大筒木編
-インドラとアシュラ-
『インドラとアシュラは?』
日も暮れた夜、一日の仕事も終わり、ハゴロモにお茶を入れて差し出しながらセンリが問いかける。
「部屋で書物を読んで勉強している」
書物、というのはハゴロモが忍宗について書き記したもので、屋敷の大きな一室を埋めつくすほどの恐ろしいくらいの量がある。二人は日々それを読んでは忍宗について熱心に勉強していた。特にインドラは食事や就寝の時間を忘れている事もあるくらいだ。
『まだ十歳になったばかりなのに凄いね』
センリはお茶を飲みながら感心してほう、と息を吐き出した。
『ハゴロモとハムラを見てるみたいだよ』
昔のハゴロモを思い出しながら、センリはクスクス笑う。
「…今ならセンリが言っていたことが分かる。時と言うものが過ぎ去るのは早い」
『でしょう?この前ハゴロモとハムラを育てたと思ったら、すぐインドラとアシュラが産まれた気分。その二人ももう十歳で私たちがいなくても二人で何でもやっちゃうし』
ハゴロモも神妙な表情で頷く。
「センリには本当に感謝している。わたしたち兄弟を育て、そしてわたしの息子たちの面倒まで」
センリは突然の感謝に少し驚いてむせた。
『どうしたの?急に』
あまり感情を表に出さないハゴロモがまじまじとお礼を言うのを見るのは、珍しい事だった。
「インドラとアシュラを育てて、思ったのだ。人を真っ当な人間に育てるというのは、想像していた以上に難しい。わたしの方が二人から学ぶ事も多くある。自分の考えが上手く伝わらん事もある」
ハゴロモは静かに語った。父になってからのハゴロモは常に厳格で強く大きな存在という印象だったので、そんな事を思っていたとは意外だった。言葉少なに見えるハゴロモだが、息子たちを思う気持ちは父親そのものだ。
そんなハゴロモを見てセンリは微笑んだ。
『ふふ。ハゴロモがそんな事を思うようになるなんてね。屋敷の周りの川に落ちて一日中私にくっついて泣いてたハゴロモがねえ…。でもそれでいいんだと思うよ。親子って一緒に成長するものだと思うし。私もハゴロモとハムラからたくさん教えてもらったから』
そう穏やかに言うセンリの笑みは慈愛に満ちていた。ハゴロモは無意識のうちに口角を上げていた。
『でーも、ハゴロモが思ってること、二人にはちゃんと伝えた方がいいよ!ハゴロモってば控えめなところがあるでしょう?二人を愛してるなら、ちゃんと二人に分かるように伝えるんだよ?』
「それは……なるべく、努力する」
センリが幼子に言い聞かせるような口調で言うと、ハゴロモはどこか恥ずかしくなり、早々に話を終わらせた。
センリの言葉はいつも暖かかった。愛の女神、皆の光のような存在の陽光姫と呼ばれるのも頷ける。センリの笑顔を見ると安心し、そして不思議と穏やかな気持ちになる。ハゴロモは改めて実感していた。
「不死というものは脅威であり、あってはならんものだと思っていたが…わたしはセンリがそうであって良かったと思っている。センリにはこれから先もインドラとアシュラの側にいて、そしてこの世界をずっと支えていて欲しいと思うのだ。センリの心は世を照らす。そういう力がある」
ハゴロモは真剣な目でセンリを見る。
『ちょっとハゴロモ。私そんなにすごくないよ!ただ死なないってだけでそんな大層なものじゃないよ。不死だってカルマの力だし。あと確かに用を足さないってのはすごいけど』
センリが焦って手をブンブン振って言うのを見てハゴロモは笑い声を押し殺す。これだから自分はセンリが好きなのだろうとふと思った。
『んん………それにしても二人とも、ずいぶん遅くまでやってるみたいだね。もうすぐ寝る時間だ。私二人のところに行ってくるよ』
センリはインドラとアシュラがいる離れがまだ明かりがついているのを見て腰を上げる。
『二人のところに行ったら私も寝るよ。今日はインドラとアシュラと三人で寝る日だからね』
センリはハゴロモにニッコリすると、湯呑みを片付ける。
「そうか。二人もセンリと寝る時の居心地の良さが分かってしまったか」
ハゴロモが悪戯っぽく言う。センリもふふ、と笑う。ハゴロモにおやすみを言ってセンリは二人のところに向かった。
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