Prism Transparent

30.それでも世界は理由もなく廻る

時々考えてしまうのは、あたしがリーゼ・マクシアに降り立った理由。
取り柄もないし力も持たないあたしがレムという力に選ばれ、全てを導くとされる透明な光と呼ばれる、理由。

精霊、人、そして愛する者を護れという使命を与えられ、こんなあたしにも変えられる世界があるのかもしれないと思った。
傲慢だと言われてしまいそうな意志だけど、あたしは皆を護りたい。与えてもらった『力』を持って。



事が動き出したのはウィンガルに手紙を出した丁度翌日。まだガンダラ要塞の件は連絡が来てないようで、一度ローエンに様子を見に行ってもらうことになった。
あたしたちは馬に乗って発つローエンを見送るため、屋敷から出ようとしたけど……。

「あ、あの……クレインさん」

屋敷を出る直前、あたしはクレインさんを止めた。

理由は一つ。物語と同じ道を辿るのなら、ローエンの見送り時にクレインさんは命を落とすから。
今後を考えるなら、物語通り進むべきなのかもしれない。けど、果て行く命をただ見ているだけ……なんて、あたしにはできそうになくて。

偽善だと他人は言うかもしれない。けど、自分が動くことでより良い未来が見えるのなら、この世界に来た存在価値が欲しいと思うのは、人間ならば一度は思うことだろうから。

だからあたしは、行動する。
クレインさんの命を救うためには原因への接触を絶つのが一番だと思い、クレインさんを呼び止めた。彼は不思議そうに、けれど穏やかな笑みを浮かべた表情で、あたしへと振り向いた。

「どうかしましたか?輝羅さん」

うっぅ、爽やかイケメンに自ら話しかけるだなんて……。しかも名前まで呼ばれるだなんて……恐縮するしかなくて別の意味で縮まってスルメになりそう。
込み上げてくる感情を押し込み、意を決する。

「え、えっと……その、クレインさんは、外に出るのは、危ないんじゃないかな、と思って……」
「……それは、どうしてですか?」
「先日のバーミア峡谷の件で、クレインさんはさらにラ・シュガル王に目を付けられてると思うんです。だからいつかは絶対、クレインさんを狙ってラ・シュガル軍が襲いに来る」
「……それが今だと、輝羅さんは仰りたいのですね?」

今じゃなかったとしても近い将来。それ以前に、"今"に来る可能性がある事実が、危険だと思う。
あたしの言い分を理解して続きを放ったクレインさんに、大きく頷く。

「なので、クレインさんは……お屋敷で待機してる方が、良いのでは……と」
「……なるほど。輝羅さんの言う通りですね。……でも、ローエンの見送りだけはさせて下さい」

自分の執事が、出発するんだもんね……見送りたいよね……そうだよね……。けどやっぱり危ないからなぁと、あたしは口を噤む。
どちらも引かず、な状態が沈黙と共に続いた。どちらが折れるかだなんて、言うまでもない。

「……なら、ローエンを見送ったらすぐに、屋敷へ入ってくれますか?」

親しい人の見送りを流せ、だなんて、言えそうにない。あたしがそう言うと、クレインさんは微笑みながら頷いた。
仮にすぐ入らなかったとしても、狙撃兵のいる場所は分かってるから助けられると思うし。とりあえず、あたしは買い物に行かずにクレインさんの傍にいなきゃね。
よし、と心の中で意気込んで、あたしはクレインさんを外へと誘った。

「それじゃ、ローエンのとこに行きましょうか!」
「……輝羅さん」

屋敷を出ようと扉に手をかけたとき、今度はクレインさんがあたしを止めた。落ち着いた声で呼ばれた名前に反応して、あたしは振り返る。

「ラ・シュガル軍に狙われる……。そのことは誰よりも僕が、分かっているつもりです」
「……え?」
「……いえ。はやくしないとローエンが行ってしまいますね」

自身の命を捨て置いてでも成したい使命が、守るべき存在が、いる。領主としての信念が態度から滲んで見えて、言葉にはされていない内心が浮かんで、自分の顔が暗く変化したと分かった。

なんて顔をしているんだと、軽く首を振る。
あたしより先に屋敷を出たクレインさんに変化が見えたかは分からない。けど、クレインさんはまるで、死を悟っているような目を、していたから。
辿るべき道を示されているようで、あたしは少しだけ唇を噛んだ。



「ではローエン。よろしく頼む」

屋敷から出ると、すでにローエンは出発の準備を整えていた。馬を引くローエンにクレインさんが言うと、ローエンは畏まりましたと礼をする。

ローエン曰わく馬を使えば一日で戻れるとのこと。つまりあたしたちは明日にはここを離れる、ということを意味していた。
そうだと気づいたドロッセルはエリーゼとミラ、そしてあたしにも買い物へ行こうと誘いを出してくれた。
知っていた展開だ。だからあたしは、

