Prism Transparent

48.夢見がちな瞳を閉じて

あれからあたしたちは、無事シャン・ドゥまで戻って来ていた。戻る道中は当然のこと、エリーゼはずっと黙り込んだままで、和やかな会話一つ広がらずただ歩くだけだった。

それに加えて、ジュードくんの口数もかなり少なかった。ぼんやりともしていて、ジュードくんらしくないというか。それは、あたし以外にも分かる程の違いで。

「ジュード、何か気がかりなのか?」

違いを感じていた一人、ミラが、街に入ると同時にジュードくんに尋ねた。とくに前置きのない質問だったため、ジュードくんは純粋に驚く。間抜けな顔で、ミラを見た。

「ジャオの話を聞いてから様子が変だぞ?」
「……うん」

変、だと言われてしまう自覚はあるらしく、ジュードくんはミラの言う気がかりに素直に頷いた。
あたしはあの場にいなかったから「なんの話?」と聞くのが無難なんだろうけど……口から出るよりも先に、あたしたちの方へ駆けてくる人物が見えて、開いた口を閉じる。やって来たのは、イスラさんだ。

「犯人を追って王の狩り場へ行ったと聞いて、心配したのよ」
「色々あったけど、とりあえずは無事……かな」
「偶然とはいえ、あなたたちを巻き込んでしまって、ごめんなさい」

事情を知らないレイアは、疑いのない目でイスラさんに返す。イスラさんは闘技大会での不祥事に頭を下げて謝るけど、もうジュードくんには届かなかった。

「イスラさん……。それウソですよね?」
「な、なに?私が心配したら変かしら」
「ジュード、どうしちゃったの?」

今までイスラさんに対して友好的な態度を取っていただけに、ジュードくんの急変とも言える態度にレイアは驚く。
ウソ、と言われた張本人を見れば、ぎこちなく笑っていた。見破られたという恐怖が、あたしにも見えた。
そしてジュードくんは続ける。「イスラさんが僕たちと知り合ったのは偶然じゃない」と。

「決勝を知らせる鐘が鳴ったとき、この街の人たちに聞かれたでしょ。この時期に余所の人間が集まっていたら、それは闘技大会の参加者か観客しかいないって」

そう、ぽつぽつと理由を並べていくジュードくん。
イスラさんは自身の失態に気づいたらしく、はっと目を見開いた。もう、手遅れだ。

「そういうことか。私たちがイスラに助けられたあの時だな……」
「街には、何をしに……って、イスラさんは聞いたね」

いつの、なんの言葉を差しているか分かるあたしの抜粋に、ジュードくんは頷く。

「うん。きっと言わないよね、あんなこと……。僕たちに近づくよう言われたんでしょ、アルクノアに……」
「イスラさん……ウソだよね?」

ジュードくんの言い分がもっともだと理解しながらも、イスラさんがアルクノアと関係を持っていたと信じたくないレイアは確認したけど、簡単に打ち砕かれた。
イスラさんは肯定も、否定もせず。

「あの人たち……、ばれないから……平気だって言ったのに……。でも、私だって、あの人たちに……」
「脅されてたんだよね。弱みがあったから」

孤児を見つけては施設へ売り付けるという、昔の仕事。エリーゼの名前を聞いた瞬間に彼女が身構えたのは、施設に売った覚えがあったからだろう。
そしてその仕事内容を、ユルゲンスさんにバラされたいのかと脅されているらしい。

「この子にはすまないと思ってる。でも、あの時は私だって……!」

そうしないと、生きていけなかったから。あたしには、それがとても難しくて。
でも、当たり前に家族がいて、当たり前に家があって、学校に行けて、友達がいて……あたしがとても平凡で幸せな日々を送っていたことは、分かる。エリーゼのときのように、イスラさんに向けて『分かってあげたい』なんて口が裂けても言えそうになかった。
瞬間、イスラさんの体がくずおれる。いわゆる土下座に近い形だった。

「お願い、彼には黙っていて!」
「ユルゲンスは知らないのか?」
「言える訳ないじゃない!ユルゲンスはとても純粋な人なのよ」
「なぜ話せないんだ?すでに過ぎたことだろう」
「あなたも女ならわかるでしょ。こんな醜い女を彼が愛してくれるわけがない。あのことを知られたら……私は捨てられる」

あなたも、なんて言葉、ミラには通用しないんだけども。そして、あたしにも難解だった。
誰かを愛したことも誰かに愛されたこともないから『愛されなくなる瞬間』なんて分からない。愛される幸せを知らないから、愛されなくなる不幸も不安も分からないという、シンプルな話だった。
その対極にあるのが、イスラさんが抱えている感情ということは分かる。

