い上げた。あっという間で俺は思わず目惚れていた。すごい、彼女ってこんなに家庭的な面もあったんだなんて思っていると、彼女がにこやかにズボンを返してくれた。自分で触って見てみたが、ほとんど縫ったのかわからないくらい綺麗だ。俺は思わず感動のままに「ありがとう!」と力強く言うと、彼女も嬉しそうに「いえいえ」と笑っていた。かわいいなあ、と思ったのが思わず口から出そうになってしまって慌てて口をつぐんだ。



「名字さんすごいね。本当すごいよ」

「そうかな…山口くんの助けになれたんだったらよかった」



彼女が照れ臭そうに、でも嬉しそうに笑うので、俺の心臓のばくばくはなかなか収まってくれなかった。彼女の繊細そうな指先や真剣な瞳や小さく揺れるまつ毛なんかも思い出すだけでどきどきしてしまう。部活に行くと日向に「あれ、破れたとこ直ってんじゃん!」と驚かれ、「お母さんに縫ってもらったの?」と菅原さんが聞き、「すげえ、わっかんねーなこれ」と田中さんに感心された。俺は気持ちがほくほくしながら笑っていたら、ツッキーに「なに上機嫌になってるの」と冷めた口調で言われたが、それでも俺の胸の躍る気持ちは抑えられなかった。その半年後に「名字ってずっとお前のこと好きだったらしいぜ」ってクラスの男子に言われるまで、俺は彼女のあの可愛らしい笑みの理由を知る由もなかったんだけど。

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