彼がこんなにも苛立っているのを見たのは、今日が初めてだった。 好きですって伝えただけで、どうしてこんなことになっているのだろう? 「……いい加減にしてほしいな」 「え、ダ、ダイゴ、さん?」 「ねえ、僕のことを好きでしたって過去形で報告するのはどういうつもり?それを聞いて僕は何をしたらいい?」 「あ、あの、」 「皆して僕のことを何も知らないくせに、そうやって自分の価値観を押し付けてきて、もううんざりだ!」 「……ひっ…」 ダンッ、壁をダイゴさんが勢いよく殴りつける。 いきなりのことに脳がついていかず、びくりと体が震えた。 私が好きだったのは、物腰が柔らかくて、博識で、大人っぽくて、いつでも優しかったダイゴさん。 デボンの御曹司でありつつ現ホウエンリーグチャンピオンだというエリートなのに、それを驕ることもなくて。 彼を慕うものは多いし、常に皆からの憧れの存在だった。 ……なのに、先程見たダイゴさんはどういうこと? 私はこの想いを告げるだけでよかったのに。 好きですって、その言葉を聞いてもらえるだけでよかったのに。 知り合いでもないから最初から相手にしてもらえるなんて思ってなかったし、彼を困らせるつもりなんてなくて、ただ、告白できればそれで諦めるつもりだった。 だけど、想いを告げた途端にそれまで柔らかかった態度が急変して。 私はどうすればいいのか分からなくてただ怯えていた。 「ふふ、怖い?」 「……何が、ですか?」 「僕のこと」 「こ、怖く、ないです」 「……嘘つき」 そう、これは嘘。 本当は怖くて怖くてたまらないのに、それを悟られたくなくて嘘をつく。 でも彼にはすべてお見通しらしい。 じわり、視界が滲むのがわかった。 「ああ、そんな顔しないで」 それはとても綺麗な笑顔だった。 もともと彼は顔が整っているから、少し微笑んだだけでも思わず魅入ってしまうくらいの迫力がある。 でも今は、その笑顔がただ怖くて。 笑顔の裏に一体どんな感情が隠されているのだろうか。 「君が好きなのはこうして優しく微笑んでいる僕だろ?それなのになんで怯えるのかな」 「……お、怯えてなんて…」 「ふうん、僕に分からないとでも?」 「あ…っ!」 ぐいっ、腕を引っ張られたかと思えばその顔が至近距離にあって、私は息を呑んだ。 口元は確かに笑っているのに、目が笑っていない。 きっとこの人は視線だけで人を黙らせることができるんだろうな、と思った。 「君、加虐心を煽ってどうするの?」 「ひいっ、煽ってないです!」 「……へえ、素なんだ、それ」 「ところで、あの、大変申し上げにくいんですが、近すぎじゃないですか……」 「君はこの状況で、僕に意見できると思っているんだ」 あともう少しで唇が触れてしまいそうなくらい近くでダイゴさんは話を続けた。 挑発的な視線に、あたたかい吐息、いつのまにか腰にまわされていた手。 すべてが気になって、思考がまとまらない。 「す、すみません」 とりあえず、ここは素直に謝っておくべきだよね……と思うものの、一体何に対して謝罪しているのか自分でも分からなかった。 私はどうして怒られているの? もしかして好きと言う気持ちが迷惑だった? だったら、そのままあっさりと振ってくれるだけでよかったのに…… ほかの女の子たちと一緒で、ごめんって、ただ一言そう言ってくれればそれだけで済んだでしょう? 私はしつこく付きまとってたわけじゃないし、むしろ取り巻きの後ろから大人しく見ていた程度だった。 私という存在に気付いてもらえてるわけがないのは重々承知の上だったから、すっぱりと断られて後腐れもなく次の恋を見つける予定だったのに。 それが、なぜ? 「勝手に想いを告げておいて、聞いてもらえるだけでいいから遠慮なく振ってくださいって、なんて身勝手なんだろうね」 「っ、」 それはまさに私のことで、何も言い返せずに視線をそらした…………のだけど、その途端に顎を掴まれて、無理矢理彼の方を見ざるを得ない状況にさせられる。 「話をしてるときは人の目を見なさいって教わらなかったのかい」 「ひいっ、し、失礼しました……」 こ、細かい…………この人細かい………… ってそんなことを悠長に考えていられる状況ではないのだけど。 しばらくして、興味が無くなったかのようにダイゴさんは私を解放した。 すぐさま逃げだしたいと思う気持ちを抑えて、どうにかその場に留まる。 「君、名前は?」 