06 鳴り止ま無い

昨日の夜以降、荒北さんと会う気にはなれずわたしは姿を消したままだった。朝早く、荒北さんが起きるより前に姿を現して、また消えた。会いに行かないと行けない人たちがいた。
マチミヤさんと、キンジョウさん。わたしがいなくなるまでに、二人に伝えたいことがある。マチミヤさん、マチミヤさん、マチミヤさん……。脳内に文字を刻むように集中する。誰かの前に現れるときは、必ずこうしないとだめらしい。ぼやけた視界がはっきりとした。マチミヤさんが霊感のある人だといいのだけど。そう思って、こんにちは、と声を絞り出してみる。返事はない。それどころかわたしすら見ない。あ、これは。成程、成程。霊感のない人だったらしい。ぽつんと残されたような気持ちになった。

「…マチミヤさん。荒北さんのこと、よろしくお願いしますね」

にっこり笑って、私は消えた。



次はキンジョウさんだ。いやだなあ、キンジョウさんまで霊感なかったら、どうしたらいいんだろう。いや、そのときはわたしが最後の日、荒北さんに伝えればいいだけの話だ。
キンジョウさん、キンジョウさん、キンジョウさん、キンジョウさん……。また視界がぼやけて、はっきりする。眼鏡の、体格のがっしりした男の人が目の前に現れる。この人が、キンジョウさん。こんにちは、頭を下げると少し驚いたような表情をする。これは、もしや。

「あの、わたし、佐々野奏と言います。いきなりですいません、荒北さんのことで少々お話が」
「………、今でなくてはだめか?」

次の講義が始まるんだ、とキンジョウさんは腕時計に目をやる。「や、あの、お時間はかけないので。ほんの二、三分だけ、なんで」こんなことなら荒北さんに前もって講義時間について聞いておけばよかった。
わたしに残された時間は少ない。
あと四日。あと四日しかないんだ。それまでに荒北さんにわたしのことを思い出してもらわないといけない。もし思い出してくれなくてもあの約束は果たされる。だったら、どうせなら、わたしのことを思い出してほしい。ぎゅっと拳をつくる。

「冗談だ。次の講義まで、あと一時間ある」

外で話そう。キンジョウさんはにこりと微笑んでくれた。ほっとした。これで、とりあえず、わたしのことを伝えられる。



キンジョウさんと二人、外に出た。近くの公園のベンチで全部話した。わたしと荒北さんのこと、神様と交わした約束のこと、全部。代わりにキンジョウさんは、高校の頃の荒北さんのことを話してくれた。

「俺も、荒北のことは人伝いで聞いたから詳しくは知らないんだが」

そんな前置きがあって聞かされた話はひどく悲しかった。肘を壊したあと、彼が道を踏み外したということは知っていた。それほどまでに荒北さんの中の野球という存在が大きかったのかと思うと泣きそうになってしまう。それから、地元を離れ、野球部のない高校へと進み、そこでフクトミさん(多分、荒北さんがたまに名前を呟くフクちゃんだろう)と出会って、変われた。キンジョウさんはおおまかなことを話してくれたけど、それだけでも胸がいっぱいになった。

「キンジョウさん」
「ん?」
「お願いします、荒北さんのこと」

頭を下げるとキンジョウさんは笑った。「好きなんだな、荒北のことが」「死んで化けるくらいですからね。未練たらたらですよ、わたし」嫌な女でしょ??苦笑するとそんなことないサと言ってくれる。

「こんなに想われているなんて、荒北は幸せものだな」
「………」

曖昧に笑って、キンジョウさんと別れた。もう大丈夫。キンジョウさんに全部伝えたから。わたしがいなくなったあとも、きっと大丈夫。前を見ると荒北さんがいた。あっと声をあげた。もしかして、聞かれていたのだろうか?

「荒北さん!!どうしたんですか、こんなところで」

ふと伸びてきた、荒北さんの腕。どう足掻いてもわたしをすり抜けてしまって、分かっていても泣きそうになる。そんな中、荒北さんの鼓動だけがやたら響いていた。


141116.