「ねえ!見て!見て降谷くん!」
野球部のマネージャーでクラスメートの苗字が僕の前に立ちはだかる。手にはユニフォームが握られていた。というのも、夏の大会のベンチ入りメンバーに背番号を渡した際、マネージャーにもユニフォームが渡されたのだ。藤原先輩は涙ぐんでいたが、苗字は目をきらきらさせて、今にもヨダレをたらしそうな顔をしていた。
「すごい…嬉しすぎて、天まで昇れそうだよ」
「よかったね」
「どう似合う?似合う?」
「うん…」
「反応微妙ですねもういいです」
苗字はユニフォームを自分にあてがって楽しそうに喋っている。笑ったり喜んだり拗ねたり、本当に忙しい人だ。さっきも先輩たちに自慢しに行ってたし(自慢も何も選手はみんな着てるし)(キャプテンはいいじゃないかって大真面目に返してあげてた)(御幸先輩は言うまでもなく貶していたけど)、相当嬉しいみたいだった。
「もう、監督ってば本当いい人!ただのグラサンおじさんじゃなかった!」
「監督に聞かれるよ」
「う、危ない…沢村の二の舞になるところだった…」
「嬉しいのはわかったから前向いて歩いて…転ぶよ」
いつまでも僕の顔を見ながらにこにこと笑いながら後ろ向きで歩く苗字に忠告した次の瞬間、何かに躓いたのか苗字が後ろに倒れそうになった。とっさに腕を伸ばして彼女の腕を掴んでいた。「ほら、だから言った」という言葉が口を突いたけど、彼女を強く引き寄せた勢いで苗字が僕の胸にぶつかった。抱き留める形になって、頭が一瞬真っ白になる。
「う、わ、ごめん」
「いやいいけど…」
苗字が慌てて僕から離れた。頬は赤くなってて、焦っているのが明らかだった。一方僕は苗字の腕の細さとか髪からふわりとした匂いとか一瞬僕を見上げた彼女の瞳とか、そんなのが渦巻いてどうしていいかわからなくなっていた。二人の間に気まずい空気が流れると背後から声が聞こえた。
「え、ちょ…苗字と降谷って…!まさかー!」
「怪物くんはお盛んだねえ」
「おいこら苗字!もらったユニフォーム大事にしろや!」
沢村が大きな声で叫んで、御幸先輩は冷やかすように口の端をあげて笑っていた。「ち、ちが」と否定しようとした苗字は、転びそうになった拍子に落としたユニフォームを踏んでしまっていたらしく、伊佐敷先輩に怒られていた。必死に謝る苗字と、ちらと目が合った。彼女は顔を真っ赤にして目をそらした。ユニフォームを拾い上げてはたくので、僕が「手伝うよ」と声をかけると、彼女は赤い顔のまま「ありがと」と言って少しはにかんだ。
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