Prism Transparent

46.ここにいるのにどこにもいない

どのくらい時間が経ったのかは分からない。ただ走ったあとの呼吸の乱れや、発作によって強ばった体はすでに解け、意味もなく座り込んでいる状態であることは、分かっていた。
なんというか、立ち上がる気力が失われたというか。綺麗な空だなぁとか、あの雲はさっきまであそこにいたなぁとか、あたしはかなり呑気なことを繰り返し考えていた。

でも、出発しなきゃ。なんていう、外出前の気だるさを抱きながら、呆然とする。そんなとき、背後から地面を蹴る複数の靴の音が聞こえてきて、あたしははっとした。

「そこにいるのは輝羅か!?」

どうやら相手側もあたしの姿に気づいたらしく、そう確認を叫ばれた。声でミラだと分かったあたしは、皆が追いついたことに驚いた。かなりの時間、座り込んでいたらしい。

あたしが座り込んでいると見たからか、背後の靴音が速くなる。振り返った頃には、話せるくらいの距離になっていた。

「……ごめん。追いかけてたんだけど……途中で発作が起きちゃって。アルヴィンに先に行ってもらったの」
「謝ることではない。体の方はどうだ?」
「結構な時間座ってたから、もう大丈夫……」

現状を伝えたあたしは、ようやく座りっぱなしだった体を起こす。勢いよくくずおれたけど、靴下に穴は空いてないみたいだった。
パンパンと全身の砂を払い、出発の準備を整えたあたしは、ジュードくんたちと合流して王の狩場を進んで行くのだった。

皆と合流した時点で当然というか。途中でアルヴィンの背中もエリーゼの背中も見つけられはしなかった。次第に終点であるリーベリー岩孔に到着し、自然に囲まれている狩場とは打って変わった"施設"へと足を踏み入れた。

「これまでの場所とは、ちょっと違う雰囲気だね」

ジュードくんも言ったよう、そこは少し不気味な雰囲気を持っていた。
霊勢の影響で太陽の光は僅かしか差し込まず、明かりが灯らず薄暗い。山の麓に作られているらしく、中心部分は大きくへこみ、大きな空洞を作っている下ははっきりと見えなかった。入口の壊れた精霊灯や所々に残る戦闘の傷跡を見るからに、何者かによって襲撃を受けた印象があった。きっと、何かの理由で放棄したんだろう、と。

空洞の先々を行き来できるよう掛けられた木製の橋はボロボロに割れ、その放棄は色濃くなる。放棄されてからかなりの年数が経っているように思えた。
放棄、という意味に間違いはないと知っている。だってここは──

と、あたしがどこか寂しげな空気を肌で感じて周囲を見渡していると、何かに気づいたローエンが歩き出す。屈んで確かめるように地面を見つめる。

「足跡があります。それもまだ新しい……」
「小さい足跡……きっとエリーゼだよ!」

ローエンの行動に続いたレイアも、地面にくっきりと付けられた小さな足跡を見て言った。どうやら二人がここに来たのは、間違いないらしい。
そうだと知ったあたしたちは、二人を探すために施設の探索を始めるのだった。

ただ鉱山のように発掘のあとを残すそこは障害物にあふれ、魔物の巣窟になっていた。現代で言うなら、こんな場所を心霊スポット……とか言うのかな。
生きている精霊灯が逆に不気味さを作り出しているところも"まさに"という感じだったけど、光の入らないこの場所でその精霊灯は唯一の頼りだった。

所々残されている足跡を探りながら施設を進み、崖を降り……と繰り返すこと幾分。中層部のあたりであたしたちはようやくエリーゼと、先に向かわせたアルヴィンを見つけた。

「あ、あそこ!」

エリーゼのワンピースが見えて叫んだあたしは、先頭を走って迎えに行く。エリーゼは地面にぺたりと、アルヴィンは壁に背を預けて座り込んでいた。
無事、とはとても言い難い状態の中、アルヴィンの苦しげな声が聞こえた。苦痛に耐えるよう目を伏せ、お腹周辺を抱えているアルヴィンを見て、怪我を負っていると察したジュードくんは即座にアルヴィンの元へ向かう。

「ねえ、しっかりして、アルヴィン!」

肩の力がぐったりと抜け、座り込んでいるアルヴィンの肩を叩くと、彼は疲れ果てた様子で伏せていた目をうっすらと開いた。

「んだよ……俺に任せるんじゃ……なかったのかよ……」
「今、治療するから」

アルヴィンに意識があることを確認したジュードくんはそう言って治療を始める。アルヴィンの無事が確認できると、レイアは地面に座り込んでいるもう一人、エリーゼへと向き直る。
もしかしてエリーゼも怪我をしているのかと近づくと、あたしたちが来たと知ったエリーゼは勢いよく立ち上がった。

