dream | ナノ



苗字から電話があった。彼女はいつも、何に対しても唐突で、それは今回も同じだった。よぉ。ジャッカル、あんた、今暇?携帯越しに聞こえた彼女の声はいつもより少し低かった。どうせ暇なんでしょ。ちょっと付き合えよ。女子のはずなのに苗字の口調はどんなときだって男のそれに似ていた。
断ろうかと考えていると実はもう、七里ヶ浜にいるんだよねと笑う声が聞こえた。「それを早く言え!!」苗字に対して怒鳴っても、怒りをぶつけても意味がないことくらい分かっていた。でも当の苗字はというとなあんにも言わなかった。その行為に俺はまた、無性に腹が立ってきてしようがなかった。
静かにしていると電話の奥から届くのは、海の音。本当に海にいるのか。時計に目をやると針はもうすぐ1を指す。「今から行くから、そこ動くなよ」「うん。待ってる」苗字との電話を切った。



俺と苗字の関係は、仲の良い友人というのが、一番近い表現だと思う。事実彼女とは仲が良いし、でもだかといって恋愛対象としては見られない。それは苗字も同じなようで、俺としては気が楽だった。普段の学校生活でも唯一話す女子だったし、ブン太以外で気が許せる相手でもあった(ただ、そのおかげで俺と苗字が付き合ってるという噂を流されたのだが)。
部活の愚痴やブン太にも言えないことを彼女は文句一つ言わず聞いてくれた。大抵は苗字の「苦労してんだなあ」という言葉で終わることが多かったし、そのあと高確率で海へ行こうと提案していた。だから多分、今日もその延長線なのだ。それがどうして今日なのか、大体の検討はついていた。



七里ヶ浜へ苗字に会いに行けば「ほんとに来たんだ」とびっくりされた。俺からすれば本当に海にいたのか、という気持ちだがまあいいとしよう。

「苗字、ほら帰るぞ」
「なんで。いーじゃん、こっち来なって」

こっち、と苗字は自分の座っている隣りを叩く。夜も遅いなんて時間帯じゃない。おかげでもう明日になっている。「だめだ。ほら」そう言って彼女の手を引くと「うわっ」バランスを崩した苗字が俺の胸にすっぽり埋まる。こんなに密着して、ドキドキすることほど俺と苗字らしくないことはないだろう。冷えた海の音が耳に響く。
「ジャッカル!!」
急に名前を呼ばれたかと思うと苗字は俺の顔をぎっと見上げていた。俺の服の裾をぎゅっと掴む。
「あたしは遠回しに聞くの無理だから、単刀直入に言うよ!!」
「お、おう」
何を言われるのだろうか。

「今日!…って、いうか正確にはもう昨日になっちゃったけど!全国大会の、あいつ!関東で丸井馬鹿にしたやつだよね?!」

全国大会。関東でブン太を馬鹿にしたやつ。その二つのワードだけで全てを把握した。昨日。8月23日。俺らは、立海は、王者の座から引きずり下ろされた。そして、あいつとはおそらく、青学の桃城だろう。
「あたしはあのとき、あいつが何言ったのか分からないけど、すげー失礼なこと言ったんだろ?!」
「………」
どう答えればいいのか分からず、とりあえず首を動かした。それは、縦でもなければ横でもなかった。
「だからだろ?あんたと丸井が、負けたの」
服を掴んでいる苗字の手が、だんだんと緩まる。
「そうじゃなきゃ、おかしいもんなあ」
徐々に丸まっていく、苗字の背中と、震えだす声。
「あんたと丸井、すげえ練習、頑張ってたろ。部外者のあたしでも分かるんだ、みんな知ってるよ」
彼女が泣いていることを指し示す理由なんて、それだけで充分だった。
「パワーリストとパワーアンクルだって、20kgのやつつけてさあ。バケモノ揃いのあいつらと肩を並べるのだって、どれだけ努力したんだよ。あたしには到底理解出来ないくらいだろ?それなのに、あいつ…、あいつは、」
「…苗字、」
ああそうだ。そうだった。彼女は、苗字は、俺の為に、いや、俺の為意外に、とりわけ他人の為に涙を流せるやつだった。俺が愚痴を零す度、部活での不平不満を口にする度、ブン太が凡人と言われたときや、今だって。苗字は、他人の為に涙を流せるやつなんだ。

「お前が泣いて、どうすんだ」
「あんたが泣こうとしないから、あたしが泣いてやってんだろ、ばか」

顔から出るものすべて出しながら、苗字は下手くそに笑った。


141027.(141216. 加筆修正)
時間稼ぎ云々の2ndバージョンです。テニミュを知らない方はこの機会に是非観て見てください………………!!!