蒼白のプリマヴェーラ

64.覗き見た万華鏡の銀河

夏の食事で気をつけたいのは、やはり食中毒だろう。熱を入れないサラダなどの傷みやすいメニューは避け、しっかり火を通す料理を選ぶ。
安全とは言い切れないそれが傷まないよう、保冷バッグに保冷剤を詰め込むも、少量だけ。何故なら、荷物になってはいけないからだ。

8月28日。特別実習当日。セレネが参加するA班は、レグラムへ向かう段取りになっていた。
レグラムはクロイツェン州にあるエベル湖の東の湖畔に位置する小さな街であり、ラウラの故郷でもある。案内役を任されるラウラは必然的にA班のメンバーであり、他はリィン、ユーシス、エマ、ガイウス、ミリアム……と、比較的穏やかなメンバーで固められていた。騒ぐとすれば、セレネと新規枠であるミリアムくらいだろう。

そうして各班に参加者が一名ずつ増える中、先月の帝都実習と異なるのは、列車で数時間揺られること。セレネはシャロンと共に弁当を用意したわけだが、加えて今回は荷物を最小限に抑える必要があった。

実習地の発表時にサラに同席したナイトハルトから、2日間の実習後に両班でガレリア要塞に向かうと、伝えられたのだ。
ガレリア要塞は帝国の東部にある、共和国側に構える帝国正規軍の一大本拠地。そこで行われる行事はまさに士官学院ならでは。と思わされるのだが、セレネは期待よりも不安が勝っていた。
恐怖ではなく、強い疑念。特別なスケジュールを用意されているとも聞いている。一体、何を見せられるのだろう───と。

セレネはそうした"違い"を知らしめる弁当作りの、残り少ない作業として、大量に握ったおにぎりを仕分けていた。

「2人増えるだけでかなりの量だなあ……」

ゴロゴロと転がる、混ぜご飯のおにぎり。夏を言い訳に栄養が偏らないよう、高菜としらすを混ぜたおにぎりを、保冷バッグに並べていく。
吐き出した独り言通り、2人増えるだけで、保冷バッグはパンパンに膨れ上がっていた。

セレネの計算が間違っていなければ、食べ切れるのは確か。残る心配をしていないセレネは、弁当の準備を終えた。
瞬間。食堂の扉が、勢いよく開かれる。

バアンッと、けたたましい音を鳴らして開く二枚扉。年季の入った扉の破損が心配になる勢いに、セレネの視線は即座に扉へ向いた。
もし、扉が金具から離れ、ぷらぷらと泳いでいたら───という現実は、幸いなことに訪れず。
扉を開いた人物、ミリアムは、手と足を大きく広げて仁王立ちしていた。

「セレネー!おはよー!」
「おはよう、ミリアム」

扉を勢いよく開いた名残を感じさせるミリアムに、セレネは挨拶を返す。返事をもらったミリアムは、同じ音を立てて扉を閉め、ステップを踏みながら食堂の中へ入った。

「実習!実習!」

リズムに乗って、歌うように。くるくると回って、踊りながら。ミリアムは奥へ進んで、台所の前。机を挟んで、セレネの前に立った。
そこで、存在感ある2つの大きな袋に目を奪われる。

「なに?それ」
「列車で食べるお弁当だよ」
「えー!ピクニックみたいー!」

セレネから袋の正体を教えてもらったミリアムは、元から興味津々と輝かせていた瞳をさらに輝かせ、楽しげに叫ぶ。
今から実習に向かうとは思わせない雰囲気に、セレネも自然と笑顔になった。

その後、食堂にいるのがセレネとシャロンだけと気づいたミリアムは、首を傾げる。

「ねえねえ皆は?」
「皆は……まだじゃないかな」
「ボク起こしてくるね!」
「え?起こさなくても皆起き、」

る。と、言い切ろうとしたセレネの語尾は、儚く溶けた。届けたい相手が、すでに来た道を戻っていたからだ。ミリアムは風より速く。光速に乗って、セレネの前を去っていた。

ぽつんと取り残されたセレネは、消えたミリアムの背中の色を、ぼんやりと眺める。

「……行っちゃった……」
「ふふ。実習をとても楽しみにされていたのですね」

セレネとミリアムのやり取りを見ていたシャロンは、微笑ましそうに笑った。
初めての実習に心躍らせているミリアムを見て、セレネはどうしてか、孤児院にいる気分にさせられるのだった。

