08 振り返る

荒北さんを最初に見たときのことを私は今でも覚えてる。


中学に上がって、はじめての夏休み。補習で呼ばれていた私は嫌々ながらに学校へ行った。グラウンドでは野球部が練習をしていた。ぼんやりとその様子を教室から眺めていた。そのとき、目が合ったのが荒北さん。う、わ。慌てて目を逸らすもなかなか彼の姿が脳裏に焼き付いて離れない。これは、もしかして。高鳴る心臓を抑え、もう一度グラウンドを見た。そこにはもう目を合わせてくれる彼はいなかったけど直感的に思った。これが、一目惚れというやつなのかと。
ちょうどいいことに私の友だちが野球部のマネージャーをしていた。思いたったらすぐ行動がモットーの私は、早速彼女にマネージャーになりたいと相談すると大歓迎された。曰く、先輩マネージャーも引退してしまい、このままでは一人で雑務を全て熟す羽目になっていて困っていたとのこと。


−−佐々野奏です。不束者ですが、みなさん、よろしくお願いします

腰からきっちり90度に曲げて頭を下げる。友だちがもうやだ奏ったら、と笑って私を小突いた。きょとんとする私を見て、結婚するんじゃないんだからと続けられ、ようやく気付いた。

−−何人と結婚する気なんだヨ

そう言ったのは確か荒北さん。なんだか恥ずかしくて、だけど嬉しくてみんなとつられて笑った。耳が赤いの、荒北さんにバレていないかな。そればかりが気になっていた。




ごめんなさい、荒北さん。私は頭を下げた。むかしみたいに、腰からきっちり90度に曲げながら。荒北さん、ごめんなさい。死んじゃってごめんなさい。触れられなくてごめんなさい。未練たらたらでごめんなさい。そうすると、私の身体は私の意思に反して消えてしまった。もう、だめなのかもしれない。




野球、大好きなんですね。私が生前、勇気を振り絞って荒北さんにかけた最初で最後の言葉だった。好きじゃなきゃ、やってねーヨ。バァカちんが。そう言って彼は、私の頭を撫でた。もちろんこんなことになるだなんて予想してなかった私は内心パニックだ。しっかり笑えてるかどうかすらも分からない。荒北さんにとって野球がすべてなんだということに気づけた。そんな彼に私は益々惹かれていった。


そんな矢先のことだ。荒北さんが肘を壊したと聞いたのは。余りに悲しくて、三日間泣き続けたのを覚えてるし、食事も喉を通らなかった。高校は神奈川の野球部のないところへ進学してしまい、アドレスも何も知らない私は彼と音信不通になった。
自転車をやっていると知ったのは、去年の夏、彼がテレビに出てたから。ほんの0.2コンマくらいの画面に荒北さんを発見したときは胸が踊った。走り書きでメモをして、荒北さんが出るであろうインターハイを観に行った。




「佐々野チャン、思い出したヨ」微かに耳に届いた荒北さんの声に、もう泣けないというのに顔が歪む。「なァ、聞いてんだろ。思い出したって、言ってンだよ」聞いてます。聞こえてますよ、荒北さん。でも、ごめんなさい。もう、タイムリミットが近付いてるんです。最後に荒北さんが何か言ったような気がしたけれど私の耳には届くことはなかった。


150203.