木ノ葉隠れ創設編
-扉間とイズナ、大蛇の子-
本当に災難だ。
家に帰るのがこれ程憂鬱だった事は無い。
自宅の玄関を開けてもそこにいるのはいつもの美しい笑みを携えたセンリではなく…いや、センリだという事には変わりはないが、あの華奢で小さく愛らしい姿ではない。
『おかえり、マダラ!』
「…ああ」
夜になる前にうちは一族の忍の修業に付き合って確かに体は多少疲れてはいたが、男の姿のセンリを見ると更に体が重くなる気がした。
俺の上着を預かって靴を揃えている動作はいつものセンリのものだが後ろ姿が明らかに大きい。
『汗かいたならお風呂入りなよ』
この気遣いも普段通りなのだがその声も顔も何もかもがおかしい。何故センリを見上げなければならんのか。凛々しいセンリの顔を見てため息が出る。
風呂で熱い湯を頭から浴びれば憂鬱さはいくらかましになった。
夕飯も普段センリが作る味そのもので、隣に座る姿が男という事以外は毎日の生活となんら変わりはない。
……何故俺はソファの上で男と寛いでいるんだ?考えれば考える程おかしく思えてくる。いや、呆れを通り越してもはや笑えてきた。
ちらりと横に座るセンリを見れば自分の服の解れた箇所を針と糸とで縫っている。手早く器用にこなす手付きもよく俺が目にしているものだった。
その横顔はいつもより高い位置にあったが、儚げにも見えるその表情は確かにセンリの面影を感じた。
しかし……扉間も言っていたが、こいつは男の姿でも変わらず美しいな。睫毛の長さや髪の滑らかさは女のセンリと何ら変わりはない。一瞬見ただけでは中性的で、女と見紛うかもしれん。
小柄な事で悩んでいるセンリだったが、男ならその心配はいらなかっただろうな…。
『ん…どしたの?』
珍しく俺の視線に気付いてセンリが問い掛けてきた。男になっても少し憂いを帯びた、くっきりとした瞳が一瞬いつものセンリと重なった。
「いや……端整な顔だなと思ってな」
『…えっ、』
センリは俺の言葉に動揺したように目を見開いた。
『いきなりどうしたの』
「いや、ふと思っただけだが」
世の中の女の視線を全て奪い去りそうなくらい秀麗な表情が惚けたように崩れるのは、やはり面白味があった。
センリは俺を二、三度見た後手元に視線を戻し、縫い終わりの糸をギュっと縛り付けて鋏で切り取った。作業が終わり、服を畳んで机の上に置くとセンリは、俺の方を何故か申し訳なさげに見てきた。
『マダラ……ちゅーしたら怒る?』
センリの突然の申し出に俺は言葉を詰まらせた。
いつものセンリの我が儘であれば何の戸惑いもなく受け入れるが、今のセンリは男の姿だ。
しかし眉を下げて俺を見てくる表情に凛々しさはあれど、中身はいつものセンリに変わりはない。
「別に怒りはしないが…」
ここで断るのは少し気の毒に思えてそうセンリに返すと整った顔に笑みが浮かんだ。
『ほんと?』
途端に嬉しげな表情をしたところをみると、もしかするとセンリなりに俺に気を使っていたのだろうか。
まあ、考えてみれば心がセンリのままならば体が男でも問題は無い………いや、何を考えているんだ俺は。どう考えても、やはりおかしい。
「…」
俺の沈黙を了承のサインと取ったセンリの顔が近付いて来たと思うと口元に柔らかい感触があった。すぐにセンリの顔は離れて行き、いつものような頬を赤らめた姿が目に入った。……男の顔だが。
『私、自分が男の人だったとしてもマダラの事が好きになってたかもしれない』
「…それは勘弁してくれ」
センリが女ではなく、男として自分と出会っていたら……。
ないな。
いくら何でも男を好く趣味は無い。
俺の目を見てセンリはえっと驚くように口を開いていた。
『だってマダラより強いよ?それに力もあるよ?マダラが怪我したとしても抱っこして運べるよ!』
「確かに強い者は好きだが……しかしそうではなくて…男を好きにはならんし、それ以上の感情も抱かん」
きっぱりと言い切るとセンリは下唇を突き出してじっと俺を見つめてくる。
「だが、別に男の姿をしたお前が嫌な訳ではなくてだな……ただやはりセンリはセンリでなくては」
『ん、分かってるよ。私もこの体、すごい違和感だしね』
センリは俺を見つめていた金色の瞳をふにゃりと細めてはにかんだ。
最初こそ憂鬱だったが、こうして過ごしていると目の前にいるのは紛れもない俺の愛する妻だった。……いや、男だが。
『ね、マダラ。ぎゅってしていい?』
センリからの願いを俺は受け入れた。
しかし抱き着いてきたセンリの体は本当に男のもので、柔らかさがまるで無かった。
「……硬いな」
『すごく筋肉あるからね!私!マダラはいつもより小さく感じるね?』
「当たり前だろう。今はお前の方が大きいんだからな……おかしな事に」
いつもなら俺の胸に埋もれている筈のセンリの顔は俺の顔のすぐ横にある。回した腕は背中までしか届かなくて、その上その感触は硬い。
『一緒に寝てくれる?』
「……いつも共に寝ているだろう」