その後、各々で集まってくるクラスメイトたち。セレネはB班に所属するアリサに弁当の片割れを渡し、A班の集合を食堂前で待つ。
ミリアムの餌食にならず済んだメンバーが次々と集まる中、残りは2人。そのうちの1人であるリィンが、朝からすでに疲れている顔で、他4人の前に現れた。
その瞬間に、悟る。

「フフ、どうやら散々な目に遭ったようだな」

ミリアムに強制的に起こされたのだろうな───と。案の定、リィンはラウラの言葉に頷く。
何をどう起こされたのか詳細は不明だが、そこに心労があると察せる。リィンの表情は惨事を物語っていた。

「しかし、よっぽど楽しみで仕方なかったんだな」
「だね〜。お弁当を見てピクニックみたい〜って騒いでたし」
「ああいう姿を見ていると、年相応にしか見えないな」

うんうんと、ガイウスに同意を込めてセレネは深く頷く。
それとは別に気がかりがあるセレネは、リィンの後ろに続く階段をチラリと覗き見た。

A班。ミリアムを除いてあと1人……なのだが。未だに姿を見せていない彼に、セレネはここ数日の出来事を踏まえた心配が、湧き上がる。
そして残念ながら、先刻の扉と違い杞憂とならず、セレネが求める答えを引き連れて戻ってきた。

「おっまたせー!」

高らかに声を上げたミリアムの後ろをついて歩くは、セレネの脳を埋め尽くしていた存在、ユーシス。
心底鬱陶しそうに眉間に皺を寄せ、不満いっぱいの顔つきをしている。昨日から今日の数時間の間に痩せたのでは、と思わせるほど、げんなりとしていた。

「ユ、ユーシス……」
「誰か……このガキをなんとかしてくれ……」

本日もくっきりと眉間に皺を寄せたユーシスが、不満を吐き出す。
眉間に刻まれる皺は今に始まったことではなく、セレネも己が元凶の一つであると自負しているが、ユーシスの空気感で行動を決めるセレネと違い、ミリアムは純度のみでユーシスに接している。操作するしないの領域にいないことが、ユーシスの不満を増幅させていた。

セレネも避けている類のスキンシップをやってのけるミリアムの発想力と精神力には、セレネも驚きが隠せない。
少しの同情も抱えつつ、自身の立ち位置として思うところのあるセレネは、眉をしょんぼりとハの字に下げた。

「はあ……私のユーシス愛の尊厳が……。私も初めての実習のときから、やっておけば良かったかなあ……」
「やるな」

と返事が返ってくるのは、セレネ以外も読めていた。

A班の全員集合を確認したセレネたちは、その足で駅へ向かう。レグラムに向かうには、まずケルディック経由でバリアハートへ。バリアハートでエベル支線という、2時間に一本しか出ないローカル線に乗り換える必要があった。

ノルド実習地ほどではないが、セレネが経験した実習では、二番目の長旅となる。
今の時刻は朝7時。事が上手く進めば、到着は昼頃になる見込みだった。1日目からもしっかり課題があるため、上手く乗り換えたいものだ。

今後の方針を線路表の前で決めたセレネたちは、ジュライ特区へ向かうB班と顔を合わせ、2日後にガレリア要塞にて落ち合う挨拶を交わし、改札へ向かうのだが───。

「うむ、行くみたいだな」

第三者の声が聞こえて、振り返る。
セレネたちとは逆側、ホームから現れる人物に、A班全員の視線が流れた。そして、

「ひっ!?」

セレネは、思わず叫び声を上げてしまった。
手に持っていたお弁当袋を咄嗟に抱き上げて、体を隠す。不意打ちとしか言いようのない現象に、不可思議な自衛しかできなかった。

季節外れの冷や汗を感じたセレネとは裏腹に、相手はなんてことない顔をしている。
相手と顔見知り以上であるミリアムは、ホームから改札を通った彼───レクターの元へ走った。

「あれれ、レクター?ひょっとしてボクに会いに来たとかー?」
「おお、明後日からオレもクロスベル入りすっからなァ。今生の別れになるかもしれないし、こうして挨拶に来てやったのだ」

