大筒木編
-ハゴロモの死と隠された呪い-
しかし、アシュラの子どもたちが十五を過ぎるとついにハゴロモは床に伏せてしまった。
当たり前だが、センリは少し寂しかった。
ハゴロモもカグヤの子と言えど人間。寿命がある。老衰には逆らえないのだ。
センリは寝たきりのハゴロモの手を握る。細く、なんとも頼りない皺だらけの手。比べて自分の手は…。
そう考える度、センリはその考えを頭から追い出す。覚悟したことだ。死なないという事は、大切な人が死んでいくのを絶対見なくては行けない。避けては通れない道だ。覚悟したことなのだ。
センリはハゴロモの側にいる時は絶対に笑顔を絶やさなかった。どんな時も笑って過ごした。
小さいことでも何でも話した。外に出られないハゴロモのために孫たちの事、村の人々の事、天気の事…その日あったことは全て話して聞かせた。
いつからかハゴロモはあまり目も見えなくなった。だがセンリは笑った。自分の為にそうしてくれている事はハゴロモにも分かっていた。
―――――――――――――
そしてある時ハゴロモは尾獣を自分の中から出すことを決めた。尾獣を自分の中に封印しているハゴロモはそれを抜けば心臓が無くなるのと同じ。すぐには事切れなくとも、命の半分はなくなるのと同じ事だ。つまりそれはハゴロモの死を意味していた。
ハゴロモがセンリにそれを頼んだ時、センリは反対せずに『わかった』とだけ言って頷いた。
ハゴロモとセンリが尾獣に会いに行くと、尾獣たちは二人の訪問をいつものように喜んだ。
尾獣たちがハゴロモとセンリを囲むように集まる。ここはハゴロモの、言わば頭の中。ハゴロモは地に足をつけて立っているし、ちゃんと目も見える。
尾獣たちはそれぞれがもう一つの小屋ほどの大きさになっていた。
「…なんて……なんて言ったんだ、センリ」
その旨を尾獣たちに伝える。
孫悟空が信じられないというふうに目を見開く。他の尾獣たちも唖然としている。
『あなた達をハゴロモの中から出すの』
「そんな事したら六道仙人が死んじゃうよ!」
焦ったように言う犀犬。その触角のような目には涙が潤んでいる。
「もう決めたことだ。わしはもう長くない。自分で分かる。その前にお前達を解放する」
ハゴロモが静かに言う。
ハゴロモが死ぬということを尾獣たちはすぐに理解出来なかった。何十年もここにいたのだ。
「センリとも会えなくなっちゃうってこと?」
長明が体を少し丸くしながら悲しげに問いかける。センリは困ったように笑った。
『毎日は会えなくなっちゃうかもしれない。でもみんなが望んでくれたらきっと会えるよ。……あれ守鶴、泣いてるの?』
守鶴がグズグズ言っているのを見てセンリが言う。
「なっ、泣いてねぇよ!」
守鶴は怒ったように言うがやはりその目はキラキラと潤んでいる。
「離れていてもお前たちはいつも一緒だ。いずれ一つになるときが来よう。それぞれの名を持ち、今までとは違う形でな」
ハゴロモがみんなを見回して言う。
尾獣たちは、みんな泣いていた。
「そして私の中にいたときと違い正しく導かれる。本当の力とは何か」
そんなことない、と尾獣みんなが思っていた。
尾獣たちはハゴロモから、センリから離れたくなかったのだ。自分たちの家はここだと思っていた。
『離れてても私はみんなの側にいるよ。みんなも私の側にいる。ここに』
センリは自分の左胸をトン、と叩く。
『みんなが人間を好きになってくれる事を願ってる。大丈夫。みんなはとても魅力的でいい子だよ。きっと他の人たちも分かってくれる。
守鶴、あなたはすぐ怒っちゃうことがたまに傷だけど本当は寂しがり屋なの知ってる。時々は素直になるんだよ』
守鶴は「うるせえ」と言いながらも溢れ出る涙を止めることは出来なかった。
『又旅、あなたは冷静に物事を見ることが出来る。ちょっと怒ると怖いけどそんなところもあなたの魅力だよ』
「センリ、ありがとう……」
青い炎を揺らしながら又旅は頷く。
『磯撫はとっても優しいね。でもたまには自分の気持ちをちゃんと伝える事も大事だよ』
「僕、僕……そうなれるように頑張る」
強靭そうな甲羅を持つ見た目とは裏腹に磯撫は震える声で言った。
『孫、あなたは私たちが付けた名前を凄く気に入ってくれたよね。私たちも嬉しいんだ。人間たちに自慢してあげて!』
「もちろんだ。俺の名前は尾獣一かっけえ名前なんだからな」
センリが拳突き出すと、それよりもかなり大きな孫悟空の拳が優しくぶつかった。
『穆王はね、本当に礼儀正しくていつも感謝の心を忘れないね。たまにははっちゃけてもいいんだからね!』
「わたくしはセンリの前でしかはっちゃけられません……少し、人見知りですから。でも、努力はします」
センリは穆王の大きな顔を撫でる。穆王は気持ちよさそうに目を閉じた。
『犀犬、あなたは九人の中でムードメーカーだったね。いつも明るい犀犬がいてみんな助かってるんだよ。ありがとう』
「当たり前やよ!これからもノリノリで行くよ」
センリは犀犬の短い手を握る。ドロドロの粘液もセンリには効かない。
『ラッキーセブン長明!あなたはいつか絶対立派な姿に生まれ変われるから、そしたら絶対会いに行くからね』
「絶対だ。約束だ!」
長明は何十本もある足をザワザワ動かす。
『牛鬼、あなたはすごく頭が良いね。きっと、思慮深い立派な大人になれるよ!』
「当たり前だ」
牛鬼は落ち着いて言ったが、声は震えていた。その声を聞かれたくなくて、牛鬼はそれ以上なにも言わなかった。
『そして九喇嘛。あなたは意地っ張りで素直じゃない。言葉遣いも乱暴になってきたし、私のことも雑に扱うし…――』
「オイ、なんでオレだけ悪口なんだよ」
九喇嘛が拗ねたようにセンリをじとっと睨む。しかしセンリはニッコリして九喇嘛に近づき、頭を撫でる。
『きっとあなたを理解してくれる人はいるよ。大丈夫、人に甘える事は恥ずかしい事じゃない。大切なことだよ』
九喇嘛はまだセンリを睨んでいたが、その手を振り払う事はしなかった。九喇嘛の目から一筋涙が零れる。
『大丈夫、これが最後の別れじゃないよ。私はこれからも会いにくるし、ハゴロモは、あなた達の心の中にずっと居続ける。私達のように、きっとみんなを大切にしてくれる人が現れる。絶対に』
「センリの言う通りだ。いずれ、必ずお前達を理解してくれる人間は現れる。その時まで……――」
『またね』
九匹の尾獣は、二人の周りから消えた。
これがハゴロモと、尾獣たちの最期の別れだった。
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