「私は幸せになりたいだけだけなの。お願い……彼には言わないで……ください」
「ふむ。人間の愛というのは難解だな。私には理解出来そうにない。どうするかはエリーゼ、お前が決めるといい」
「どうしてわたしなんですか……」
「私たちよりその権利があるだろう」

施設へ連れて行かれた本人であるエリーゼが……というのは、確かに一理も百理もあるんだけど、今のエリーゼには傷口に塩というか。エリーゼはミラからの選択権に、かなり不機嫌な声で返事をしていた。
対し、イスラさんは額を地面につけた状態で懇願する。

「今さら、私が償えることなんてないけど……。お願いします……」
「どうでも……いいです」
「どーせ、エリーゼが一人ぼっちのなのは変わらないんだから」

ティポの口から吐き出された言葉が、何よりもエリーゼの本音だった。
エリーゼはあたしたちから距離を取り、シャン・ドゥの街の下に流れる川を覗き込む。
どうでもいいと、好きにすればいいと放り出されたイスラさんは、この場に留まっていても仕方ないと。あたしたちの目に入らないようにするのが一番だと思ったのか、ゆっくりと立ち上がる。そしてそのまま、ふらふらと姿を消した。
なんとも救いがないな、と。

「それじゃ、ユルゲンスさん探そっか。ワイバーンの話しなきゃね」
「そうだね。広場の方にいれば、いいけど」

重たい空気を和ませようと、あえて明るく言い放ったレイアにあたしも続ける。
イスラさんを見送ったあとに、その恋人であるユルゲンスさんと話さなければならないのは……なんとも気が進まないが。
それでもあたしたちは、中央の橋に向かって歩き出すのだった。

そうして橋を歩くも、渡ったの先にもユルゲンスさんの姿はなかった。
変に探すより同じ場所に居座っている方が気づいて貰えるかもしれないと考え、待ってみるも、時間は虚しく進むだけで。
最初は立っていたエリーゼも、今回の出来事には思うことが沢山あるらしく、あたしたちと少し離れた場所で座り込んでいた。

ジュードくんとレイアは大丈夫だろうかと心配そうに見つめていたけど……あまりべったりするのも良くないだろうと、あたし含め経過を見守ることにしていた。
するとエリーゼが席を外している今だからこそ、ローエンが「増霊極について少し気にかかることがあるのですが」と話し出す。あたしたちは、静かにローエンの気がかりを聞くことにした。

「ナハティガルがガンダラ要塞で行っていた実験……。あれは増霊極を使用するためのものだったのではないでしょうか」
「確かにあのとき、研究員みたいな人たちがティポを触っていたね」
「では増霊極がすでにラ・シュガルにも渡っているのか?」
「そう考えるべきでしょうね」

増霊極は、エリーゼくらいの子供でも精霊術の使用を可能にし、魔物と戦えるようになれる言わば武器だ。となれば、クルスニクの槍に次いで新たな脅威になるのではないか……そう考えるのは自然であり、考えるなと言う方が無茶である。ミラの表情が強張った。

「両国の兵が増霊極を持って戦えば、かつてないほどの惨事が待っている」
「ホントにそんな戦いが始まるの?」
「少なくとも、ナハティガルにはその戦いに踏み切れる理由がある」
「クルスニクの槍だね……」

逆に、戦争のために作ったのではないかと思われるほどの兵器だ。もちろん、それが本来の意味合いではないと、あたしは知っているけど……。

「おお、戻ったのか!」

瞬間、横から入って来たユルゲンスさんの声に、全員の思考が止まった。探していた人物の登場に、やっぱり動かず待っていて正解だったなと思った。
アルクノアを追いかけて行ったあたしたちを心配していたユルゲンスさんは、無事に戻って来たことに安心していた。

その後に進む話はワイバーンの件だ。
かなりのいざこざがあったといえ闘技大会はキタル族の優勝に変わりはないため、準備はできているのかとアルヴィンが尋ねる。ユルゲンスさんは頷いたけど、

「今は戦の雰囲気が高まってるとかで、王の許可なしには空を飛べないんだ。私はこれから首都カン・バルクへ行って、王の許可を貰ってくるつもりだ」

そう、これは、期限切れの合図なのです。ついにここまで来てしまったんだなあと、アルヴィンにはバレてるだろうけど、あたしは一人今後を考える。
そんなあたしの考えは漏れず、ナハティガルとは別の王という立場に、ジュードくんが反応した。

「ねぇ、ア・ジュール王に戦いが起きたら危ないってことを伝えた方がいいんじゃない?」
「王様、評判良いみたいだし、わたしたちと戦ってくれたりしないかな」

ううーん、なんとも難しい。間接的な協力をしてはくれるけど、一緒には戦ってくれないんだよなあ。というか、それもアルクノアを倒すまでの話だし……。
と考えていると、ふとレイアの視線がこちらを向いた。