どうやら彼も、クロスベル市にて行われる《西ゼムリア通商会議》に参加するらしかった。鉄血宰相が出向く以上、一番の側近であるレクターの参加はほぼ必然。セレネにも分かる。
それとは別に、レクターから吐き出される言葉が軽く思えるのは、セレネだけではなかった。

「あはは、そーなんだ。でも、レクターとオジサンが簡単に死ぬわけ無いじゃん」

セレネが軽々しく思えたのは、すなわちそういうこと。レクターから深刻さを感じなかったのだ。
大胆に笑い飛ばすミリアムへの返事さえ、レクターは不真面目さを滲ませる。それを眺めていた外野のうち1人であり、レクターの存在を知らない唯一。ラウラが小声でクラスメイトに尋ねた。

「何者だ……?」
「帝国情報局のレクター・アランドール大尉だ」
「ノルドの地に現れた者だな。共和国軍との交渉を成功させて、戦争を防いでくれたそうだが……」

会ったことがある側も、詳しい人物像は分からない、というオチであった。
肩書だけで、いつもどこで何をしているかなどは不明。謀報関係者には見えない、という話も出る始末。ミリアムの次に接点があるであろうセレネも、交わしたとして日常会話程度。あえて踏み込むのを避けている部分もあるため、内部は謎に包まれていた。

一通りミリアムと会話したレクターは、ミリアムを捉えていた視線を、後方に立つセレネたちへ向けた。

「ま、怪しさてんこ盛りだろうが精々普通に付きやってくれ。迷惑をかけたら遠慮なくお尻ペンペンとかしていいぜ。セレネ嬢あたりは得意だろ」
「そんな特技持ってませんけど……」

適任者として名を呼ばれたと分かるも、セレネはため息を零す。
もちろん行為の有無問われると、あることはあるのだが、得意というわけではない。教育課程の一例に過ぎないため、セレネにとって馴染み深い方法ではなかった。

レクターの発言に反応するのはセレネだけではなく、ミリアムは唇をつんと尖らせ、不満いっぱいの表情で拗ねて見せた。

「レクターじゃあるまいし、迷惑なんてかけてないってばー。ボク、イイ子だもん」
「イイ子は銀色のデカイのを所構わず出したりしないんだよ。ったく、どれだけもみ消しやら情報工作をやってると思ってんだ?」
「あれ、そーだっけ?」

自覚のないミリアムに、呆れぬ者はいなかった。

すると、狙った間合いでアナウンスが鳴る。独創的な会話はそこで幕を閉じ、レクターに見送られる奇妙さを抱えながら、セレネたちはホームへ入って行くのだった。

完全にレクターに背を向けたセレネは、抱えたままだった弁当袋を下ろし、チラリと視線だけを背後に向ける。レクターはその場から動かずA班を眺めていたため、意味もなく見つめないよう、即座に向き直した。
ぶつぶつと、積み重なる不安を並べる。

「遠目から発見されてたら絶対見られてる……いや絶対向こうが先に気づいてた……どうしよう……」
「そういえば、ノルドのときも敏感に反応していたな。セレネとしては気にかけたいところなのか?」
「うん……でも、クレアさんはいいの。心配なのは、レクターさんだけで……」

ミリアムは現時点でセレネの家族と深い接点がないため、心配する必要はない。クレアはすでに黙ってくれているため安全牌。残りの筆頭は、セレネも知らないため割愛。
となると、悩まされるのは、どちらにも転べそうなレクターのみなのだ。

そこでZ組の格好を見たのか、と確認して墓穴を掘りたくはない。「家族には言わないでください!」なんて、保証のない口約束など、もっとしたくない。確証がないのなら、沈黙を選ぶのが賢い。
賭けられるとすれば、彼の善意くらい───。ここで彼に善意が『ある』と自信を持って言えないところが、セレネとしては痛いところなのだが。

真意を確かめられぬ以上、悩んだとて時間の無駄。そう切り替えたセレネが列車に乗り込むと、近くにいたミリアムがぴょんぴょんと走り出した。

「ボク、窓側がいいー!」

そう言って、ミリアムは指定席を取っているボックスへ向かう。発言通り窓側にストンと腰を下ろし、真隣に広がる大きな窓ガラスから、外を眺めた。

発車していない列車の窓を覗いたところで景色は変わらないのだが、今から列車旅が始まると思うと、居ても立っても居られないらしい。
ここだけを見ると、やはり年相応である。ミリアムの様子を微笑ましく眺めたあと、セレネは彼女の隣に腰を下ろした。

