- ナノ -


「扉間さん結婚して下さい」



開口一番これである。
毎日、毎日、毎日。オレの顔を見る度に、〇〇の一声は絶対にこの言葉だ。


里作りを始めてから一年間の間、何度この言葉を聞いたか分からん。ほとんど毎日、会えばこの言葉を聞いているからもう三桁はいっただろうな。
傍から見たら誰もが羨むだろうこの求婚も、今となってはまるで呪いの言葉に聞こえてくるからオレはもう末期なのか。


「…任務はどうした」


その言葉には一切反応せずにオレは兄者の隣から催促する。ついでに兄者がニヤケながらこちらを見てくるのも無視をした。


「もちろん終わらせてきました!だから今日こそは結婚して下さい扉間さん!」


こいつの言葉を聞く度溜め息しかでない。一年前、初めてこの言葉を聞いた時の純真なオレの気持ちを返して欲しいくらいである。あの時の驚きも今はもう皆無だ。

兄者を超えるほどの能天気と馬鹿を兼ね備えた〇〇はオレの盛大な溜め息を聞いたとしても顔色一つ変えやしない。


「いや、それよりデートして下さい。このままいけば明日はいい天気になります。だからデートしましょう。いえ、するべきです」


一年間飽きずによく誘ってくるものだ。オレは〇〇の誘いを一度も受けたことは無いのにこいつはめげる事なく何度もこう言ってくる。道のど真ん中で勘弁してほしい。


「〇〇がこうして頼んでいるんだ、そろそろ遊びの一つや二つ、行ってやったらどうだ?」


クソ…。ついに兄者が〇〇に加勢してきた。こうなるとより面倒な事に…―。


「火影さま!なんて心の広い!優しい!イケメンすぎる!ほらほらほら、扉間さん、お兄様がこう言っているんですからわたしとデートしましょう!ね、ね!」


…なるに決まっているだろう。
調子に乗った〇〇は満面の笑みでオレに近寄ってくるので咄嗟に後ずさった。その様子を見て何故か兄者は嬉しそうにしている。兄者を味方にしてしまうなど、〇〇め。


「明日はマダラに仕事を頼むから、二人で楽しむと良いぞ!」


ああ、本当に面倒な事になった。

――――――――――――


次の日、本当に〇〇と会う事になってしまったオレは少々重い足取りで〇〇の自宅に向かっていた。何故オレが家まで迎えに行かねばならんのだ…。長く息を吐きながら頭上に目をやれば昼過ぎの空は、〇〇が予想した通り恐ろしいくらいの快晴でそれがとても気に入らなかった。


「扉間さーん!」


書き慣れた奴の声がしてオレは目を空から下へと移した。〇〇がこちらに向かって手を振りながら走り寄ってくるところだった。兄者同様、必要以上に声がでかいからすぐに分かる。〇〇はオレの前まで走って来ると、上がった息を整えた。


「扉間さんのこと待ち切れなくて!」


犬のようだ。
この前主人に駆け寄って尾をちぎれんばかりに振っていた飼い犬を思い出した。清々しい程の笑顔を浮かべる〇〇は本当にいつもより嬉しそうだった。いや、別にだからどうということは無いのだが…。


「…で?デート、とやらは何をするんだ?」


〇〇の前でのいつもの通り、オレは溜め息まじりに問い掛けた。乗り気でない事は明らかに分かるだろうに、そんな事〇〇は気にしていないようだった。


「魚を取りに行きましょう!」


「魚だと?」


思っていたのと少し異なる言葉に違和感を感じて、俺は思わず聞き返した。女はもっとこう…買い物したり、甘味を食ったりとそういう事をしたいと言うのではないかと思ったが、〇〇の表情はいかにもそれがしたいというものだった。


「扉間さんは川魚が好きだと聞きました!よく魚が捕れる川を知ってるんです。だから扉間さんと一緒に行きたいと思って!」


兄者だな。余計な事をしおって…。
しかしまあ考えれば、商店街に繰り出すよりいくらもそっちの方がマシだ。オレの情報を露見させた事は今回は大目に見てやろう。


「わたし、魚捕るのとても得意なんです!行きましょう」


「おい、分かったから引っ張るな」


〇〇は急いだ様子でオレの手を引っ張り、来た道とは逆方向に向かって行く。


楽しみだ、と繰り返しながら笑ってオレの手を引く〇〇は何故だかいつもとは少し違って見えた。思えばよく〇〇の事を観察したことはなかった。いつも無視するか、まともに顔を見る事も少なかったように感じる。

商店街から少し離れ林道に入り、前を行く〇〇の言葉に適当に相槌を打ちながら歩いていると突然〇〇が足を止めた。どうしたのかと問いかける前に〇〇は道の少し先を見つめたかと思うと走り出した。一体何なのかと疑問に思って着いていくと、林の草むらの陰に向かって〇〇が何か話しかけていた。