「輝羅ってたしか、ア・ジュールの人だよね?王様に会ったことある?」
「ふあい!?ア・ジュールの王様!?み、見たことはあ……あるなぁ……」

なんて下手な嘘をつくんだあたしは。
自分でも擁護できない驚き方にビビる暇もなく、あたしは適当なことを言い放った。それでもレイアは「じゃあどんな人かまでは分からないか……」と信じ込んでいたけど。
どんな人って、それはもう……王様だよ。語彙力がついてこないわ。

そんなあたしの間抜けな嘘を置いて、どうやら乗り気ではないないらしいアルヴィンがレイアに突っかかる。

「つか、その戦いって戦争だぞ!?」
「私も直接会って研究所の真意を確かめたいと思っていた」

思ったからには行動するのがミラだぞアルヴィン。そしてミラが行くとなれば、全員が行くわよアルヴィン。諦めなさい。
頭をかいて不満げなアルヴィンに向けて、あたしは心でエールを送る。その間に、ミラはユルゲンスさんに向き直っていた。

「ア・ジュール王に会いたい。すぐカン・バルクとやらに出発するぞ」
「すぐはやめた方がいい。着込もう。それはもうモコモコに」
「はは、そうだな。荷物をまとめてくるから、待っていてくれ」

あたしの言葉にユルゲンスさんは笑い、それこそすぐに準備に取りかかろうと身を翻すのだった。

はあ、今からカン・バルクに行くと思うと、考えるだけで寒くなってきた。
ミラはそんな時間があるのかと、着込まなければならないのかと疑問を浮かべてるけど……ミラが一番着込んで欲しいなあたしは。

「ねぇ、研究所の真意って?」

と、あたしがカン・バルクの寒さに身震いしていると、ミラの発言に疑問を抱いたレイアが首を傾げる。あたしが言わなくてもレイアが質問してくれるから、その部分は抜けが生じなくてありがたい。

「エリーゼがいた研究所って、他にもたくさん子どもが連れて来られてたらしいんだ」
「ア・ジュール王が民を守る存在なら、私の望み答えを持ち合わせてるはずだ。たが、別の答えを持つのであれば、金輪際やめると誓わせる。どんな手を使っても」

なかなかにハーフハーフ、だよね。
ミラの言い分に共感したレイアは大きく頷いた。

「うん。そうだね。ガツンと問いただしちゃおう!」
「おおおう……」
「え?輝羅のそれは、どういう心理?」
「いやあ……あたし……応援する……」

あのガイアスにレイアがガツンと言えるとは思えず、というか、言えないと知ってるあたしは、レイアの意気込みに苦笑いしてしまった。
見たことはある設定となったあたしの態度に、レイアは少し不安になっていたけれど。

「あ、そうだ。そういえば宿屋に荷物起きっぱなしじゃない?」
「私たちが取ってきましょう」

荷物の在り処に気づいたレイアはそう言い、ローエンと共にまずはエリーゼの元へ向かって行く。きっと、次の行く先の説明も兼ねて呼びに行ったのだろう。
未だ拗ねているエリーゼはすぐに立ち上がる様子を見せなかったけど、二人に無理やり立たされ、手を引かれ、連行に近い状態で宿へ向かって行くのだった。

「そんじゃ、俺もちょっくら……」

次に動き出すのは、アルヴィン。
自由行動の時間じゃないんだけどなー。レイアとローエンに荷物を持って来させて良いご身分なこと。
歩き出すアルヴィンを、ミラが止めた。

「アルヴィン。よくやってくれた。エリーゼを守ってくれると信じていたよ」

ミラに背を向けているアルヴィンがどんな表情をしているかなんて、あたしには分からないけど。好印象でないことだけは……分かるけど。
アルヴィンは数歩進んで、くるりと振り返った。

「ぼく、約束したから覚悟決めたんだよ。ママ〜」

そう言ってあざとく投げキッスをしたアルヴィンは、またあたしたちに背を向けて歩いて行くのだった。
なんというか、

「なにあの気持ち悪いの。ほんとに成人してる?」

26歳に対して、不信感を抱く17歳であります。
アルヴィンがあえて面白可笑しく言ったと分かるジュードくんは笑っていたけど、あたしはそんなに優しくはないぞ。というか、

「あたしは?あたしは何度、置いて行かれるの?」

あっちが勝手に戻って来るから別にいいんだけど。でも認めちゃっていいのかは、そろそろもう分からなかった。





夢見がちな瞳を閉じて
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