一つの観点から見る景色は意図せず偏り、限界が生まれてしまう。
だからヘレンは求めた。新たな視点を。裏にいた自分が表に出ることによって、得られる可能性を。
ただそれがまさか、警察という立場になろうとは。本人も斜め上としか言えないし、自身の事情を知る者もさぞ驚くだろう───が、もっと単純で明確な上辺の目的を知れば、納得するだろう。
ヘレン・シュトラーフェ殿。
クロスベル警察本部、特務支援課への配属を命ずる。指定日時に警察本部へ出頭せよ。
クロスベル警察・人事課。
そう書き込まれた手紙一枚を元に警察本部へ向かい、同僚となるであろう他4名と顔合わせをする。
軽い自己紹介を済ませた後、詳細を聞かされないまま、ヘレンはクロスベル市内の顔となる駅前通りにやって来ていた。
なんでも、配属を命じられた特務支援課が、どのような活動をするのか。体験させてくれるようだが───。
「ここから先は、クロスベル市の地下に広がるジオフロント区画になる。今からこの区画に潜ってもらう」
そう話し出すのは、ヘレンたちの先頭を歩き、特務支援課の課長と名乗った中年の男、セルゲイだった。
無精髭に着崩されたスーツ。もはやジャケットすら羽織っておらず、ネクタイをしているのがせめてもの救いだろうか。偏見と言われてしまうとそれまでだが、目を引く無精髭に伸びてない背には、胡散臭さまで感じてしまうほど、やる気が一切見えなかった。
そんなセルゲイから吐き出された言葉だからこそ、思惑が見えず声を出して驚く他一同。ヘレンは表情を変えずセルゲイを見つめていた。
ヘレンもそれなりには驚いていたが、顔に出ないだけというか、「何か事情があるから潜れと言われてるんだろうな〜」という当然の先読みをしているだけである。
あとは、一語一句に驚くほど精神が若くないのだ。
多種多様の驚愕を視野に、セルゲイは話を続ける。
「お前たちの総合能力、及び実践テストのためだ。ジオフロント内部にはそれほど手強くはないが魔獣の類いが徘徊している。それらを掃討しながら一番奥まで行ってもらう」
やはり、ジオフロントに乗り込むのには事情があったというわけだ。
魔獣がいる所に放り込まれるのはかなり想定外だったが……実践テストと言われると飲み込める。何事も確認は大切だ。
そうしてヘレン同様に納得する面々がいる中、それを許さない者が一人いた。
「ちょっと待ってください!テストはともかく……どうして魔獣の徘徊する場所にわざわざ入る必要があるんですか?警備隊じゃあるまいし……捜査官の仕事じゃないですよね?」
特務支援課メンバーが集まる場に、一番最後に到着した青年。真面目な自己紹介ですでに明らかになっているが、彼の名はロイドといった。幼い顔立ちから憶測するに、まだ成人してないだろう。
不明瞭なことが多い今、5人の中で一番驚き、困惑し、動揺している。
確か彼は、今日この日まで外国で暮らしていたんだったか。クロスベル出身とは言っていたため、昔のクロスベルを追って、現状について行けてないと見える。彼がクロスベルに在中していたのが何年前は知らないが、この数年でかなり体制が変わったため、彼が見ているのはきっとクロスベルの残像だろう。
それよりも、ヘレンは一つ違和感があった。特務支援課とは、捜査官の仕事だったのか?と。
数分前に初めましてである以上、各々の事情など知らないが、この人数だ。恐らく似た問題を抱えている者は少ない。口振りからロイドはともかく、他の3人が捜査官候補はとても思えなったのだ。恐らく、ヘレンにもブーメランが飛ぶだろう。
ロイドの反応は想定内だったのか、セルゲイは可笑しそうに喉を鳴らした。
「確かに普通は捜査官の仕事じゃないだろう。だが、特務支援課に所属するメンバーは別だ」
捜査官の仕事じゃない。セルゲイにはっきりと言われ、ロイドは口をあんぐりとさせた。
特務支援課について全く真実を聞かされず、魔獣の徘徊する地下に放り込まれ、捜査官の仕事ではないと突きつけられ、何がなんやらといった様子。なんだかヘレンが居た堪れなくなってくる。
「詳しい説明はあとだ。まずはこいつを受け取れ」
頑なに詳細を話そうとしないセルゲイは話を無理やり終わらせ、携帯端末をヘレンたち全員に一つずつ渡す。見たことのない端末であったが、これが戦術オーブメントであることはヘレンにも分かった。
二つ折りの端末の扉を開くと、円状に並ぶ窪みが見受けられる。ここに結晶回路を埋め込むのだろう。
「第五世代戦術オーブメント。通称ENIGMA……ようやく実践配備ですか」
そう言って、端末のことを知っているらしい黒衣を羽織った水色髪の少女が、オーブメントについて話す。
エプスタイン財団から届いたばかりの新品らしいが、戦術オーブメントの使い方を少女に任せるところを見るからに、少女はそちら側の事情に詳しい様子だ。確か少女……ティオは、エプスタイン財団の本拠地であるレマン自治州から来たんだったな、と。
