戻るぞ、荒北。併走していた荒北に一言言うとしょーがねぇなあ、と言いながらもついてきてくれた。きっと荒北は、今からオレが陽香莉との関係を断ちにいくことを知らない。陽香莉は、泣くのだろうか。そこでふと思った。陽香莉がオレの前で泣いたことなんて、一度でもあったか?



オレは知っている。陽香莉がいつも、オレに負けたあと自主練と称して外周にいくことを。そのとき、誰に言うでもなくふらりといなくなることを。泣きながら、ペダルを踏んでいることを。
それだけじゃない。陽香莉が、夜は寮が閉まるギリギリまで、朝は寮が開いた直後に練習をしていることも知っている。それだけやっても、オレに追いつくことのできない陽香莉が、とてつもなく怖かった。


改めて陽香莉を見て驚いた。陽香莉は、こんなに細かっただろうか。陽香莉は、こんなに幼かっただろうか。陽香莉は、こんなに…。

「頼む、寿一。私はまだ走れる。だから勝負の続きをしてくれ、なぁ、寿一、」



こんなに、弱かっただろうか?



オレはいつの間にか陽香莉に握られていた手を振り払った。恐怖から逃れるように。振り払ったあと我に返った。でも今更、引くこともできない。

「陽香莉、今日はもう上がれ。新開、悪いが陽香莉を連れていってくれ」

呆然とする陽香莉が小さく聞き返したのが耳に届いた。まだ走れるんだろう、と陽香莉を追い詰める。彼女は何か言葉を発っそうとしたがそれを呑み込み、首を縦に振った。静かな声で分かったと項垂れる。そのまま乗り捨てられた自転車を立たせ、新開を見つめて言う。

「引いてくれ、隼人」

陽香莉の瞳に涙があったのに気付いたのは、オレだけでいい。



果たしてあれでよかったのか。荒北から陽香莉のことを言われるたびにそればかり考える。あれしかなかったのだろうか。本当に?陽香莉のことになると自分で下したはずの判断にいつも戸惑う。福ちゃん?荒北に顔を覗き込まれ我に返る。

「…すまない、荒北。オレは、どうすればいい?」

こんなこと、荒北に話したところでどうなるわけでもないというのに。オレはぽつりぽつりと荒北に陽香莉のことを話した。陽香莉がロードを教えてくれたこと。陽香莉が段々オレに追いつかなくなっていくこと。どんなに陽香莉が練習してもオレを越えられないこと。そんな陽香莉に、オレが恐怖を覚えていること。

「福ちゃんはどうしたいのォ?」

すべて話したあと、荒北は尋ねた。ずっと考えていたことだ。ずっと、ずっと。


「、オレ、は」


140614.