男が二人で抱き合って眠るなど本当に笑えてくる。
柱間がいなくて良かった。あいつがいたら死ぬ程笑って馬鹿にしてくるだろうからな……。
しばらくセンリは俺の背中を優しい手つきで撫でていたが、ふと顔を上げた。
『んー……―――じゃあやっぱり、マダラも女の子で過ごせば解決じゃない?あのマダラ、すっごく可愛かったもん、』
「全く解決にならん」
センリの言葉が言い終わらないうちに俺は即答した。するとセンリはまたご機嫌ななめだというふうな顔をした。
『えー、そんな事言わないでもう一回なってよ』
「断る」
『お願い!もう一回見たいもん〜。マダラっ、一生のお願い!ね?』
センリは、今度は目の前で手を合わせねだるような上目遣いをした。認めたくはないが、そうするとやはり愛らしいと思わずにはいられない。我ながら情けない……。
「……………一分だけだぞ」
『やったあ!』
言うが早いが、センリは満面の笑みを浮かべた。煙が目に入り、自分の身体の内側が一瞬温かくなったかと思うと、また女の姿になっていた。ふと自分の手を見ると、細く、小さい。気味の悪い感覚の事この上ない。絶対に鏡は見たくないな……。
『わあ、やっぱり凄く可愛いよ!』
センリは手を叩いて喜び、嬉しさを抑えきれないように俺を見ていた。破顔一笑だ。
センリが男だったとしても、無意識に人を惹きつける行為は変わらんのか…。人たらしめ。
「あのなあ……見た目上の身体を変えればよいという問題ではない。そもそも俺は女の姿でいたくない」
センリが驚いたように目を何度か瞬きすると、いつものセンリの面影を感じた。
『ええ、なんで?』
「女はか弱い」
俺は腕組みしながら言うと、センリは意味ありげに含み笑いをした。
『へえぇぇ、私の事、そんなふうに思ってたんだ?』
そう言うが、センリは全くショックを受けてはいないように見えた。
「そういう事ではない」
俺は眉を寄せるが、センリはこれっぽっちも気にしていないようだ。俺がこんな姿だからと調子に乗っているな……。
「お前は今でも俺に本気を見せないくらい強いだろうが。手合わせしても、いつも手を抜くじゃないか。それより……もう充分だろう。とっととこの術を……―――――」
ふと、センリの香りが鼻を掠めたかと思うと影が落ち、次の瞬間には頬に銀色の髪がさらりと触れていた。センリに押し倒されるなど、俺はよっぽど油断していたのか……。
「センリ、そこを退け」
少し低めの声を発したつもりだが、センリはいつものように楽しげに笑っただけだった。こんな声では脅しにもならんな…。
センリは俺の両手首を掴む手の平に少しだけ力を入れた。余裕の表情のセンリに組み敷かれるのが嫌で、俺は腕に力を込める。するとセンリも押し付けるように力を入れ返してきた。
『ふふ、ホントだ。か弱いね』
クソ、普段の俺ならばセンリを押し返すくらい造作もないというのに…。やはり女は弱い。
『か弱くてもいいじゃない。それは一つの魅力だよ』
俺の内心を読み取ったかのようにセンリが言った。こいつの前ではどんな罵倒も効かんのだろう…。
「俺は元の姿のほうがいい」
『私は今のマダラも好きだよ。とっても綺麗』
真剣な眼差しを向けるセンリから、反射的に目を逸らした。こんな人間になら押し倒されてもやぶさかでは無いのかもしれないと頭の片隅で考えている自分が不愉快だった。
「お前……元の姿に戻った時、覚えてろよ」
『えっ、』
俺の口調から何か察したのか、ようやくセンリの顔に焦りが見えた。男の姿でも、やはりセンリはセンリのようだ。
「俺を押し倒して好き勝手言ったんだ…その代償がどんなものになるのか、分からないお前ではないだろう?」
『ちょっと待っ―――――』
「待たん。お前が『やめて』と言っても止めてやらんからな。人前に出られん身体にしてやろう」
『なっ―――――』
今度は俺が笑い、センリが狼狽える番だった。俺を押し倒しているというのに慌て出すセンリは見ていて愉快だ。やはりこうでなくては。
『わ、分かった!戻す!戻します!』
センリはまごつきながら俺の変化を解いたが、到底それで無罪放免とはいかない。
『ほら、戻った。戻ったから!もう恐ろしい事言わないで!ねっ!?』
「それで許されると思っているのか?」
『怖っ!マダラ!怖いよその笑顔!』
「数日後の夜が楽しみだなあ、センリ。……いや、考えてみれば別に夜でなくとも良いな」
『い、いやっ!せめて夜にしましょう…!?』
「それは今後のお前次第だな」
『ひぃっ……』
引き攣り笑顔のセンリはやはり面白い。楽しみは後にとっておくこととしよう。
しかし……何にせよ早く元の姿に戻ってほしい。
そしてこれからは変化の術を無闇に使うなと言い聞かせなければならんな……。
まあ…誰かの言う通り二、三日、我慢して過ごしてやるか。楽しみも出来た事だしな……。
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