「…今、なんて?」
「…」
有り得へん…いや、有ってはならん言葉が聞こえた気がして、思わず聞き返した。
返事もせず、新しく火をつけた煙草を吹かすオサムちゃんに、それが聞き間違いではない事がわかった。
「なんで、黙ってたんや…」
「それこそ、言いそびれたんや」
「言いそびれたって…んな大事な事…」
「こうなってしまったからには、しゃーないやろ」
そう言って、紫煙をくゆらすオサムちゃんに、何とも言えぬ憤りを感じながらも、温くなったコーヒーを一口飲んだ。
暫しの沈黙が流れ、「元々、名前ちゃんは普通の人間の両親の元に産まれた子やった」と切り出したオサムちゃん。
「ただ、血液型だけが世界でも珍しい型で、両親は名前ちゃんに病気やら怪我やらさせへんよう、人一倍大事に育てとった」
「…」
「そんな中、父親が吸血鬼になってもうたんや…それがお前を吸血鬼にした男」
テーブルに肘を付いたオサムちゃんは、煙草を指に挟んで続けた。
「お前にもしたように、名前ちゃんの父親に吸血鬼の心得を教えたのも俺や…」
「…ほんまか、」
「まだ続きあるで。最後まで聞き」
ただでさえ信じがたい話に頭が痛いのに、まだ続きがあるのかと溜息が出た。
「父親は娘に何かあった時の為にと、娘を不老不死の体にしようとした」
「…」
「せやけど、それを阻止しようとした母親を、吸血鬼になったばかりの父親は力の加減がでけへんで殺してしまった」
「なっ…」
死んだ体で、生きた血なんか通ってへんのに、全身から血の気が引いた気がした。
「母親の必死の抵抗と、妻を殺してしまったショックで、不老不死の体になり損ねた名前ちゃんを残し、父親は外へと逃げ出した…」
「その時に、吸血鬼になったお前に殺されたんや」と、いつもより冷たく感じる自分の手に視線を落とした。
「名前ちゃんは、人間としても不老不死としても、不完全な体のまま一人残された」
「そんで残された名前ちゃんを、オサムちゃんが今の名前ちゃんの家族にあてがったっちゅー話か…」
「簡単に言えばそうなるな」
「そない重い話、あるかいな…」
いつの間にか俯いていた俺の視界の端にあった灰皿に、短くなった煙草を押し付けるのが見えた。
「ほな、俺が名前ちゃんと引き合わされたんは…」
「まあ、因果っちゅー事になるかなぁ」
「ああもう、ほんま…今更なんやねん…」
溜息しか出ない俺に、オサムちゃんは残ったコーヒーを一気に飲み干して、付け加えるように言った。
「名前ちゃんがそうやって他の吸血鬼に狙われるようになってしもた今、言うとかなあかんからな」
「え…どういう事や?」
「名前ちゃんにかけられた中途半端な呪術を完成させるのも解くのも、父親を殺したお前次第っちゅーこっちゃ」
「そんなん解くに決まっと…」
「ちょお落ち着け」
オサムちゃんは腕を組み、俺の言葉を遮る。
「名前ちゃんの今の体やと、デカい病気こそせえへんが、怪我とかには対応でけへん」
「え…」
「ただでさえ珍しい血液型や。大怪我でもして輸血が必要になったとしたら…もしもの事を考えたら、不老不死の体になってもうた方がええはずだとは思う」
「でも…」と言いかける俺に、「お前の気持ちもわかるで」と言うオサムちゃん。
「でもな、名前ちゃんにその呪術をかけようとした父親が殺された以上、呪術を解く事も、完成させる事も、その父親を殺したお前にしかでけへん」
「…」
「俺が教えたかったんはそれだけや」
少しの沈黙が流れ、実際より冷たく感じる空気の中、俯いた俺は何とも言えない感情に、無意識に言葉が零れた。
「何やねん、これ…キッツイわー…」
