夜。就寝時間を迎える一歩手前。
扉を開けると、氷に包まれたかのような冷気が肌を刺す。
「う〜、やっぱり夜は冷えるな〜」
長居するわけじゃないし、コートとか羽織らず出て来ちゃったけど、後悔する寒さに腕をさする。
これからもっと寒くなっていく時間帯の旧市街は、お店の看板の明かりが消えていて薄暗い。それはモンマルトも例外ではなく、私は早く閉店作業を終わらせようと、作業の1つである看板を掴んだ。
「……?」
時。私は頭上───雑居ビルの屋上で、淡い光を見つけた。煌々と光っているというよりは、一部がカッと光って漏れている、というか。暗闇でスマホを開いているときの光のようだった。
この雑居ビルの個室は、ほぼ解決事務所のメンバーが借りていると聞く。いるとすれば、事務所の誰かなんだろうけど……。こんな寒い中、何をしてるんだろう。
思った矢先、ふわふわと浮かぶ銀色が見えて、私は察する。同時に屋上にいる理由も分かった私は、看板を持って店の中へ戻って行った。
タンタンタンと、階段を踏む音が鳴る。解決屋の人たち全員が寝静まってるとは思えないけど、騒々しく上がるわけにも行かないため、ゆっくりと。両手が塞がって、足元がよく見えないっていうのもあるけど……。
私は両手を片手に変えて、空いた手で屋上の扉を開く。その音で、望遠鏡を覗き込んでいた人物は、こちらに振り返った。
「やっぱりカトルくんだ。こんな遅くまで作業してるの?」
地上から見えた銀色がFIOに見えたのは、気のせいじゃなかったみたい。カトルくんはランタンの形をした導力灯を一つ置いて、何やら作業している様子だった。
「あ、四葉さん……お疲れ様。モンマルトの帰り?」
「うん。今日はもう上がり。閉店作業のときに、屋上が光ってたから見に来たの」
そう言いながら、私はカトルくんに歩み寄る。距離を縮めたあと、初めは両手で持っていたトレーを、私たちの間に置いた。
「あとこれ。良かったらどうぞ」
「差し入れ……いいの?」
2つあるコーヒーカップの隣りにあるのは、ブラウニー。ナッツとドライフルーツを土台にした、比較的シンプルな味わいに仕立てたお菓子だ。
予期せぬ差し入れに驚くカトルくんだったけど、私が単身で来なかったのには理由がある。
「そういう作業って、やりだしたら止まらないのは分かるから、せめて体を冷やさないようにと思って」
集中力が続いている時ほどやめたくないし、キリのいいところまでやり遂げたい気持ちも分かる。だからこそ、風邪引くからやめなさい!とは言えなくて。
ならば、差し入れが無難。
2つのコーヒーカップから上る湯気は、我ながら冷えた外ではとても魅力的で。持ってきて、それじゃあさよなら〜もなんだか切なかったから、自分の分も持ってきちゃった。
中身は少しだけ甘みを効かせたカフェオレ。一緒に持ってきたのがブラウニーだから、ココアはくどいかなと。ある意味、眠気覚ましの意味合いもあった。
私の言葉に、カトルくんは微笑む。
「ありがとう。でも、FIOのお陰でそこまで寒くはないよ」
「FIOのおかげ……?」
どうしてそこで、FIO?
そう思って真上でふよふよ浮いているFIOを見ると、私の視線に気づいたFIOは手元に降りてくる。
「FIO、ヒーターモード、展開中」
「ヒーターモード……!?なにその画期的な機能……!」
FIOがカイロの役割を果たしてくれるってこと?いや、ヒーターなんだから、持ち運び式ヒーターになるのか。扇風機は見たことあれど、ヒーターはないや。
試しに手元に降りて来たFIOに手のひらをかざすと、確かに温かかった。すごい技術。
「……は〜。この機能も、カトルくんがつけたんだよね……専門外すぎてすごいとしか……」
「僕からすると、いつも正確に料理するビクトルさんや四葉さんもすごいと思うけど……」
「え〜、でも、料理は覚えればできるよ」
「科学も覚えればできると思うよ」
あ、なるほど。物事を覚えたいと思うか否か。根気を見せれるか否かの問題、ということか。つまり私は科学を学ぶ気が一切ない、ということになる。興味の振り幅がすごい。
と思っている間に、カトルくんは四角に切られたブラウニーを一つ摘み取って、口へと運んだ。
「四葉さんの作るお菓子はなんでも美味しいね。ヴァンさんが煩くなるのも分かるよ」
「なんかちゃっかりヴァンさんをディスってるね?」
確かに、静かではないから、煩いとしか言いようがないけど。
それにぶっちゃけ、同じものばかりじゃなくて、ヴァンさんに食べてもらってないお菓子を作る方向に進みそうになっている気も……しないことなかったりするんだよね。
私はコーヒーカップの1つを手に取って、逆手で服の上からカップを包む。直接触るのは、まだ熱い。
「……四葉さんって、どうしてパティシエになろうと思ったの?」
「え……どうしたの、急に。それに聞いても楽しくないと思うよ」
突然そんな話に発展すると思わなくて、コーヒーカップの中身を見ていた私の視線はカトルくんへ向く。
そのときには、カトルくんもコーヒーカップを手に取って、同じように中身を覗いていた。
「なんとなく聞いてみただけ。それで?」
それで。つまり、折れる気はないと。
でもここで『秘密』にした方が、後々話しにくくなると分かる。何故なら『秘密』にするほど、中身のある話ではないからだ。
「……すごいきっかけがあったとか、運命の出会いがあったからとか、そんなんじゃないよ」
なので前置きをして、話し始める。
そこら辺にある普通の家庭という自覚はあるし、両親のどちらかがパティシエで、将来店を継がなければならないとか、それの影響を受けたとかいう夢のある話でもない。思い返してみても、『あの瞬間だったな』という決定的なきっかけは、見当たらなかった。
「小さい頃からなりたいって言ってたらしいし、子供の憧れから始まったんだと思う」
ガラスのショーケースに並ぶ色んな種類のケーキ。一つ一つに命を吹き込むかのように色、形、味、大きさまで違っていて、視界を埋め尽くすそれはお店に入った瞬間に異世界を呼ぶ。
繊細な模様に固まったチョコレートを見ると、食べ物なのに1つの工作物に思えて。砂糖やゼリーでコーティングされたつやつやのイチゴタルトは、高価な宝石に思えて。綺麗な世界に子供ながらに、子供だからこそ、純粋に惹かれたんだろうな、と。
「まあつまり……気づいたらその道に進んでたんだよ」
ある意味、感情を抱いたのが運命だった。と締めるしかないくらい、きっかけがない。
我ながら面白くない話だなと客観視して、カフェオレを啜る。ちょうどいい温度で、体が温まった。
「……気づいたときには傍にあった、という意味では、僕も同じなのかな」
「ん、それはそうかも」
そう言われると、突然夢を抱いた理由を聞いてきたカトルくんの行動も、頷ける。
カトルくんはコーヒーカップを持ったまま、一度くるりと後ろにある望遠鏡に振り返って、視線だけを私に戻す。
「ねぇ、四葉さん。今日の旧市街は星がよく見えるんだ。一緒に見ない?」
だから、寒い中、ここにいたのか。
二度目の納得の理由に、私は嬉しそうに話すカトルくんに頷くのだった。