今まで学んできたこと全てを出し尽くし、集大成として完成させる課題。卒業制作。
コンクールや学園祭が控えている秋口といえど、学校内で話題に出始める頃で、私もどんな作品を作って学校生活を終えるか、考えない日はなかった。
ありがたいことに就職先は決まっているから、焦って成果を出す必要はないんだけど……。決まっているからこそ、中途半端なものは作れないという使命感もある。
味、デザイン、材料と全てに拘りたい私は、少しずつでもいいから資料を集め、制作に取り掛かろうと思っていた。
思っていた、のに。こんなことになるだなんて。
見慣れない景色。匂い。人。
さっきまで神戸の街を歩いていたはずなのに、私は気づけば知らない場所のソファに寝転んでいた。
意識が、記憶が、全くない。むくりと体を起こして周囲を見渡してみるも、全く知らない場所だった。
雰囲気からしてお店……なのかな。遠目でカウンターが見えるし、他にも似たテーブルとソファが並んでいる。小洒落た今時のレストランぽくはないけど、親しみのある昔ながらの洋食店という印象。ビストロ、というやつなのかな。
ふわりと香る洋食の匂いは、お腹が空いてなくても食欲がそそられる。
「あー!お姉ちゃんおはよー!」
と、声が聞こえたので私は振り返った。おはよう、という挨拶は、さっきまで寝ていた私にはぴったりだから。
私を呼んでいると踏んで振り返ると、そこには幼稚園くらいの女の子が立っていた。女の子らしいピンク色の髪。紫色の瞳がこちらを覗いて……え?ピンクの髪?紫色の瞳?
カラーリングが流行っている今どき珍しくはないけど、それが幼稚園に通う子供くらいの容姿と考えると、パンチが効いている。しかも子供の髪をピンクに染めるだけでなく、紫色のカラコンまで入れているのだ。なんてファンキーなご両親。
そうして幼女のカラーに心を奪われている私は、向けられた挨拶に何も返せず。もはや挨拶されたことさえ忘れて、ぱちぱちと瞬きだけを行っていた。
「お姉ちゃん大丈夫ー?」
返事をしない私に幼女は目をまん丸にして、首を傾げる。大丈夫、なのだ。大丈夫……なのだけれど……大丈夫じゃない。
やはり何も返せずいると、
「良かった。目が覚めたのね。体調はどう?」
幼女と同じ髪色の女性が現れた。
恐らく、幼女の関係者。私と10歳は変わらないだろうから、間違いなければこの子の母親。つまり、幼女の髪をピンクに染めた両親……。お揃いのカラーリングなのか……。
警戒させない優しげな雰囲気を持つ女性は、思い描いていた幼女の母親像と離れていて。そのギャップがさらに困惑を呼み、瞬きすら忘れそうだった。
と、とりあえず、心配してもらってるのだから、答えなきゃ。不明点は多いけど、痛むところとか、苦しいところはないわけだし、質問には答えよう。そう思って話そうとした私だったけど、
「お、目ぇ覚ましたみたいだな」
今度は青髪の男性が現れたんですけど!?何、この店、カラーバリエーション豊富すぎでは!?逆に染めないと働けないシステムとか!?
冷静に対処しようとした心持ちが一気に吹っ飛んでしまい、私はまた困惑の渦に逆戻りしていた。
どうやら、私の困惑は顔に出ていたらしい。察した女性は、最後に介入してきた男性へと振り向いた。
「少し混乱しているみたい。モンマルトの前で倒れていたほどだもの。本人も状況が把握できてないのかもしれないわね」
そう言ってから、女性はまた私を見る。「温かい飲み物を持ってくるから待っていて」と言い残し、お店の奥へと姿を消した。
正に気配りのできる大人の女性。同性である私も少しドキドキしてしまった。
にしても、モンマルトの前で倒れていた、か。不可解な言葉だけど、それが全てとも取れる言葉に、私は考えさせられる。モンマルトというのは、きっとこのお店の名前なんだろうけど……。
けどすぐに、この場にいるのは私だけではないと思い出して、考え耽るのはやめた。移動せず居座っている男性を、チラリと覗き見る。
初対面の人と同じ空間に放置されるのって、なんだか緊張する……。しかも男性だし、年上だろうし……。
何か話した方が良いのかなと思う反面、何を話せばいいのとも、思ってしまう。強面な雰囲気はないから、話しかけても物が飛んできたりはしないだろうけど、適当にあしらわれそう……。なら、わざわざ話さなくてもいいかなとか。
そんな私の気まずい空気感を感知した男性は、同じく気まずそうに。悩ましそうに頭をボリボリとかいた。
「……あー、別に取って食ったりしようとか思ってねえから、落ち着いてから話せばいい」
それはどちらかというと、私を気遣っての言葉だった。警戒が解ける言葉を選んでくれたみたいで、自然と肩の荷が降りる。
最初に男性を見かけたとき、青い髪のインパクトが強くてあまり探らなかったけど……。第一印象をよく掴めていなかっただけで、芯のある落ち着いた雰囲気の人だった。
すると、女性が戻ってきた。「どうぞ」と飲み物を差し出されたので、これにはきちんと「ありがとうございます」と礼を伝えた。
ようやくの第一声目だ。言葉を発せるくらいには落ち着いたと、私だけでなく大人二人も思っているに違いない。
初めに声をかけてくれた女の子も、変化に気づいて首を傾げた。
「お姉ちゃん、もう大丈夫ー?」
「ふふ、うん。大丈夫。ありがとう」
聞かれるのは二度目だから、ずっと心配してくれていたのかな。お礼と一緒に、不意に笑みがこぼれた。
そのあと、女の子を見ていた視線を、立ったままの大人二人へと戻した。きちんと話すのなら、子供相手にではなく大人だと思って。
「えっと……その、すみません。私自身、なにがなんやら……」
「気が動転しても仕方ないわ。私はこのお店の手伝いをしているポーレットよ。こちらはヴァンさん」
「あ、私は千坂四葉といいます」
まさか自己紹介されると思ってなかったけど、教えてもらったからには私も答えないと。
えっと、ピンク色の髪の女性がポーレットさんで、青髪の男性がヴァンさん。ニュアンスからして日本人ではなさそう。まさか海外の人だったとは……。
ただ小さな女の子は、ユメちゃんというらしい。こっちは日本でも通りそうな名前だけど……わざわざ日本に来てるんだから、憧れでつけたとかかな。にしては、日本語ペラペラ。すごい。
髪を鮮やかな色に染めてるのが、アメリカあたりで流行ってるのかとかは、地味に気になる。
「えっと……千坂ちゃん?」
「あ、四葉が名前です」
名前を呼びたいと感じ取って、訂正する。アメリカだとファミリーネームが後ろだもんね……そうだったそうだった。
ただ、ヴァンさんが私の名前に反応した気がするけど……初めて聞く、珍しい名前だったかな?