「それじゃあ、一通り魔獣を掃討したら本部に戻ってこい。細かい話はそのあとしてやろう」
最後にセルゲイはジオフロントAの鍵をロイドに渡し、立ち去ろうとする。が、ロイドがセルゲイを止めない未来などなく。
「ちょ、ちょっと課長!?」
「ああそれとロイド、とりあえずお前、リーダーな」
「へっ……」
「今のところ、捜査官として正式な資格を持っているのはお前だけなんだよ。それじゃ、任せたぞ」
有無を言わさないセルゲイは、固まってしまったロイドを視野に入れたまま、今度こそ去って行った。
「ハッハッハッ、押し付けられちまったなぁ?」
そう言って愉快に笑うのは、ヘレンと同じく様子を眺めていた一人である赤毛の男……ランディだった。まさに他人事と言った笑い方をする彼は、良い意味で生真面目な警察に似つかない印象があった。
どちらかというと"こちら側"というか……ヘレンにとって現メンバーの中で、一番親しみが持てるタイプではあった。
「でも捜査官の資格を持っている人がいて心強いです。ロイドさん、よろしくお願いしますね」
最後に声を上げるのは、ロイドと同じくらいの歳だろうか。パールシルバーの綺麗なロングヘアが目を引く女性が、礼儀正しく言った。口調と雰囲気から滲み出る上品さは、いかにもなご令嬢である。
自己紹介でエリィ・マクダエルと名乗っていたが、クロスベルで暮らしている以上はお察しのファミリーネームだ。
二人に気さくに声をかけられたロイドは、少なくとも今日一日協力し合う仲間がいることを思い出し、冷静さを取り戻す。ふるふると、首を横に振った。
「いや、呼び捨てでいいよ。見たところ歳も近いみたいだし」
「そう?ちなみに私は18だけど……」
「ああ。それなら同い歳だ」
敬語を使うエリィに対して違和感を覚えたロイドによって、二人の距離感が自然になる。はっきりと二人の年齢を聞き、ヘレンは成人前という予想が当たっていたことを知る。
次にロイドが捉えるのはヘレンとランディだ。「あなたたちは……?」と尋ねられ、先にランディが口を開く。
「俺は21だが、堅苦しいからタメ口でいいぜ。そっちの姐さんはもう少し上ぽいな?」
「……ええ。23になるけど、私も自然体でお願いするわ」
もしかして。とは思っていたが、やはり自身が最年長だったらしい。ヘレン自身も思い、ランディに尋ねられたからには、他の3人にもそう映っていることだろう。
ただ、年上として敬われるほど、褒められた生き方をしていない自信がある。自信を持っていいのかは知らない。ヘレンはランディに便乗する形で、滲んで浮かぶ敬意を振り払うのだった。
年上二人と話した最後に、ロイドはティオを見る。最年少だと見て分かるため、ティオには謙虚というよりは親しげに「君の方は……?」と声をかけていた。
「14ですが、問題が?」
「い、いや〜。別に問題があるわけじゃ……って、14歳!?」
不服そうに答えるティオに対して苦笑いするロイドであったが、突き付けられた現実にまた大きな声を上げる。残るティオも、幼く見えるだけで実は……という裏切りはなく、見た通りの年齢のようだ。
「驚いた……そんな若くて警察に入れるものなのね」
「飛び級とか?」
「いやいや!どう考えてもおかしいから!確か一般の警察官でも16からだったはずだし……」
「……正確に言うとわたしは警察官ではないです。エプスタイン財団から出向したテスト要因ですので」
ティオの目的を聞いて、なるほどなあ、と。
なんでも、魔導杖と名が通っている機械仕掛けの杖の新武装の実戦テストのため、ティオはエプスタイン財団から出向してきたらしい。それなら確かに、警察ではない。きっと警察側がテストの場を提供した……ということだろう。
ならばティオにとって、今から向かうジオフロント区画は都合のいい場所、というわけだ。
思い返してみれば、ティオもこの場に来てから、ヘレン同様に口数が少なかった。出向理由を聞いた今だと納得できる。全く異存がなかったのだろう。
その後はティオの武装の話から派生し、残る4人がどのような武器を扱うかの話となる。
ロイドは殺傷力よりも防御と制圧力に優れているトンファー。エリィは旧式の導力銃を扱うようだが、カスタムが施されている故、狙いの正確さは抜群とのことだ。ランディは導力を衝撃力に変換するユニットがついているスタンハルバードで、体格の良い彼には相性の良さそうな武器と思えた。
残るヘレンは短剣と長剣を組み合わせた二刀流。ある意味、王道の武器の一つであるが、不思議なことに誰一人として武装が被っていなかった。
これをセルゲイが見越していたのかは謎であるが、上手く立ち回れるのであれば文句はない。
ヘレンたちはお互いの武装を確認した後、ジオフロントの攻略を始めた。