ジャオから走って逃げたあたしたちは、追いつかれることもなく無事にカラハ・シャールに着いていた。
まああえて追いかけて来ない……のも、あるかもしれないけど。それに樹界を通ってきたから、普通より到着が遅れちゃったなぁ……。謎の疲労感も感じていた。
「もうでっかいおじさん来ないかなー?」
「この雰囲気の中までは追ってこれまい」
仮に追いついたとして、街の中で暴れることはないだろう、と。ジャオはラ・シュガルの人間ではないから、色んな意味でこの街は不利だろうしね。
ジャオを気にしたエリーゼとティポにミラが話す中、あたしはぐるりと周辺を見渡す。知ってはいたけど、ちらほらと軍人の影を見つけた。ちゃっかりと、配備されているらしい。
当然、気づいたのはあたしだけではない。軍人を見たアルヴィンは、情報収集をしようと目の前にある骨董屋に足を運んだ。
客を装って店の前でしゃがみ込み、商品を見る振りをして、アルヴィンは店主へと話しかける。なんというか、手慣れている。
「なんだか、街のあたこちが物騒だな?」
「ええ。なんでも首都の軍研究所にスパイが入ったらしくてね。王の親衛隊が直々に出張ってきて、怪しい奴らを検問してるんですよ。まったく物騒な話で……」
店主の男性はそう言いながらアルヴィンの後ろに控えているあたしたちの顔を見渡し、最後にジュードくんに目を止め、顔をしかめる。あの険悪な指名手配書で、分かるものなんだなぁというか……。
ジュードくんは一瞬見破られたかと狼狽えたけど、まあ……男性に確信はなさそうだった。そりゃあ、あんな絵だもの。確信などなくていい。
「……キレイなカップ」
と、情報収集するアルヴィンと違い、エリーゼは店の商品に釘付けになっていた。なんというか、自由だ。
まあエリーゼの場合は仕方ないというか。ハ・ミルは穏やかな村だから、カラハ・シャールみたいな活気のある街は、エリーゼには新鮮みたい。見たことのない世界に、瞳を輝かせていた。
そんな彼女の瞳は、店内を見ていた一人の女性が手に取っているカップを捉えていた。
その女性はそう、ドロッセル。ドロッセルもエリーゼ同様、赤色の繊細な線で模様が描かれたカップに魅了されていた。
ううん。やっぱりドロッセルも可愛いなぁ。
「でも、こーゆーのって高いんだよねー」
「そりゃあそいつは『イフリート紋』が浮かぶ逸品ですからねぇ」
「『イフリート紋』!イフリートさんが焼いた品なのね」
イフリート紋=イフリートが焼いた模様。となる世界は、すごい。もしかするとイフリートを祀るために人間が適当に考えた紋様かもしれないのに。そんなのがあるのかも、知らないけど。
すると『イフリート』という言葉に反応したらしいミラが、ドロッセルが持つカップをするりと奪い取った。
カップを投げ、くるくると回しながら確かめるようにカップを見る。
「店の物をそんなくるくると……」
「安心しろ。落としはしない」
そういう問題なのか。骨董品を割って連れ回される理由が増えるのだけは、避けてもらいたいな。お客様困りますー!案件に属しそうで何よりだ。
あたしが思う中、ミラはカップを好きなだけ見回し、満足したらしく一度だけ「ふむ」と頷いた。
「それはなかろう。彼は秩序を重んじる生真面目な奴だ。こんな奔放な紋様は好まない」
「ほっほっほっ。面白いですね。四大聖霊をまるで知人のように」
知人なんですけどね〜の前に、生ローエンである。楽しそうに笑い声を上げる老人の声は、ドロッセルの隣から聞こえてきた。
生ローエンだなんて、生キャラメルみたいな言い方をしてしまったが、見た目は甘さよりも苦さが香るダンディなおじいちゃんだ。お喋りしたら、甘くてくすりと笑ってしまうのだろうけど。
そんなローエンも、ミラに続いて説明を始める。本物のイフリート紋はもっと幾何学的な法則性を持つものだと、カップの付属の皿を手に取った。彼が注目するのは、裏側だ。
「おや、このカップがつくられたのは十八年前のようですね?」
「それが……なにか?」
「おかしいですね。イフリートの召喚は二十年前から不可能になっていませんか?」
それはもう、おかしいですね〜?はい〜。
てなわけで、ローエンのトドメの一言に、男性は「う……」と認めざるを得ない心境を漏らした。嘘はいけませんよ〜。
本来なら店の評判が下がるであろう販売。ドロッセルは眉を下げた。
「残念、イフリートさんがつくったんじゃないのね……。でもいただくわ。このカップが素敵なことに変わりないもの」
それでも、ドロッセルは商品の虚偽の指摘はしないのだけれど。
自身の街の店に甘くていいのかと思う反面、これがドロッセルの魅力だとも思う。貴族らしさや心の広さを感じるというか。
ドロッセルはイフリートが作ったものではないと知って尚、繊細な模様の入ったカップを購入するのだった。
「ふふ、あなたたちのおかげで良い買い物ができちゃった。ドロッセル・K・シャールよ。よろしくね」
「執事のローエンと申します。どうぞお見知りおきを」
買い物を終えたドロッセルは、言葉通り喜びの笑顔を浮かべながら、嬉しそうにあたしたちへ名を明かした。
嘘の品に大金をかけずに済んだのだから、"良い買い物"だろう。申し訳なさそげにカップを値下げした店主の顔は、忘れられそうにない。
「……でも、あたしたちのおかげというか……しっかり見抜いたのは執事さんだと、思うんですけどね……」
「最後のひと押しは私かも知れませんが、付け込む隙を頂いたことに変わりはありませんので」
なるほど。そういうものなのか。
と言っても、付け込む隙を与えた当の本人は、どうってことない顔で立っているのだが。天然で引き起こした結果なのが、良く分かる。
天然には天然を、というように、ドロッセルは続けた。
「お礼に、お茶にご招待させて頂けないかしら?」
「お、いいね。じゃあ後でお邪魔するとしますか」
「私の家は、街の南西地区です。お待ちしておりますわ」
アルヴィンしか返事はしていないのだけれど……なんか、行くことになりましたとさ、と。
屋敷の場所を言い残したドロッセルは、ローエンと一緒にその場を去って行くのだった。
過ぎ去る二人の背中を見送っている間、トントンと進んだ話にミラは難しい顔をして眉間にシワを寄せる。言いたいことはまあ、分かる。
「そんな暇などないのだかな」
「ま、街にいる間は利用させてもらう方が色々好都合だろう」
「確かにそうかも。こんなに厳重じゃ宿にも泊まれなさそうだし」
「ドロッセルさんの気品さ的に〜きっと豪邸かな?宿より絶対に豪華だとも思う」
豪華、なんだけども。なんだかドキドキする。
まあ、二人に続けて言えば、気にするとこはそこかとジュードくんに呆れられてしまうんだけど。
「ふむ。では街の様子をうかがってから、お茶にするとするか」
「ミラが言うと、初めて聞いた言葉を使ってみたい子供……みたいだね」
マクスウェルはお茶なんて、しないだろうに。
絶対に意味は分かってないだろうなぁとは思うも、ミラならきっと気に入ると思う確信はあった。だって、お菓子食べれるし。
あたしが思う中、ジュードくんとアルヴィンも、ミラから出る違和感に笑っていた。
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