「天国ではみんな、海の話をするんだって」
「……へえ」


何だって真波は、そんなことを言うのだろう。おかしいなあ、私、まだ誰にも言ってないはずなのに。病院の個室には私と真波の二人きり。私が個室に追いやられた理由なんて、すぐにでも分かってしまうのがつらい。実感しているから尚更だ。


「行きたくならない?海」
「………いやあ、私はいいよ」


遠慮がちに笑うと「そんなこと言わずにさ」真波は笑いながら私の手を取る。まさかあのドイツ映画の主人公たちのように、海を見たことがないわけでもあるまいに。ここは神奈川で、箱根で、二時間もあれば鎌倉の海に出られる。


「何で?オレ、海見たい」
「一人でいきなよ」


本当は私と真波の共通の幼馴染の女の子の名前や、彼の部活の先輩たちの名前を挙げたかった。それが出来なくなってしまった私は、きっと恐らく、確実に、今日中には真波のことも。顔を上げれば違うんだよ、と眉根を下げる彼の姿があった。綺麗な青が、真波の青が、海の青が、空の青が私を捉えた。


「オレ、内海といきたい」
「……それは、無理だよ」
「何で?オレと一緒は嫌?」
「そうじゃない、けど」
「けど?」


どうしてこうも伝わらない。きっと、私と真波に共通する幼馴染の子も、こんな感情なのだろうか。何てもどかしい。出来ることならあまり伝えたくない。でも、伝えなきゃ。私の時間は、幼馴染のその子とは違い無限ではないのだから。


「…私、明日には死んじゃうの」
「………」


意を決して選び、口から発せられた言葉がやたら重々しく響いた。真波は青を揺らしながら、私を一心に見つめる。


「私の記憶は明日になくなって、死んじゃうの」


何でそれが明日なのか分からない。よりにもよって、何で明日なのか。仕組みもロジックも、全然分からない。そんな中一つだけ分かるのは、私の記憶は明日に向けて着実に喪われはじめていることだ。現に私は今、真波との共通する幼馴染の子の名前が分からない。長年ずっと傍にいたはずなのに、存在だけがただそこにあるような感覚が漠然とあるだけなのだ。そこに誰がいたのかは分からない。彼が所属する部活も、その先輩たちの名前も特徴も分からない。


「だから、私は真波とはいけないの」


生きていくことも、どこかへ行くことも。逝くのは私一人でいいのだから。私はこのままここで、一人でひっそりと明日が来るのを待つんだ。そして明日、真波が幼馴染の子を連れてここに来たときには、もう私は死んじゃってる。私が死んじゃってる。ここにいるのは確かに私なのだけど、それは私ではなく、他の誰か知らない私なんだ。


「それじゃあ、尚更だよ。いこう、内海!今すぐ、海に!」
「……え、」
「委員長も東堂さんも新開さんも荒北さんも福富さんも泉田さんも、坂道くんもみんな誘って!」


いい案でしょ?全然知らない名前がたくさんあったけど、そう言って微笑む真波はただただ直向きだった。この真波の笑顔も私はにとっては明日に持ち越せない記憶なんだと思うと泣いてしまった。



記憶がなくなるまで、あと6時間


140704.