- ナノ -


大筒木編

-全ての始まりと-



満点の夜空。


澄んだ空気の中、見渡す限り爛々と輝く星星だ。ふ、とその中で一つの小さな輝きが瞬いた。

地上の人々はその刹那の光に流れ星だろうか、等と思った事だろう。

一瞬、ただ光っただけに見えたそれは、地上に近づくと速度を落とし、ふわりと地面に降り立った。


『ここ、どこ…?』


鈴が鳴るような、決して大きくはないのにそれでいて凛と透き通る声だった。それは驚くことに一人の娘だった。地に足をつけた娘は、不思議そうに辺りを見渡した。

歳は成人した女性のようにも見えるが、どこか幼さの残った顔立ちも見え隠れする。その不思議な噛み合わせが、彼女の麗しさに拍車をかけているようだ。星の輝きさえも飾りに見えてしまう程の、それはそれは美しい人間だった。彼女が瞬きをすると、目下に影を落とすほど長く生え揃った睫毛の下から、黒目がちの潤んだ黄金の瞳が見え隠れした。絹糸のような黒髪が夜風に揺れる。冷たい風だった。


『一体なにが起きたの?確か、私…』


娘は記憶をたどるように頭を抱えたが、それらしい答えは出なかった。


「我(われ)が御主をこの地へ呼んだ」


突然闇を裂いて低く声が響いた。娘は声の出所を探し暗闇に目を凝らす。どうやら自分の後ろ側、それも上の方から聞こえてくる。娘は振り向き、驚きに目を見開いた。

視線の先には、信じられないくらい大きな樹木…天に届きそうなくらい高くそびえ立つ樹木があった。夜空に消え入り、先端の方は見えない。

そして少し横に視線をずらして見上げると、太くしっかりとした樹木の幹に、見たこともない、白銀に輝く美しい大鳥が止まっていた。身の丈は娘の何十倍もあり、その長い尾は十に分かれ煌めいていた。見事としか言いようのない、美しい、大きな鳥だった。

月の明かりだと思っていたが、周囲がほんのりと照らされているのはその大きな大きな鳥が発する、銀色の光のせいだった。眩しさに目を細める光ではなく、美しく、耽美な雰囲気さえ感じるような輝きだ。娘はあまりの美しさに、小さく感嘆のため息を吐いた。


『あなたが…私を呼んだの?』


娘は言葉を話す鳥に疑問を抱くこともなく、まるで友達に語りかけるように問いかけた。

大鳥はその大きな輝く翼をゆったりとした動作で振るい、娘の前へと舞い降りた。少し遅れて、想像していたよりも小さな風が、娘の頭上で巻き起こった。近くで見るとその白い大鳥は想像していたよりもずっとずっと大きく見えた。


「我が御主を…選んだ」

大鳥は娘に頭を近付けた。黄金の瞳が、鋭く見下ろしている。


『選んだって…どういうこと?だって私は…』
同じくらい金色に輝く目で娘は問いかける。


「そう。御主は一度、こことは別の世界で死んだ」


そうだ。自分は死んだ。
娘は記憶を思い出そうとするが、耳鳴りが走り、頭を抱えた。


『(思い出せない…)』
そんな娘を大鳥は見つめ、今一度声を発した。


「突然の事と驚いておるだろうが……。我は不死鳥。千年前この地へと降りた。それは我がたまたまこの神樹がここへ墜ちるのを目撃し、それを追って来たことによる偶然だったが、御主を此処に呼んだことは偶然ではなく必然」

娘は大鳥を見てもじもじしながら首をかしげた。


『えっと、ごめんなさい。なんか難しくて言ってることがよくわからないんだけど…』


大鳥は動きを止めじっと娘を見て、それからため息をついてまた話し始めた。


「この大木は神樹という。この地の生命を吸い取りここまで成長した呪われた木」


大木からはなにか異様な雰囲気が漂い、黄泉の世界にでも連れて行かれそうな感覚になる。

しかし娘は気にもしていないようで神樹に近づく。そして恐ろしく太い幹にそっと自身の手をかざした。

「……やはり」

その様子を見て大鳥が呟いた。


『この木…不思議。なんだか、たくさんの“負”を感じる』
娘は大鳥を見て言った。


「どういうことだ?」

娘はじっと大鳥を見てから神樹に視線を移した。


『恨み、妬み、憎しみ、悲しみ…。そんな感じの“心”を感じる』


様々な負の感情が娘の心に流れてきていた。話せるはずのない樹木と、会話をしているようだった。


「そう。この神樹は憎悪を生み出す兵器と言ってもいいかもしれぬ。そして“それ”がもう実り始めている。あれを見てみろ。神樹の実だ」


大鳥が神樹を見上げると娘もその視線を追う。上の方に、小さいが、なにか実のようなものが見える。


『完全に実るとどうなるの?』
娘が問いかける。

「いや、出来ただけではどうにもならない。ただ…嫌な気配を感じる」

大鳥の言葉に、娘は少しだけ眉を寄せて首を傾げる。


「この木がこの地に根を伸ばしてからもう何年も経った。この実を求め、これを自分のものにしようとする…この実をこの木から奪おうとするものが現れてもおかしくはない」

『あの実をとったら、良くない事が起きるの?』

今度の娘の問いかけに、大鳥はしばらく考えるように娘をじっと見つめた後、ゆっくりと嘴を震わせた。


「何が起きるか、具体的な事は我も分からない。ただ…絶対にそれは“止めなければならない”。もしかするとそれが、世界の崩壊の合図になるかもしれぬからな…。そして御主ならば、それを阻止することが出来るやもしれぬ。それが我が御主を此処へ呼んだ理由」


大鳥は至極真面目に説明をしたが、それを聞いて娘は困ったような顔をした。


『そのために一度死んだ私をここへ呼んだの?でも私、そんな壮大な力なんてないよ』

「いや、ある」


大鳥は即答した。娘はますます困ったように大眉を下げ、鳥を見た。


「御主は前の世界にいるべきではなかった…。御主には特別な力がある。我には分かる。その証拠に、御主はいま此処に立っている」

『?』

「この世界に住む人間はこの神樹には近づけない。近づいたとたんこの神樹に命を吸い取られ死ぬ。だが御主は神樹に触れてさえも命を吸い取られることなく立っている。それが証拠」


神樹の枝々がザアァァと不気味な音を立て、風に揺れた。


「御主には他の者が持たぬ特別な力がある。そして、なにより、強い心を持っている」

『強い、心…?』

「この地でもう一度生きるのだ……今度こそは、後悔のないように」



―――これが一度人生を閉じた筈だった私の、長い長い物語の始まりになると、その時はまだ何も知らなかった。
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