一番近くに立っているレイアではなくミラの腹に抱きつき、エリーゼは大声で泣き出してしまった。何かがあったと見たミラは困惑しながらも抱きついてきたエリーゼの頭を撫で、宥める。見た感じ、怪我をしている印象はなかった。
レイアは最初に近づいた自分ではなく、遠くに立つミラへ真っ直ぐ向かったエリーゼを切なげに見たあと、地面に転がっているぬいぐるみを見つけた。

「よかった。ティポも無事だね。おかえり」

ここまで来た本来の目的であるティポを持ち上げ、地面に叩きつけられた体についた砂を払う──が、どうしてか、ティポの体はだるんと後ろに仰け反っていた。レイアの声に反応したのか、ぽかんと開いた口から言葉が吐き出される。

「はじめまして。まずはぼくに名前をつけてね」
「え?」
「はじめまして。まずはぼくに名前をつけてね」
「どういうことだ、これは」

誰かの声に反応するように作られているのか、どこか無機質な声で同じ言葉が繰り返される。完全に"初期化"された状態。分かってはいたけど、空虚な声を聞くと心にポッカリと穴が空いた。

「アルクノアの一人がティポから何かを抜き出した途端、そうなっちまった」
「ティポ……。やっぱり仕掛けで動いてたんだね」

治療は無事に終わったらしく、アルヴィンはそう経緯を話す。分かってはいたけどエリーゼのために黙っていたジュードくんも、ティポが仕掛けで動いていたと再確認させられ顔を俯かせる。
エリーゼはジュードくんの『仕掛け』という言葉に、最初よりは落ち着いた鳴き声で同じ言葉を繰り返していた。

「うん。自分で動いて喋るように作られたぬいぐるみだったんだよ」
「でも、それでも……お友達だったんです」
「エリーゼ……」

ハ・ミルで誰も話してくれない中、ずっと傍で寄り添っていてくれた友達。仕掛けがあったとしても、村にいたエリーゼを救っていた唯一であることに変わりはなく、エリーゼはもう一度泣いてしまいそうな声で胸の内を吐き出した。
未だミラの腹に抱きついたままのエリーゼの頭を、あたしも一緒に撫でる。その間にミラの視線はアルヴィンへ移っていた。

「アルヴィン、アルクノアは?」
「一人はやったがもう一人には逃げられた」
「アルヴィン、感謝する」

アルヴィンにアルクノアの行方を確認したミラはそう言うとエリーゼの体を引き剥がし、地面に転がっている黒匣を踏み潰す。一人取り逃したのは惜しいが、一つでも黒匣を消せるのであれば上々……と言った感じか。
ただ──剥がされたエリーゼの体が、納得していない様子で微かにふらつく。あたしがエリーゼの肩を受け止めている間も、呆気なく剥がされたエリーゼは目を見開いて驚いていた。

「ミラ、ティポは……?」
「抜き取られたものを取り戻せば、もとに戻るんじゃないかな?」
「アルヴィン、アルクノアが逃げたのは?」
「とっくの前だよ」
「では、盗まれたものを取り返すのは難しいだろう。もうここには用はないな」

ミラが「ティポの中身を取り戻しに行かない」と言っていると、幼いエリーゼにも分かったらしい。強い困惑を抱えた表情で、ミラをみつめる。

「でも……ミラなら……」
「お前がヤツらを探したいと言うのなら、止めはしない。だが、それならお前とはここでお別れだ」

ミラはエリーゼとアルヴィンを追いかけて来たと言うよりは、アルクノアが持つ黒匣を破壊するためにここまで来た。
となると、その目的を達した今、ワイバーンを手にすること──その先にあるイル・ファンが、ミラの最優先になる。
ミラが助けてくれないと知ったエリーゼはジュードくんとレイアを見たけど、言ってしまえば二人もミラの手伝いのためここまで来たというもの。エリーゼの味方をすることはなかった。

二人の態度に、困っていたエリーゼの表情がむっと膨れっ面になる。分かりやすほどに、不機嫌な顔になっていた。
きっとエリーゼが二人の後にあたしを見なかったのは、あたしに決定権がないと分かっているから……なんだと思う。アルヴィンが行かない限り、行けないからね。

殺伐とはしていないも、どこかピリピリとした穏やかではない空気を感じたローエンが、口を開く。

「ひとまず街に戻りましょう」
「……そうだね。ここは魔物が多いし」

長話をするような場所ではない。今はぼんやりと照らしている精霊灯も、どこまで持つか分からないし。
あたしはエリーゼに「行ける?」と極力和やかに話しかけ、顔を覗きむ。強ばっている顔が解けることはないけど、エリーゼは頷き、レイアが持っているティポを胸に収めるのだった。




ここにいるのにどこにもいない
201221

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