大会参加者の食事に毒が盛られていたという事実は瞬く間に街中に広がり、闘技大会は一時休止を強いられていた。
関係者が状況を収集してくれたため闘技場は落ち着いているけど、熱気に包まれているはずの街は、どこか不穏な空気をも漂わせ。
ユルゲンスさんたちが今後の方針を話し合っている間、あたしたちは宿の一室で控えていた。
当然その中に、飛び出したアルヴィンの姿はない。宿に向かう際に街を簡単に探してみたし、先に宿に戻ってるのかもと予想を立ててみるも、見つかることはなく。
一体どこに……と全員が悩む中、引き起こされた事件の真相を含め、黙り続けていたミラが話し出した。
「おそらくこの事件の首謀者はアルクノア」
「アルクノア?」
「私の命を狙い続けている組織だ」
隠すことなくキッパリと言ったミラの言葉に、全員の目がぎょっと見開かれる。アルクノアという組織があることすら初耳なのに、ミラの命を狙っている存在がいると言われると、驚きしかない。
けど、ミラも食べるはずだった食事に毒が盛られていたと考えると、繋がる点があった。
「まさか……無関係な人をこれほど巻き込んで……これは一体……」
「うむ……元々なんでもありの連中だったが、今回はとくに酷い」
「じゃあ、入口の崖崩れを調べていたのも、それが理由?」
「ああ。奴らの仕業だろう。ユルゲンスたちの報告が間に合って良かったよ」
あの場で食事に手を出した人は一人もいなかった。別の場所で食べていたのなら分からないけど……きっと、あの場だけのはず。仮にそうなら、あたしは毒によって死ぬ人たちを、助けられたことになる。間に合って良かったと、思うよ。ほんと。
でも皆が一番気になるのはきっと別にある。アルクノアという存在の有無も大切だが、何故アルクノアはミラを狙うのか、だ。ミラは、精霊の主マクスウェルだというのに。理解できないとレイアが声を張った。
「どうして!?何故狙われてるの、ミラ」
「私が、奴らの黒匣を破壊し続けてきたからだ。奴らが二十年前、突然出現して以来な」
「二十年前……」
話すべきかの苦悩を見せながら、ミラはあたしたちに背を向けて淡々と話す。
───二十年前。その年月は、きっとリーゼ・マクシアにとって大きな鍵。小さく呟いたローエンは、あの大津波を思い浮かべていることだろう。
「それじゃ、クルスニクの槍にも……。黒匣を使ってるあれにも、アルクノアが関係してるの?」
「確証はない。が、あれの出処はアルクノアだと考えている」
「ナハティガルは、ラ・シュガルの人だもんね……。アルクノアと関係していると思うと、ちょっと……」
という歪みを正す人は、いるんだけども。
ミラが確信を持てない理由であろう内容をあたしが呟くと、ミラは静かに頷いた。
「奴らは見た目では判断できない。常に街の人間に溶け込んでいる。私もこれまで黒匣が使われた際の、精霊の死を感じることでしか対象できなかった」
「え、精霊の死って……。黒匣は精霊を殺すの?」
そこでまた浮き出る真相に、ジュードくんは困惑する。黒匣の存在は告げられていたが、黒匣がもたらす結果までは誰一人知らされていなかったのだから。
リーゼ・マクシアの人たちは精霊の力を借りて暮らし、精霊は人が霊力野から生み出されるマナで生きる。けれど黒匣はその秩序を捻じ曲げ、術を発生させる際に精霊を死に追いやる。言ってしまえば、強制的に力を絞り出しているようなもの……なのかな。リーゼ・マクシア人からマナを搾取するときも、そんな感じだったし。
「黒匣は一件、夢のようなものだ。だが、黒匣は世界の循環を確実に崩す」
精霊を死に追いやることで一瞬にして力を得られるが、その代償は必ずしも存在する。精霊が枯渇し、植物は育たず、生命は絶えていく──すでに、エレンピオスが、そうなりつつあるわけだ。
アルクノアのこと、黒匣のこと。ミラの話を一通り聞いたローエンは、一息ついた。
「ふむ……私もまだまだですね。そのような大事を全く知らなかったとは……」
「知らなくて当然だ。人間に知られぬよう私が一人で処理してきたのだから」
「じゃあ今までずっとミラは……」