と思うも、ポーレットさんが話を続けたので遮る。
「四葉ちゃん、お店の前で倒れていたんだけど……何があったか覚えてる?熱はなさそうだったから、とくに処置はしてないけど……」
「体調は……大丈夫です。だるいとか、しんどいとかもないです」
倒れていたら、そりゃ一番に体調の心配だよね。体温以外の異変がないか尋ねられた私は、体調に一切の不調がないことを伝える。
次に、何があったかについて、だ。意識を失う前に何をしていたか、一緒になって確認していく。
「私、製菓の専門学校に通っていて。卒業制作の下調べにと、百貨店の洋菓子コーナーをうろうろしていたんですけど……」
なんで、お店の前で倒れていたんだろう。洋菓子コーナーの所で倒れたのなら、まだしも。
店の前までわざわざ運び込まれたなんてことはありえないし、まず百貨店のフードスペースに、こんなお店あったかな?小さい子が居座ってお店を切り盛りしているのなら、小耳に挟みそうなんだけど……。
うーん、と悩む間。ヴァンさんは私がパティシエの卵だと気づきながら、言葉の真相を探す。
「百貨店といえば、駅前通りのウェストン百貨店が出てくるが……」
「えきまえどおり……?」
なに、その言い方。聞いたことない。地元の人特有の言い方だったりするのかな……いや、私もその『地元の人』に入るはずだし……。
年配の方、とも括れないから、謎は増すばかり。
「えっと、その、ここって、どこですか?一番何駅が近いですか?」
呼び方については考えていても仕方ない。これさえ分かってしまえば片付く話だと思って尋ねるも、
「ここは8区の旧市街よ。地下鉄なら、すぐそこにあるけど……」
8区?旧市街?
何それという話だし、地下鉄にそんな駅なんて存在しない。謎が増してしまって、私は『またおかしな言い方をされた』という顔じゃなくて『どこですかそれ』という顔になってしまった。いや、本当にどこ、なんだけども。
正体不明の土地で倒れていた理由は分からないけど、このままては埒が明かないため、私はスマホでマップを開いてみることにした。鞄はきちんと手元にあるから、スマホも財布も健在のはず。
鞄の中からスマホを取り出すと、ヴァンさんが珍しそうな顔をした。
「ザイファ……とは違う端末だな」
「ザイファ……?機種名ですか?」
またまた聞いたことのない単語を口にされ、色々と通り越して疑問を感じなくなってきてしまった。なんというか、さっきからこの調子。会話できてるのに、噛み合ってないんだよなあ……。
ザイファ。どこの国の、会社名だろう。日本ではなさそう。
「あれ……圏外……」
なんとなく会話をしながらで電源をつけてみるも、電波マークにバツが表示されていた。山奥……というわけでもなさそうだし、回線の調子でもよくないのかな……。
そうしてスマホをいじる私を見て違和感が走ったのか。次に話しかけてきたヴァンさんの雰囲気が、変わったような気がした。
「……身元を証明できるものはあるか?」
「え?あ、学生証なら……」
どうして突然、そんなことを言い出したのかは分からなかったけど……。真剣な表情をしているし、何か思うところがあると見て、私は素直に専門学校の学生証を差し出した。
それを受け取ったヴァンは、沈黙。内容を確かめる時間だと思えなかった私は、首を傾げる。
「……どうかしました?」
「……これ、どこの国の字だ?」
「どこ……って、日本ですよ?」
まさかここ、日本じゃなかったの?
でも、言語伝わってるよね?あれ?
困惑する私と同じく、ポーレットさんの顔も不安げになる。まだヴァンさんが持っている学生証をチラリと覗き見ていたけど、彼女も見たことがなさそうだった。
どこどこの文字と雰囲気が似てるとかなんとか言ってるけど……雰囲気だけが似てても困る。同じであってもらわないと。
瞬間、手元に戻される学生証。年のために内容を確認してみたけど、私の名前で、生年月日で、そして学校名にも嘘偽りはない。これは私の学生証だ。
ならどうして、伝わらないのか……。
チラリとヴァンさんを窺うと、彼はどこか「やっぱりか」と言いたげな顔をしていた。
「……厄介なことになったっぽいな」
ごめんなさい。私もそう思います。
「ここはカルバード共和国首都、イーディス8区の旧市街だ。お前が来たのは?」
「……日本、国……」
詳しく言ってくれたヴァンさんに対して、私は何県何市からきた、とまで伝えることができなかった。
だって、私は、知らない世界に、来てしまったらしいから。