真波が漕ぐ自転車は速い。苦手だと言っていたはずの平坦だって、私からしてみればすごく速く感じた。真波は黙ってペダルを漕ぐ。私も黙る。空はもう真っ暗で、今が何時か分かりやしない。


「真波、何か、話してよ」
「え、うーん……。いきなり言われても、困るよ」


困ったように笑う真波の顔が脳裏に浮かぶ。よかった。まだ私は、忘れていない。真波の顔も、苗字も。そのことがやたら嬉しくて、夜が深まっているせいもあるんだろうけど、泣き出してしまいそうだった。


「内海が何か、話してよ」
「無理だよ」


全部忘れてるのに、何を話せと言うのだろうか。真波もそのことに気付いたらしく、ごめんと謝られた。何で真波が謝るの。笑えばまたごめんと謝る。


「もう、真波。謝るの禁止。っていうかあんた、全然平坦遅くないじゃん」
「そうかな?新開さんや泉田さん、福富さんと荒北さんはもっと速く走るよ」


シンカイさん、イズミダさん、フクトミさん、アラキタさん。聞いた覚えのない名前ばかり出てきて少し戸惑う。曖昧に小さく笑って、その場をやり過ごす。そうすると、またお互い話すこともなく、無言になる。相変わらず私の残念無念な脳みそは、真波が言った人たちを思い出すことはなかった。きっと私はこんな風に真波のことも忘れてしまうんだ。


「……うっ」


やだどうしよう。涙出てきちゃった。真波の背中に額をくっつけて、腰に腕を回して、小さく嗚咽した。


「、内海」
「振り向くな、バカ。前、向け」


見られたくなかった。真波には。強がりなんかじゃなくて、ただ単純に、私が真波の前で泣くのが嫌なだけだった。なんてかわいくないのだろう。こんなに私はかわいくないのに、真波は私と同じ気持ちだ。それがますます私の涙腺を弱める。こんなことははじめてで、どうしたらいいのか分からない。辺りは真っ暗なのに、私の目からは涙が出てきそうだし、きっと真波は困ったようにペダルを踏んでる。情緒不安定。それが今の私に一番近い状態だ。本当は言うつもりなかったんだけどね。真波は真っ直ぐ前を見ながら口を開く。


「俺、本当は内海が俺のために自分を犠牲にしたこと、知ってるんだ」
「………」
「俺のために内海がずっと神さまに祈ってたこと、委員長から聞いた。内海、俺には何にも言わないくせに、委員長には何でも話してたよね」


あれね、実は少し妬いた。真波の表情は相変わらず分からない。私はというと黙ってそれを聞いていた。今更そんなこと言われても、私は忘れてしまうのに。


「真波、忘れないで。今日のこと、絶対に」


忘れてしまうだけの私が何を言っているのだろう。それでも真波が静かに頷いたのが分かると安心してしまった。



記憶がなくなるまで、あと1時間。



140713.