「……なまえ、です」 「なまえ……そう、至って普通な名前だね」 な、なんて失礼なことを! ダイゴさんってこんな人だったの?! これは親がつけてくれた大切な名前なんですよ! 「不服そうな顔だね。いいよ、今思ったことを言ってごらん」 「遠慮しておきます……」 「早く言うんだ」 「ひいいっ……あ、えっと、今晩の献立を考えていて……チキン南蛮とか良いかなぁ、なんて」 「ふふ、嘘をつくいけない子にはどんな罰が待っているだろうね」 「すみませんダイゴさんってこんな酷い人だったんだとか思ってましたすみませんんんん!!」 怖い怖い!! ダイゴさん怖い!!! 視線だけで人を黙らせることができるのではないかとさっきは思ったけれど、むしろ視線で人が殺せてしまいそうなくらい凶悪だ。 怖い。 ものすごく、怖い。 それこそ全身が震えるくらい恐ろしいと思っているのに、なんで私はこの人のことを心底嫌いになれないのだろう。 多少なりとも好感度は下がったけれど、嫌いじゃない……気が、する。 怖いのに、こんなのおかしい。 でも、かといって今でも好きかと言われたら、それは少し違う気がした。 「果たして、僕は酷いかな。君が勝手に僕のことを優しい人間だと思い込んでいただけじゃないのかい?」 「……そんな、こと、」 ……本当に、ないって言える? 現に私は彼の表面だけを見て、好きだと思ってたんじゃないの? 「……なんて、そう思われるように振る舞ってきたのは僕の方か。それにしても君、運が悪かったね」 「…え?」 「今まで数々の女の子に告白されてきたけれど、こうして本当の僕を見せたのは君が初めてだよ」 「はあ……そう、ですか」 「どうしてだろうね。ずっと隠してきたのに」 「……」 そんなことを私に聞かれても。 ……なんて思ったけれど、その言葉を口に出す勇気は到底なかった。 そして、ダイゴさんはふふっと笑う。 でもさっきのような作り物の優しい笑みではなくて、どちらかというと意地の悪い、こちらが震え上がってしまうような笑みだった。 怖いのに、何故かかっこいいと思ってしまう馬鹿な自分がいる。 「まあ、鬱憤を晴らせそうな人間を感じ取ったってところかな」 「鬱憤?!」 「ねえなまえ、付き合ってあげてもいいよ」 「………えっ?!」 「僕は誰のものにもならないっていうのに、懲りない女性たちから繰り返される代わり映えのしない告白にもちょうど飽き飽きしてたところなんだ。君でも女除け程度にはなるだろうし、ね」 「……いやあの、それ、付き合うって言わな…………」 「僕のことを深く知ったからにはそれなりの口止めをさせてもらわないと」 「い、いえ、私は口は堅い方なのでお気遣いなく…!絶対にこのことを他人に話したりしないですし!」 「そんな言葉をいちいち信じていたらこの世界ではやっていけないよ」 さて、彼の言うこの世界とはどの世界のことでしょうか? 人の言うことが信じられないだなんて、ダイゴさんは一体どんな殺伐とした世界に住んでいるのだろうか。 どうしたものかと視線をさまよわせていたら、疑わしげに彼はじっと私を見つめた。 数分前なら嬉しいやら恥ずかしいやらで頬を染めていただろうけれど、今となっては全くの逆だ。 この先どんな展開になるのかを考えると恐ろしくて、青ざめる。 「そういうわけで、よろしく」 「ええっ、何がそういうわけなんですか……!?」 「よかったじゃないか、君の大好きな僕と付き合えて。こんなこと、天と地がひっくり返ったとしてもありえないことだよ」 「いや、だからそれ付き合ってな………」 「口答えするのはどの口かな」 「ひっ、いたたたたたたた!」 頬を思いっきり引っ張られて、悲鳴をあげた。 死ぬほど痛いところからして、きっと彼は本気で力を込めているのだろう。 「や、いや、まって、むり、」 「無理かどうかは僕が決める」 「わ、私の人権は……!?」 「ああ、もちろん最低限尊重するから、安心してね」 「最低限!!」 それはあまりにも酷くないですか!? せめて最大限って言って欲しかったですダイゴさん!!! 「そんなの安心できるわけな……」 「はい、話はもう終わり。解散」 私の言葉を遮ってエアームドに乗りすばやく立ち去るダイゴさんを、私は目を丸くして眺めていた。 いつのまにポケモンを出したのかとか、立ち去るまでが神業のように早すぎだとか、色々と疑問に思うところは多々あるけれど…… とりあえず、今考えるべきはそこじゃない。 どうしよう。 助けてください神様。 とんでもない人に捕まってしまった気がします。 2015/03/10 戻る |