「あたしはここにいるよ」

買い物には行かないと、ずっと決めていたし。クレインさんのことがなかったら、行ってただろうけど……。
なんて事情を知らないジュードくんが、不思議そうに首を傾げる。

「いいの?輝羅」
「うん。人混みとかもあんまり好きじゃないし……」

あはは〜、と苦笑いしながら言えばあたしの苦手意識設定をドロッセルは受け入れてくれて、エリーゼと顔を見合わせる。ドロッセルはエリーゼと一緒に、ミラの腕を掴んだ。
あたしは良くて、ミラは強制……物語は強い。ある意味差別だよね、と思うあたしと同様に、ミラも気づいてるようだった。

「まて、話が見えない」
「エリーとお買い物の約束をしたもの。明日お別れかもしれないのなら、チャンスは今日だけよね?」
「それはそうだな。行ってくるがいい」

しかしエリーゼとドロッセルは顔を見合わせて笑うと、そのままミラを引き摺りながら歩いて行く。
自分より大きなミラを引っ張れるなんて、女子の底力は侮れないと思うしない。とくにエリーゼ。
ミラの表情は、時間が進むにつれて険しくなっていた。

「だから、なぜこうなるんだ?私が行く必要はないだろう?まず輝羅の言い分を受け入れるの解せないと言うか……」
「いいんじゃねーの?」
「たまには人間の女の子っぽいことするのも、おもしろいかもよ」
「行ってらっしゃ〜い」
「ふむ。なるほど。だが厳密には私に人の性別の概念は当てはまらないぞ。現出する際に人の女性の像を成したが……」

あと輝羅が残るのはやっぱり……だとか、続きを並べても聞き入られることはない。腕も離されず、ミラの声は次第に聞こえなくなるのだった。

微笑ましそうに広場へ向かった三人を見たあと──いいや、見た直前だからここ、クレインさんは決意を秘めた眼差しで空を見上げる。

「この今の幸せのために、僕も決心しなければいけない」

そして隣にいるジュードくんに向き直った。

「やはり、民の命をもてあそび、独裁に走る王にこれ以上従うことはできない」
「……反乱を起こすのか?」
「……じゃあ、戦争になるの?」

アルヴィンとジュードくんの言葉に、クレインさんは頷く。
どうやらナハティガルの独裁はア・ジュール侵攻も視野に入れてるようだ。そして彼ならば、民の命を犠牲にしてでもその野心を満たそうとするだろう……とクレインさんは続ける。
皆の命はもちろん、ア・ジュールに侵攻するのは許せない……とは思うも、あのメンバーなら最悪の事態にはならないだろう。そんな謎の信用が即座に浮かんだ。

と、そんなことよりもだ。
あたしは気を取り直して、周囲を見渡して狙撃兵の行方を探す。たしかあの建物の屋根上に現れるはずだと、視界を広げた。じっと見つめたら、あたしの視線を避けて別の場所に立つかもしれないしね。

「このままでは、ラ・シュガル、ア・ジュールとも無為に命が奪われる」

そのとき、予想していた屋根上に現れる一人のラ・シュガル兵。
あたしはいつでも助けられるようにと、最初からクレインさんの近くにいた。あとは矢を放つ瞬間に、クレインさんを助けられれば……。

「僕は領主です。僕のなすべきこと、それは、この地に生きる民を守ること」
「……なすべきこと……」
「そう。僕の使命だ。力を、貸してくれませんか?」
「ぼ、僕は……」
「僕たちは、ナハティガルを討つという同じ目的をもった同志です」

ジュードくんをじっと見つめるクレインさんが、遠くの屋根の上に立つラ・シュガル兵に気づくことはない。協力を求められたジュードくんも、近くに立つアルヴィンもローエンも、知らない。だから、あたしがやらなきゃいけない。
少し狼狽えているジュードくんに手を差し出すクレインさん。その手を握ろうとジュードくんは手を上げるけど……

「クレインさん!」

ラ・シュガル兵が弓を張ったと、矢が放たれたと気づいたあたしは二人の間に入り、そのままクレインさんを地面に押し倒した。
放たれた矢は誰にも当たることなく、カランと音を立てて地面に転がる。矢の行方を確認している間にアルヴィンは矢の意味を感じ取ったらしく、即座に銃を手に取って狙撃兵を仕留めていた。

良かった。クレインさんを助けられた……!
倒れたラ・シュガル兵を見たあたしは嬉しくて頬を歪めてしまいそうになったけど、なんとか抑える。咄嗟に押し倒してしまい、自分の下に座るクレインさんを見た。

「クレインさん、大丈夫ですか?」
「は、はい……」

突然のことに、クレインさんは驚きを隠せない様子で目をぱちくりさせていた。狙撃兵に驚いた……と言うより、あたしの行動に驚いてるのかもしれない。ローエンも、周りを見渡して警戒を強めていた。