「世界の、僕たちのために……一人でずっと戦ってたんだ」
「そして、それがミラの使命……」
精霊と人を守る、マクスウェルの。
そして彼女は──似た想いを、あたしに託そうとした。その意味を、未だ深くは知れていないけれど……。
「だが、私が四大の力を失ったせいで、おまえたち人間を巻き込んでしまったことになる。すまない」
詳細を明かさなかったミラが今になって話し出したのは、アルクノアが表立って行動を始めたからなのだろう。ミラが負い目を感じる必要はないというのに、ミラはそう言って目を伏せ、小さく頭を下げた。
とき、部屋の扉がガチャリと開いた。入って来たのは、ユルゲンスさん。
「あ、ユルゲンスさん。どんな様子だった?」
「報告が早かったおかげか、死者は出さずに済んだよ。あと……決勝は明後日以降に持ち越しになった」
「中止じゃないんですか!?」
誰が誰を狙い、毒を盛ったかまで特定できたと言えるけど、肝心の相手は捕まっていない。次はどのような手を使ってくるか分からないと言うのに、ある意味放置を選ぶ決定にジュードくんは叫ぶ。
大会執行部でも随分と揉めたらしいけど、十年に一度の大会だからと中止の決断には至らなかったらしい。そこでも、アルクノアの介入が見られる。
その後ユルゲンスさんは未だ戻って来ていないアルヴィンへの伝言を頼み、詳細が分かり次第、報告に来ると言い残して去って行った。
残されたあたしたちは、確実に蠢めいている存在を頭の片隅に。不穏な空気の中、顔を見合わせる。
「大会、辞退した方がよくない?」
「あ、あの……わたしもそう思います」
「うむ……」
レイアとエリーゼの提案に、歯切れの悪い声を出すミラ。自分がいるからアルクノアは大会に干渉している。というのは、ミラも分かっているはず。それでも首を縦に触れないのは、元凶と言える存在の元に行く手段が失われるからだ。
ミラが決断を強いられていると見て、ローエンはひとまず話を終わらせた。
「もう今日は休みませんか?色々あってお疲れでしょう」
「うん、そうだね」
毒を盛られた食事が出てきたことも、行方を眩ませたアルヴィンのことも、アルクノア、黒匣のことも……。大会での肉体的な疲労だけでなく身体的な疲労。振り返ると色々あった。
あたしたちは男女で部屋に別れ、その日は体を休めるのだった。
時間は進み、就寝。そして目を覚ますには少し早い、明け方。空と太陽の光ではない灯火と、ガサガサと物が擦れ合う物音が聞こえて、あたしは重い瞼をふと開ける。誰か起きたのだろうか……と数秒間ぼんやりと考えたあたしだったけど、その『誰』がすぐに思い浮かんで、ベッドに転がっていた体を起こした。
目だけを動かして部屋をぐるっと見渡せば、本来なら寝ているであろう彼女は布団から抜け出ていた。装備を整えている時点で、外に出るつもりなのだろう。
あたしが何か言うより先に、起き上がったあたしの物音に気づいたミラは長い髪を揺らし、振り返った。
「……すまない。起こしたか」
「う、ううん……」
物音で起きたのは確かだけど、体まで起こしたのは、ミラがアルヴィンを探しに行くと知ってるから、焦ったというか。
とは当然言えないので、あたしはミラがどこかへ行こうとしていることだけを読み取った。
「……その、ミラ。どこかに……行くの?」
「……ああ。少し野暮用でな」
あえて問いかけてみたけど、アルヴィンを探しに行く、とは言われなかった。そこで隠すのは、まだあたしたちを巻き込むことへの躊躇い……なのだろうか。
何も言えず黙っていると、あたしの見越したような行動に、ミラが目を伏せてため息をついた。
「……などと言っても、分かるか」
ミラは、アルヴィンを探しに行こうとしている。そして『分かる』ではなく『知っている』、なんだけども。一番ずるいことを、しているんだろうな。
なんてことを考えていると、ミラはそっと伏せていた瞼を上げ、じっとあたしを見つめた。
「……輝羅、一つ、聞いてもいいか?」
どこか重々しい空気感を見せながら問いかけてきたミラに、あたしは「何?」と聞き返す。ミラの視線は、ぶれることなく。
「……君は、違うのか?」