今までの実習と同様に、席は男女に分かれて座った。4人いる女子は少々窮屈であるが、女子故に居心地の悪さは感じない。男子側の窓側の席には、ユーシスが座っていた。

やがて列車は出発し、まずはケルディックへ。
トリスタの街並みを過ぎて、街道を渡り、幾分か経過したとき。景色は一気にケルディックの街特有の、麦畑へと変化を遂げた。
乗車中、常に窓の外を見ていたミリアムは、その変化に釘付けとなる。

「うわ〜なんか青々してるね〜。ねえねえユーシス。麦なのになんで青いのー?」

ユーシスの実家が、このクロイツェン州を治めているから。というよりは、真正面にユーシスが座っているから。が正しいだろう。
ミリアムからの名指しの質問に、元より子供の面倒見が良いユーシスは、丁寧に答えていく。

「……クロイツェン州では小麦、大麦、ライ麦が栽培されている。それを季節ごとに生産しているから、今は秋収穫の小麦が実っている最中だ」
「あ、なんか変なカカシがいた〜!あはは、レクターみたいな顔でおもしろ〜い!」
「……ぐっ……」

しかし、質問の回答より興味を唆られるものを見つけてしまったミリアムに、ユーシスの返事は届かなかった。
朝もそうだが、完全にミリアムの流れに呑まれているユーシスに、セレネも思わず苦笑いをしてしまう。気苦労が耐えない人だなと、他人事に思えてしまった。

そうして興味が転々とする子供らしいミリアムに合わせるのは、ここまで。ラウラが「このあたりで今回の実習地の話をしておこう」と話を切り出した。

「レグラムは帝国南東部のエベル湖の湖畔にある小さな街だ。私の実家、アルゼイド子爵家が治め、クロイツェン州に属している」
「クロイツェン州……ユーシスの父親が管理している州だったか」
「……まあ、一応はな。ただ、レグラムと言えば独立独歩の気風で知られている領邦だ。州を管理する公爵家の威光など気にもしていないだろう」

良い意味でも、悪い意味でも。相手を敬っているようにも嫌味にも聞こえる、ユーシス特有の言い草だ。
ユーシス個人としては、公爵家の在り方に並ばない子爵家に、思うところはないだろう。だが、公爵家は別───。

それを匂わせ、客観的に捉えるか悲観的に捉えるかを、聞き取り手に任せる。
だが、皮肉が混じったユーシスの奥を、見抜けぬラウラではない。一度ゆっくりと頷いた。

「まあ、否定はしない。どうも父───アルゼイド子爵は自由闊達すぎるところがあるからな。だが増税といい、そなたの父君もいささか問題があると思うぞ?」
「フン、分かっている」

ラウラにはラウラの主張があることをユーシスに伝えた瞬間、一瞬にして空気がピリッと乾いた。8月に感じるはずのない冷気が胸を通る感覚に、直接関わりのないエマとガイウスの表情が曇る。繊細な問題に触れてしまった後悔が滲んでいるが、金の問題は貴族社会によくある諍いだ。
アルマース侯爵家の本家と分家の争いも、金の問題ありきなのだ。複雑な問題であることは、セレネにも痛いほど分かる。

そこでふと気づくのは、今回A班にZ組の貴族生徒が全員集まっている。ということだ。
セレネと近しい位置に立つリィンが、間に入った。

「確かに《四大名門》は絶大な権力を持っているけど……だからといって、それぞれの領主が管理するのが基本だからな。税についても各地の習慣法があって色々面倒くさいのは確かだ」
「そうらしいですね……。どうやら帝国政府は国内の税制度を統一しようとしているみたいですけど」
「フン、貴族派と革新派が対立する最大の争点の一つだな。ちなみに俺の父に言わせれば『天地がひっくり返ってもありえぬ』だそうだが」
「革新派の主張も分かるが……。地方にはその土地なりの伝統や習わしがあるのも事実だ。それを全て統一するのはいささか乱暴ではないかと思う」

セレネがそれぞれの主張を聞いていると、いつの間にか貴族間の話ではなく、革新派と貴族派の話に移っていた。
どちらかというと、セレネにはその手の話題のほうが厳しい。むぐ、とセレネが口を結ったことに気づいたのは、前の席に座っているガイウスだ。