□□□□□□
『蔵ノ介さ…蔵ノ介さんっ!』
「…」
叔父さんの店から連れ出された私は、蔵ノ介さんに手を引かれるがままに家に連れて来られた。
何度呼び掛けても足を止める所か、返事すらしない蔵ノ介さんに、何か様子がおかしいと感じた。
暗いリビングには、上がりきった私の息遣いだけが響く。
『ハァ、ハァ…っ、ど…どうしたんですか?』
「…」
『何か、あったんですか…?』
息を整えながら、途切れ途切れに蔵ノ介さんの背中に問い掛ける。
黙ったままの蔵ノ介さんの肩が、息があがったように少しだけ上下している…初めて見るそんな姿に、何とも言えぬ不安が募る。
『蔵ノ介…さん?』
「名前ちゃん…」
暗闇の中、ゆっくりとこちらを向いた蔵ノ介さん。
暗くてその表情は伺えないが、普通の状況ではないのは確かだ。
「名前ちゃんは、吸血鬼として生きる人生って…どう思う?」
『え…?』
赤く揺れる蔵ノ介さんの眼に、背中がゾクッとした。
『急に…何ですか』
「終わりの無い人生を、何人もの大切な人を見送りながら、人の血を喰らって生きていく」
『…』
「どう思う?」
暫しの沈黙が流れ、私が口を開こうとすると、一瞬ふらついた蔵ノ介さんが、そのまま膝を着いて崩れた。
『く、蔵ノ介さんっ!?』
「っ…、」
『大丈夫ですか!?』
月の光源でうっすら見える蔵ノ介さんの顔をのぞき込むと、憔悴したように弱った表情で、辛そうに息をしている。
何事かと思ったが、ふと思い当たる節が頭を過ぎった。
『蔵ノ介さん…ちゃんと血、吸ってますか?』
「、…大丈夫やから」
『駄目ですってば!ちゃんと吸血しなきゃ…』
そうは言うものの、この状態では外に吸血しに行くのは辛そうだ。
蔵ノ介さんは肩に置かれた私の手を外そうと掴んだ。
『…私の血、吸ってください』
「何言うて…」
『さっき、光くんも言ってたじゃないですか、もう血は濃くなってるって』
私の言葉に顔をしかめる蔵ノ介さん…
でも、それしか方法が思い付かない。
『一回吸われてますから、怖くないです』
「そういう事やなくて…」
『私は大丈夫です!だから、蔵ノ介さん…』
『お願いですから…』とすがるように言うと、躊躇いながらもゆっくりと私の両肩に手を置く蔵ノ介さん。
私は念を押すように『大丈夫』と言い、目を瞑り、噛みやすいようにと頭を少し傾けた。
「…ほな、いくで」
『はい…』
少しの間をおいて、蔵ノ介さんの牙がゆっくり近付いてくるのがわかった。
首筋に吐息と牙の先が当たるのを感じ、体に力が入ってしまう。
「…」
『…』
「…アカン、」
今かと待っても刺さらない牙に不思議に思っていると、蔵ノ介さんはそう呟いて私を突き放した。
『蔵ノ介さん…?』
「やっぱ…俺には、でけへん」
『え?』
俯いて、震えた声の蔵ノ介さんは、ゆらりと立ち上がり、後退りするように後ろに下がると、ベランダの窓が勝手に開いた。
まずいと、咄嗟に踏み込んで『待って!』と手を伸ばしてみるが、届くはずも無く…
蔵ノ介さんはベランダの手摺りを越え、どこからか集まってきたコウモリを纏わせながら、頭から落ちていった。
『蔵ノ介さんっ!!』
急いでベランダに出て下を見てみるが、どこにも蔵ノ介さんの姿は無かった。
得体の知れぬ恐怖
何にも例えられない恐怖が、心臓がどくどくと、酷く脈打たせる。
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久々の更新。
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