- ナノ -


木ノ葉隠れ創設編

-消えた扉間の疑心-



仕事に集中しようと思えば簡単だった。

次にふとセンリの存在を思い出して時計を見上げると四十分が経っていた。視線を時計から下ろすとセンリはまた何か歌を口ずさみながら書類に何か書き込んでいた。何でいつもこんなに上機嫌なのかと不思議に思う。それと同時にこの間イズナから聞いた話が突然頭の中に現れた。


「センリ」


何て言い出そうかと決める前に勝手に言葉が口から転がり出た。センリは名前を呼ばれてすぐに歌を止めて『なあに?』と書類から顔を上げた。考えるより先に声が出てしまった為、少々間が空いた。


「……この間イズナから話を聞いた」


結局口をついたのは簡潔な結末。センリは何の事か分からなかったようで首を傾げる。見えないはずの疑問符がセンリの頭の上に見えた気がした。


「お前は転生術を使えるのか?……もう一度、人に生を与える術を」


生を与える術。それを聞くとセンリは何かに気付いたように口を微かに開いた。


『そっか。聞いたんだね』


センリはオレが言わんとしている事を察した様だった。持っていた筆を机に置いた。

やはり、センリはイズナを一度死に追いやった原因がオレだと知っている。それに写輪眼を奪った事も。知らず知らずのうちに指先に力が入っていた。紙の端がカサ、と音を立てた。

センリは困った様に眉を下げているがその顔付きは穏やかだった。自分の中の疑問がまただんだんと膨れ上がった。


「…お前は、オレが憎くないのか」


随分弱々しい、小さな声だと自分でも思ったが、センリは聞きとったようだった。


『どうして?』


まるで無垢な瞳で見返して来る。どうして、だと?それはオレが聞きたい。


「イズナはお前にとって大切な……弟なんだろう?その弟を殺した相手は…写輪眼をあいつから奪ったのはオレなのだろう?それにうちはの者達はほとんど千手に殺られた。お前にとっては憎むべき仇だ。それなのに何故、」

その先の言葉は言わなかった。センリが笑っていたからだ。いつもの表情。優しみの滲んだ、誰の心をも安心させるような、笑みだ。それなのにその微笑みを見た途端、何故か心臓がほんの少し痛んだ気がした。


『憎くなんかないよ』


何の前触れもなく、そして抵抗もなく、その言葉が耳の奥に響いた。それなのに。


「…お得意の綺麗事か。偽善にも程がある」


それなのに、口から出るのは野暮ったい、皮肉の言葉。しかしセンリはオレの嫌味っぽい言葉にさえ表情を変えない。


『扉間くんがそう言うなら偽善でもいいよ。でも本当の事。私は扉間くんを恨んでもいないし、千手の人たちを…うちは一族の人を殺した人たちも、憎んでないよ』


こいつは馬鹿なのか?
センリは憎しみという感情を隠している訳では無い。オレや、多くの一族の忍のように、押し殺している訳では無いのだ。ただ、憎悪という感情が本当に無いだけなのだ。

分かっていた。
それなりに長い時間、センリを見てきた。分かっていて、それなのにオレはまだ確信の真実を得る事を望んでいた。確実な、言葉が欲しかっただけなのかもしれない。


『イズナの事で、扉間くんが自分を責める事ないよ。確かにイズナは一度死んだ。そして力も失った………でもそれは、この里を作るための大きな第一歩にも繋がった。それに、写輪眼がなくたってイズナはイズナだよ。何にも変わらない。』


怒るでも無く悲しむでも無く、ただセンリはこちらを見つめていた。穏やかな声だった。


『扉間くんは確かにイズナに致命傷を与えたかもしれない。でもそれは扉間くんに限った事じゃないでしょう?あの時は戦争中だった。扉間くんがそうしなくても、他の誰かにイズナはやられたかもしれない。みんながそうだった。やられて、やり返して……。横暴な考えかもしれないけど、気付けた事もあった。マダラはあの時、イズナが居なくなってしまうと思ったあの時、本当にイズナの大切さに気付けたと思う。だからこそ今この里がある』


センリの瞳は澄んでいた。眩しいくらいに。その目を直視出来ずにオレは視線を落とした。

オレは一体何を言いたいのだろうか。自分の心なのに分からなかった。もしセンリがオレを憎んでいたとして、それが一体何だ。憎んでいようが、そうでなかろうが、オレは一体何を欲しがっているんだ。


『扉間くん…?』


遠くでセンリの声がした気がしたが、反応出来なかった。

視線の先にある自分の手が変に滲んで見えた。この手でオレは何人もの忍を殺してきた。そうだ。この手でオレはセンリが大切に思う存在を、死に追いやった。この手で、イズナを一度殺めた。イズナの力を奪った。いくら目を閉じようと、戦争が無くなろうと、その事実は消えないのだ。


「…!」


突然、センリが目の前に現れた。思考が目まぐるしく回って、部屋の向こう側から移動した事に気付かなかった。戦場であれば殺されている。

…いや、オレは何を考えているんだ。ここは戦場ではない。


目の前のセンリが何も言わずに、オレの手に触れ、そっと力を入れて拳を開いた。いつの間にか手を握り締めていたようだった。爪が手の平に食い込んだ痕がじんじんと痛んだ。センリはオレの手の平を見て微かに悲しげな顔をした。そして小さな手が手の平を撫でたかと思うと、痛みがすうっと退いていった。

「オレは、」


声にならなかった言葉を拾うようにセンリの言葉が紡がれた。


『扉間くん、あなたが今何を思っているのかは分からない。イズナに何を言われたかも私は知らない』


センリは目の前で、オレの目を見つめた。目を逸らしたいのに、出来なかった。


『でも誰もあなたを責めてないよ。私はイズナの気持ちを代弁する事は出来ないけど………でも、イズナだって、いつかきっと分かってくれるよ。今じゃなくても、必ずイズナは許してくれる。だから扉間くんも、許してあげるの』