「根深そうな話だな……と言いたいところだが。セレネの顔がどんどん渋くなっているな。ここまでにしよう」
「す、すみませ……。その手の話は……お腹が痛くなるもので……」
「いや、セレネが謝ることではない。別の話に移ろう」

右にも左にも向けず、板挟みされているセレネを気遣って金問題の話は終了する。
気遣わせてしまった申し訳無さはあれど、感謝の方が大きいセレネは、素直にクラスメイトに甘えるのだった。

他のレグラムならではと言えば、やはりアルゼイド流だろう。帝国伝統の騎士武術を伝える流派《ヴァンダール流》と並んで帝国における武の双璧であり、帝国各地から門弟が集まる街とされる。
そしてアルゼイド流の宗家、別名《光の剣匠》の名を持つ人物こそ、ラウラの父である。
ラウラは、実父についてこう話す。

「娘の私が言うのもなんだが、軽く人の域を超えている。少なくとも、帝国においては3本の指に入るのは確実だろう」

と。
領邦軍や正規軍の武術師範を務めているらしく、領地を留守にすることも多いようだ。
今回も実習地に選ばれはしたが、肝心のアルゼイド子爵がいるかは不明───ラウラはため息を零していた。

レグラムについての話が一通り終わったとき、ユーシスがチラリと窓の外を見る。
窓の外は、未だにケルディックの麦畑が広がっている。出発したばかりの旅路に思いを馳せる視線をセレネが見ていると、視線に気づいたのか、話し始めた。

「バリアハートまでまだ時間があるな。到着たらさっさと乗り換えるとするぞ」
「そのつもりだけど……少し残念だな。時間があればルーファスさんにもご挨拶したかったところだが」

ユーシスの隣に座っているリィンの返答に、セレネもうんうんと頷く。

「そうだね〜。未来の義理の妹として、やっぱ挨拶は必要だよね〜」
「偽の情報を与えるな」
「ええん?ルーファスさんもその気だった気がするけど……」

バリアハートでの出来事を忘れていないセレネは言うも、証拠はなく、抗議の手段としては乏しい。仮に社交辞令だったとしても、社交辞令が言える程度には可能性がある立ち位置だと、セレネは楽観的に捉えていた。

とはいえ、バリアハートの街に繰り出し、挨拶しに向かったところで、ルーファスもそこまで暇ではない。挨拶の件は落ち着き、会話はバリアハート実習の話に移っていた。

「そう思うと、バリアハートに実習に行ったの、だいぶ昔のように感じるよね〜」

月日で言うとたったの3ヶ月なのだが、『たった』で片付け難いほど、学院生活、特別実習───と、様々な意味で濃厚な日々を送って来た。故に、随分と昔のように思えてならなかった。
その中でセレネが思い出すは、やはりほろ苦い記憶だろう。

「あの頃のユーシスはそれはもう冷たくて冷たくて……。さすがのセレネちゃんも心が折れそうだったよね〜」
「いや、そうは見えなかったけどな……」
「でもでも〜今は完全に攻略完了!て感じだし〜。セレネちゃんの愛が届いた証拠だよね〜!」

リィンのツッコミをスルーしてペラペラと語るセレネであったが、肝心のユーシスは興味なさそうに窓の外を眺めていた。
が、こうした空気感すら、セレネは今や心地の良いものとなっている。話を振れば、きちんと返事をしてくれると知っている。勝手に喋って満足すると思われているのなら、それでいい。

ユーシスに愛を届けることを主体とするセレネは気にならない。
今回はユーシスではなく、ミリアムの逆隣に並んでいるエマとラウラに話を振った。

「これぞ継続は力なり!だよね〜」
「はい。これからもセレネさんの勇姿をしっかりと見させていただきます」
「アリサにも任されたことだしな」
「任さ……?え……?なんの話……?」

想像の斜め上の返事に、セレネは戸惑う。
勇姿を見る。そして観察する。記録でも残しているのだろうか。とまで考えたが、ラウラに「こちらの話だ」と話を切られたセレネは、深追いできなかった。

置いてけぼりを受けたセレネはミリアムを見たが、きょとんとしているため、おそらく彼女は含まない。
エマとラウラの秘密のようだが、悪意を感じなかったセレネは「まあいいか」と。バリアハートへの到着を待った。



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