そこにいたのは老婆だった。長い草むらの陰で倒れ込むように膝をついていた。


「おばあちゃん!大丈夫?」


〇〇は老婆の肩に手を当ててその体を起こさせた。辺りに散らばった多くの野菜と風呂敷を見る限り、荷物が重くてそれに耐えきれなかったようにみえる。


「済まないね…。どうも野菜を多く持ちすぎちまったみたいで」


予想通りの事を言いながら老婆は〇〇の手を借りて立ち上がった。見る限り怪我は無いようだ。


「この辺道が舗装されてないから危ないよ?どこまで行くの?」


「息子の家まで野菜を持って行こうと思っていてね。南賀ノ川の近くでね…」


それを聞くと〇〇は一瞬オレに目を向けた。
…まさか、この老婆を手伝う気では、


「分かった。わたしが手伝うよ」


やはりそう来たか。〇〇は老婆に笑顔を向けると散らばった野菜を集め始めた。


「え?いいのかい?」

「いいのいいの!」


遠慮する老婆に構うこと無く次々に野菜を風呂敷に包んでいく。


「扉間さん、そういう事だからまた今度の機会にしましょう!」


いつもと何ら変わりのない、〇〇の表情だった。だが、オレには少し分かってしまった。

〇〇は俺に向かってそう言うと野菜を詰めて膨れ上がった風呂敷を手に持ち上げた。自分はこれを持って行くからオレは帰れ、という事なんだろうが、その言葉と視線はいつものように無視をした。

何度目かわからない溜め息をついて、オレはその風呂敷を〇〇の手から奪う。


「えっ、あの、扉間さん、」


馬鹿みたいに目を丸くさせて〇〇が不思議そうにオレを見上げた。


「南賀ノ川のどの辺りだ?」


老婆に向かって問う。芋類が中心の大量の野菜は男のオレが持ってもかなり重い。転ぶのも納得というところだ。


「下流の方ですわ。南の森の辺りの…」


南賀ノ川はここから文字通り真逆の場所だ。普通に歩いても一時間はかかる。


「あの辺か…。あの辺りは詳しくは分からんから案内してくれ」


老婆は一瞬驚いたような顔をしたがすぐに嬉しそうな皺を刻んだ。


「おい、何突っ立ってる。行くぞ」


何故か固まって呆然と立っている〇〇に向かって声を掛けると、あからさまに反応して足を踏み出した。自分で手伝うと言ったくせに何だ。


「あの、扉間さん、」


ありがたいありがたいと呟く老婆より少し前に進み出て〇〇がオレに囁いてくる。


「ありがとうございます」


何を言うかと思ったら小声でそんなことを言うものだからオレは思わず〇〇を見た。

何故お前がそんなに嬉しそうなんだ、という疑問は喉の奥で止まってしまった。


――――――――――――

老婆の足に合わせて、息子の自宅まで辿り着くには思ったより時間が掛かってしまった。老婆の息子はオレを見ると申し訳なさそうに何度も頭を下げていたが、別にそれ程苦労したとも思っていなかった。


〇〇と来た道を戻る頃にはもう夕方と言ってもいいくらいの時刻になってしまっていた。

〇〇は老婆に分けて貰った野菜を大事そうに抱えながらオレの隣を歩いていた。


「扉間さん、本当にありがとうございました」


何か話し掛けようかと考えている時に〇〇がお礼の言葉を口にした。


「何故お前が礼を言う」


老婆から感謝されるならまだしも、〇〇からしたら別にオレは感謝されるような事をしていない。確かに荷物を運ぶのを手伝ったが、それはオレの意思だ。

眉間にシワを寄せていると何が面白いのか〇〇が笑っていた。


「だって、扉間さんが文句言わずに手伝ってくれた事がうれしかったから!」


本当に嬉しそうに〇〇は言ったが、こいつが楽しみにしていたデートとやらも先ほどの件で無しになってしまった筈。馬鹿みたいに楽しみにしていたようだったが、それなのにそれについては一つも気にしていないように見えた。

何も言わずに〇〇を見ていると、突然その表情がフワッと崩れた。


「わたし、扉間さんと一緒にいられるだけで嬉しいんです!話せるだけで嬉しいんです。だから別にデート出来なくても、今も、幸せです」


「…!」


初めて見る表情だった。
傾きかけた日の光のせいで頬が赤らんで、照れた様に見えるのに満足しきった顔。

無意識にオレは〇〇に見蕩れてしまった。
いや、何考えているんだ、オレは。あのやかましいだけの〇〇に…。この胸の高鳴りはきっと偶然のものだ。


「えっ、もしかして扉間さん照れてます?可愛すぎる!結婚して下さい!」


クソッ。何故こういう時だけ目敏いんだこいつは。オレは咄嗟に〇〇から顔を背けたが嫌にわざとらしく見えてしまっただろうか。


「馬鹿なことを言うな」


いつものように叱るように言えば「えーっ」と駄々っ子のような態度をとる〇〇。こいつの百面相は見ていて飽きない。


「ね、ね、扉間さん。また今度デートしてくれますか?」


見えない筈の尾を振っているような〇〇。面倒なだけの奴だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。


「組み手でお前が勝ったら、してやらん事も無い」


思わず笑いが込み上げて、口角が上がる。オレがそう言えば途端に顔中に笑みを刻む〇〇。


「組み手してくれるんですか!やる!やります!」


そう言えば〇〇の実力は見た事がない。忍としてどんな術を使うのかももちろん知らない。

何故か突然〇〇に対する興味が湧いたような気がした。どんな技を使うかは分からんが今度修業を見てやろう。それならデートなんぞをするよりも幾らも面白みがある。



「扉間さんと修業できるなんて夢みたいです!結婚して!」


「お前はそれ以外の言葉を知らんのか」


「知ってますよ。扉間さんのお嫁さんにして下さい!夫婦になりましょう!毎日美味しいご飯つくります!わたしに千手の苗字を下さい!それから…」



今までただ五月蝿い雑音のように聞こえていたその言葉が心地よく感じてしまうようになったオレはもう末期なのだろうか。

夕日がだんだんと沈んでいくのを背にしながらオレはその心地いい雑音を耳にしながら歩いた。



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