「…………」
アルクノアの一員なのか……と、聞きたいのだろう。けど、ここで「違う」と言えば、アルヴィンが「正解」だと思われるのではないか。そして知っているのに黙っていたのかとも、指摘されそうで。あたしは何も言えなかった。
アルクノアとは違う組織から出っ張って来ていることに、間違いはないし。だから、
「ミラは……アルヴィンを、疑ってるの?」
こう言うしか、ないというか。
あの場で逃げた時点で、アルヴィンが深く関わってるのは良く見える話。それでも、アルクノアとアルヴィンと関係ない……アルヴィンを、疑いたくないと。信じるフリをしてぎこちなく伺えば、あたしと向き合っていたミラは背を向けた。
「皆が起きる頃には戻る。もしものときは、伝えておいてくれ」
あたしの質問に答えを示さず、ミラはそう言って部屋を出て行くのだった。
それじゃあ肯定なんだよなぁと、間違っていないんだけどなぁと、どうしようもない感情を混雑させながら、あたしの体は布団に逆戻りする。ボフンッと音が立っても、エリーゼとレイアが目覚めることはなく。
もう一眠りするか……と思いはするも、人との会話で地味に覚めた目では、二度寝はできず。皆が起きる頃に戻るのが間に合わないと知っているあたしは、言い訳を探すついでに朝になるのを待つのだった。
そうして、完全に朝を迎えたシャン・ドゥ。窓の外の空は変わらず鮮やかなオレンジに染まっているけれど、空気感は確かに朝だった。
残されたあたしたちは宿のフロントで合流したけど、その場にミラとアルヴィンが居合わせることはなく。早朝にミラと会話したあたしは事情を軽く話し、全員でミラを探しに行くことにした。
昨日にミラを狙った事件が起きた以上、無茶はしないだろうけど……。今までのミラの行動を考えると、皆としては心配というか。
宿を出て、中央の橋に向かって歩き出す。朝という時間帯でも街はすでに動き出していて、魔物は変わりなく街を歩き、お店もいつも通り開いていた。
どこから探そうかと周囲を見渡したときか。
「あ、イスラさん。おはようございます」
レイアが前から歩いて来るイスラさんを見つけ、声をかけた。レイアの挨拶に、イスラさんも微笑む。
「おはよう。昨日は大変だったわね。でも、あなたたちは運がいいわ」
「は、はぁ……。でも、人が亡くなりかけたんだし……」
「そ、そうよね。失言だったわ。ごめんなさい」
アルクノアに一枚噛んでいるからこその歪なやり取り。巻き込まれるところだったんだから、本当に運が良いんだけど……イスラさんの言葉選びにジュードくんは困った顔をしていた。
そのとき、エリーゼが前に出た。
「あ、あの……ミラ、見ていませんか?」
「あら、あなたときちんと話をするのは初めてね。ミラさん、一緒じゃないの?」
質問されたイスラさんは話しやすいように、エリーゼの身長に合わせて体を屈める。ミラが一人でどこかへ行った旨をレイアが伝える中、イスラさんはエリーゼをじっと見つめていた。
「あなた、前にどこかで……」
それはエリーゼに見覚えがあるから。ポツリと呟き、もう一度まじまじと見つめすイスラさんに、ローエンは尋ねた。
「イスラさん、ひょっとしてエリーゼさんをご存知なのですか?」
「エリーゼ……!?」
名前一つで、イスラさんは目をぎょっと見開いて後退る。驚くというよりは怯えの強い表情をしていて、全員が突然どうしたんだと疑問に思った。けど、イスラさんは首を振った。
「い、いえ、違うのよ。その……私、ちょっと用事があるから、これで失礼するわね」
知らない、ではなく、違う。困惑しすぎでおかしな反応をしてしまったイスラさんは、あたしたちの言葉に耳を貸すことなく、逃げるように去って行ってしまった。
なんというか……本当に……嘘が下手、なんだね……。抱えている内容が内容ってのも、あるだろうけど……。
ジュードくんがイスラさんの言動を不思議に思う中、レイアは話の矛先を戻した。
「ゆっくりしてる場合じゃないよ。ミラ探さなきゃ」
そしてあたしたちは、イスラさんの過剰だった反応を頭の片隅に置いて、街へと向かって行くのだった。
200514