「今のは狙撃兵……!もしや軍が……?」

可能性として呟きながら、ローエンはあたしによって地面に倒れ込んでしまったクレインさんを、そっと起こす。
屋敷の扉の前に立つ警備の兵も慌ててクレインさんに近づき、屋敷の中へ行こうと促していた。
あたしも辺りを見ながら体を起こし、他に狙撃兵はいないと分かると安堵のため息を零す。とりあえず、これで一安心……。

そう思いながら、あたしはクレインさんを兵士に任せるローエンを、屋敷の中へ連れて行く兵を見守る。ローエンは要塞に行かなきゃだから、見送りもここまで……。

「っ!クレインさん!」

警戒を解いていたあたしの目に映る、銀の煌めき。屋敷へと誘う兵士見せた色が刃物の反射だと気づいてクレインさんの名を叫ぶも、すでに遅かった。
兵士は銀を──短剣を、クレインさんに向けていた。刃が彼の身を刺すのは、一瞬だ。

ドスッ、と妙な音を立てて突き刺さる。呻き声と血が漏れ出す音に、酷い目眩を感じた。

「まさか、スパイ……!?」

まだクレインさんの命を狙う存在が近くにいただなんて、と立て続けに起こる事件に対処が遅れる。
クレインさんの腹に刺さった剣は引き抜かれ、溢れた血は屋敷前の白く純正な床を穢した。

きっとあれはただの剣ではないはず。そう思っているとクレインさんの体はゼンマイの切れた人形のようにガクンと、力をなくして傾いた。そのまま、地面に吸い込まれるように膝をつく。剣には、毒が塗られていたようだ。

「クレインさんを早く屋敷の中へ!」

クレインさんを刺した兵士を拘束し、ジュードくんは叫ぶ。
あたしたちは毒に犯されたクレインさんを支え、急いで屋敷の中に入って行った。



屋敷の中に入ったあと、あたしとジュードくんでソファで横になるクレインさんを懸命に治療する。どのくらいの時間が経ったかは分からない。けれど、ジュードくんが解毒の術をかけても、二人で治癒を続けても、クレインさんの様態は良くなる様子を見せなかった。
何より兵士がクレインさんを刺したことが衝撃的過ぎて、あたしは思うように治療ができなくて。だって……まさかスパイが乗り込んでいたなんて……。

その瞬間、限界が来たのかジュードくんは体をふらつかせ、へたり込んでしまう。ジュードくんはエレンピオス人とのハーフ……霊力野の発達が他よりも劣っているため、精霊術を使い続けるのは困難なのだろう。
でもあたしはジュードくんと違って精霊だ。だからまだ限界は感じなくて、治癒術を施し続けた。

「お願いします!どうか、旦那様を……」
「……ローエン、無理を言ってはいけない」

ローエンがお願いするものの、クレインさんは死を悟ったように言う。
そして自分に向いているあたしの手を、そっと遠ざけた。……まるで、無駄なことはしないでほしいと言うように。

「クレインさん、諦めないで下さい!必ず……必ずあたしが治しますから!」

あたしはそう言って、もう一度クレインさんに腕を伸ばす。しかし、彼は弱々しく首を振った。

「外へ出る前にも言ったはずです。命が狙われている……それは僕自身が一番分かっていると」
「だからって……」
「あなたは僕のことを助けてくれた。それに……兵は輝羅さんのせいじゃない」
「でも、でも、あたしは……」

クレインさんがこうなるって知っていたのに、なのに、止めることができなかった。
狙撃兵のことばかり考えて、周りに意識が行ってなかったのは自分。スパイの可能性ぐらい、頭を回せば考えられたはず。なのにあたしは、狙撃兵から助けられたと浮かれていた。

「クレインさん、ごめんなさい……ごめんなさい……」

今更悔やんでも仕方がない。それでも、あたしは謝ることしかできなかった。
クレインさんは小さく微笑んで、近くにいるローエンに視線を送る。

「僕はここまでのようだ……。この国のことを……頼みます」
「それこそ無理です!私に、そんな力は……」
「無理じゃないはずだ……『あなた』なら……」

ああ、気づいていたのかと、ローエンの瞳が少しだけ見開かれる。クレインさんはローエンが誰であるかを……。
クレインさんはその言葉を最期に、ローエンに希望を残して、息を引き取った。

「クレイン様!っ、そんな……」

……人が、死んだ。
侵食する虚無感に抗えず、俯くローエンの隣で、あたしの時間が止まる。

クレインさんが息を引き取ったとほぼ同時か、カラハ・シャールに配備されている兵が、慌てた様子で屋敷へと駆け込んで来た。
ただ、報告をしようと思っていた領主がソファで息絶えているのを見て、言葉を詰まらす。ローエンは自分を律して静かに「報告を続けてください」と兵士に言い放った。

「ラ・シュガル軍が領内に侵攻。街中でも戦闘が発生している模様です」
「街にはミラたちがまだ……!」
「……私たちはお嬢様たちを保護しに参ります。……輝羅さん、行けますか?」
「……うん。大丈夫だよ」

あたしは冷たくなっていくクレインさんを見ながらローエンの気遣いに頷き、座り込んでいた体を立ち上げた。





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