昔っからあいつの事が嫌いだった。私の人生には物心がついた時から常に緑間真太郎がいた。幼稚園の記憶は曖昧だけど、やつがいた事だけは覚えてる。そして小学校にあがると、ちらほらヤツといた記憶は増えてくる。バスケを始めたと聞いた時に、いや普通やるなら野球かサッカーか、ブレても水泳だろうと考えた記憶はなぜか鮮明だ。中学に行くとバスケの強豪校なだけあって彼の生活はバスケバスケバスケ、そしてバスケだったように思う。彼がかなり上手いだとかそういう話は小耳に挟んだことは何度もあったが、気にしたことがなかった。バスケにも、緑間真太郎にも興味がなかったのだ。高校は別の学校に進み、顔を合わせることがめっきり減ったが、彼が全国クラスで活躍しているのは、知っている。



「だからお前はだめなのだよ」



もう何度言われたかわからない、彼がよく私にかけた言葉。私は思い出すだけでどんよりと心に黒いもやもやが出来るほど、それが嫌だった。私と緑間真太郎は世間一般で言う「幼馴染み」であるが、小さい時から一緒にいるが故の深い友情や愛情とは程遠い関係だ。よく男女の幼なじみというと、友達以上恋人未満の関係できゃぴきゃぴ可愛いことをしている世間が持っている淡い色の幻想など、私たちの間にはない。親同士の仲がいいから、小さい頃は一緒にいることが多かった、気がする。でも大きくなるにつれ、自分で友達を選ぶことを覚えてからは彼との距離は開いた。



「関係ないじゃん、ほっといてよ」



それが決まって私の返事だった。大嫌いな数学のテストで二十点を取っても、運動会の徒競走で転んで膝から血を流しても、大事なスピーチコンテストでブレザーを忘れても、いつも決まってヤツはわざわざ私の所まで来て「だからお前はだめなのだよ」と決まって言った、なんて性格の悪いヤツ。あいつはいつもスマートで完璧で、私にとったら目の上のたんこぶで鬱陶しくてたまらなかった。



「名前」

「…うわ」



そんなヤツとまさか駅で遭遇するとは思わずに、思わず本音が口から出た。見慣れないジャージを着ていて、へえ、それが高校のジャージなのね、と冷静に考えていた。あんまり色の趣味は良くない。ヤツは真顔で近づいて来て、私を見下ろした。相変わらずでかい。いつからこんなに身長がにょきにょき伸び始めたんだっけ、こんなにもまあ気持ち悪く。と、私はずっと心の中でぶつぶつ呟いているので実質は黙ったままだ。



「ずいぶんと久しぶりだな」

「まあ、そうね」

「まったく、相変わらずなのだよ」

「何がよ」



流れで二人で並んで歩き出した。私は自転車で帰るが、ヤツは歩きだ。駅の前に停めてある自転車の鍵を外す間も、ヤツは大人しく待っていた。なんだか気味が悪い。ヤツが私をどう思ってるか知らないが、そんな好感情はないように思うのだけど。仕方なく私は自転車を押すことにした。こうして二人で帰るのは何年ぶりだろうか。



「バスケ」

「バスケ?」

「忙しいのかって」

「ああ、まあそうだな」



話すことなど、それくらいしかない。だいたい何を話せと言うのだ。この完璧さを併せ持つ変人と、この風水野郎と何を話せと言うのだ。(風水じゃなくて占いだったか、もう何だか忘れたが。)相変わらずの落ち着きを払った声になんだか腹が立つ。



「相変わらずの負け無しですか?エリート緑間真太郎の常勝街道まっしぐら〜って感じ」

「負けた」

「え?」

「今日、負けたと言っているのだよ」



茶化してやろうと思った矢先、私が全て言い終わる前に発せられたヤツの言葉に耳を疑った。表情はやっぱりいつもの顔だったけど、なんとなく空気で、死ぬほど悔しいのだと、そう私でも感じた。そんなヤツを見たのは、生まれてこの方初めてだった。ヤツが、負けた。勝ちにこだわり続け、また、ずっと勝ち続けていた、この男が。



大嫌いな数学のテストで二十点を取った時、帰り際に鞄の中を見ると几帳面にまとめられたヤツのノートが入っていた。運動会の徒競走で転んで膝から血を流した時、大したことないのに無理やりヤツにおんぶされて保健室に連れて行かれた。大事なスピーチコンテストでブレザーを忘れた時、ヤツは自分のブレザーを押しつけてきて私は結局ぶかぶかなブレザーを着て発表した。



「だからあんたはだめなのだよ」



私はそう言って自転車に跨がった。私の言葉に奴が目を見開く。「だからお前はだめなのだよ」ヤツのその言葉は、いつも私を敗北感の、劣等感の渦に突き落とした、でも、いつもヤツの手が差し伸べられていた。



「でも、あんたはもっと強くなれる。次は絶対に勝てばいい。頑張れ、真太郎!」



そう叫んで全力でペダルを踏んだ。自転車はどんどん加速する。最後にヤツの笑った顔が見えて、自分の言葉が恥ずかしくて、熱を帯びてくる頬を冷たい向かい風が撫でていく。

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