センリは微笑んだ。それはそれは綺麗な、美しい表情だった。

透明だ。


目の前の人間は、透明だった。なんの混じり気も無い。負の感情というものがまるで無い。これは、唯の、光だ。


『許してあげるの。扉間くん自身を』


自分の事にはまるで鈍感なのに、他人の事になると途端に心を見透かす。

オレは、オレを、許していなかったのだろうか。誰かに許されたかったのだろうか。


イズナが羨ましかった。センリが側にいてくれる事が、何故だか羨ましく思えた。


センリの愛情には裏が無かった。

愛情には憎しみが付き纏う。愛を失った瞬間、普通人は絶望し、そしてそこから憎しみが生まれる。“悪の一族”。うちはがそう言われている由縁はそれだ。大きな愛の喪失は同時に膨大な負の感情を生む。

それなのに、センリの愛情の裏側には、憎しみが無かった。愛情には愛情を。そして憎しみにも愛情を。センリはどんな感情にも愛情を与える事が出来る人間なのだ。偽善者だと罵られようと、突き放されようと。どんな心にも愛を注ぐ。そうやってこいつは生きてきたのだろう。


今やっと、何故うちはがセンリを守り続けてきたのか、分かった気がした。


マダラが羨ましかった。

センリの心を、センリの深い愛情を、そしてそれ以外の感情も。全てを共有出来るマダラが、馬鹿みたいに羨ましくなった。


『扉間くんは一人じゃないよ。大丈夫!だから一人で抱え込まないで。柱間も、里のみんなも、頼っていいんだよ』


ああ。言葉無くとも、センリには見透かされていたのだ。自分の中にある、自分でさえも汲み取れないような、微かな不安の滴。


『仕事ばっかりじゃなくてたまには遊ぼう!雪が振ったら雪合戦しようよ!みんなで!』


いつの間にかオレの手からセンリの手が離れていたが、温かいままだった。


『今からでもいいよ?かくれんぼする?本気のやつ!組手ごっこでもいいけど!』


センリはそう言ってサッと後ろに飛んで手を構えている。その表情は本気だ。一人で楽しそうにしているセンリを見ると不思議と口元がふるふると震えた。

センリが『さあ来い!』等と言っていると、突然火影室の戸が開いた。オレもセンリも横を向いてドアを見た。兄者とマダラが帰ってきたのだ。兄者は構えているセンリを見て少々驚愕していたがすぐにいつもの気の抜けた笑みを浮かべる。


「一体何をしているんだセンリ」

『今、扉間くんと組手ごっこしようとしてたの!』


『シャーッ』とか何とか訳の分からない言葉を発するセンリを見て兄者は笑い声をあげた。


「手伝いに来たんじゃないのか…?」


マダラが兄者に続いて部屋に入り呆れたようにため息を吐いてセンリを見る。センリはその言葉にハッとして机にあった巻物を手に取る。


『ちゃんとやったよ!ついでにここにあった巻物のやつも片付けといたよ』


マダラはセンリから受け取った巻物をしげしげと眺めている。「センリは手が早いな」とか感心しながら兄者は火影椅子に座った。本当に兄者にも見習ってほしい。


「ん……なるほど、完璧だ。良くやったな」


マダラに褒められてセンリは少女のようにはにかんだ。

…何だ。
何でオレは気付かなかったんだ?
センリはこんなにも幸せそうに笑っていたのに。


マダラは直前にオレとセンリが二人でいた事に対して何とも思っていないようだった。もう少し早く到着していたら、マダラはオレを睨み殺そうとしただろうか。そう思ったら何故だか笑みが漏れた。


『じゃ、私もミトと浅葱のところに行ってこよーっと!扉間くんも早くお昼ご飯食べなよ!じゃあ、またね!』


センリは先程あった事などまるで無かったように、いつものように颯爽と火影室を出て行った。「また仕事か…」と言いながらため息を吐いている兄者に睨みをきかせる。


「この案件が終われば今日は終了だ。早く浅葱に会いたいのならさっさと終わらせるんだな」


書類の束を兄者の前に置く。そこに自分がやるはずの分を少し紛れさせてあるのは言わない。センリの言う通り、それをした自分を許す。心の中でそっと微笑んだ。


「たまには休ませてくれたって…」

「黙れ」


一喝すれば兄者はすごすごと業務に取り掛かった。クク、というマダラの押し殺した笑いが聞こえた。


不思議な事に、たった数分間センリと話しただけで、最近胸の奥につかえていた得体の知れない何かが可笑しいくらいすんなりと消えて行った気がした。

イズナがオレを憎んでいようが、どうだっていい。オレはオレのやるべき事をやればいい。この里を守り、そしてその時が来たら次の世代へとそれを引き渡す。

いつまでだってセンリは生きるのだ。オレが見る事のない未来も、その先まで。あいつはこの里をずっと守っていくだろう。それならオレのやることだって一つだ。


イズナが言っていた事が少し、分かった。

センリが望んだこの現実をあいつは守りたいのだろう。そこに憎しみも恨みも、敵仇も無い。イズナの目には、いつまでも微笑むセンリの姿が映っているのだろう、と。


まだ里づくりは始まったばかりだ。

窓の外を見れば、沢山の屋根が見える。その下には平和を望み、里にその望みを託す、多くの人。兄者が、マダラが、そしてセンリが望んだこの里。センリが居るこの里。それを守っていけるならそれ以上の事は無い。今までの自分を許せるかは分からない。家族を殺された憎しみも消えるかも分からない。

だが、光はここにある。それならば、何も迷う事なんてないのだ。

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