dream | ナノ



暦上ではもう春だというのに、風は例年のそれより冷たい気がする。寿一の隣り、小さく吐いた息で両手を擦る。そんな私を見ていたのだろう、両手を落とした瞬間彼が私の手を握る。ふと寿一を見上げると「寒そうだ」私の顔を見つめながら言う。ああ、もう。寿一はこんなときまで優しいんだから、泣きそうになる。



彼は、寿一は今日、神奈川へ行ってしまう。曰く自転車競技部の強豪校へ行くらしい。それを伝えられたのは卒業式の後だった。てっきり寿一は私と同じ高校に行くのだろうと思っていたからびっくりしてしまった。行かないで、なんて言えなかった。自転車が寿一の全てだったし、私もそんな寿一が好きになったのだから。今更それを言うつもりなんて毛頭ない。そんなの私の我儘だから。「応援してるから」ようやく絞り出せた言葉はそれだった。寿一は短く、ああと答えた。すまないと付け加えられ、頭まで下げられてしまったときはどうしようかと思った。
その後家に帰ってから私は一人で泣いた。卒業式の日に言ってくれてよかったと心の底から思った。おかげで両親からは変に勘ぐられずにすんだ。
「名前」
寿一から呼ばれはっとする。何、どうしたの。そう笑ってみせる(うまく笑えてるだろうか、自信がない)と空を見上げる。私もそれに見習うと空からふわふわと落ちてくる、ピンクの花びら。
「桜だ」
「…ほんとだ」
そっと手で掴もうとしてもあらぬ方向へ飛んでしあう。寿一もいつか、この桜みたいに私から離れてしまうのだろうか。きっと寿一はこれから、今以上に有名になる。格好いいから、きっと高校ではモテてしまう。私以上に可愛い子も言い寄ってくるかもしれない。でも寿一は真面目だから、きっと私のことを思い出して、断るんだろう。それを考えると寿一が可哀想でならない。言わなくちゃ。向こうに行ったら、私のことは忘れてって。
口を開こうとしたら前方を歩く二組のカップルが目に入る。仲睦まじいその姿に、無性に腹が立ったし、泣きたくなった。ねえ、寿一。馬鹿な話だけどね、私、あなたとあんな風になりたかったんだよ。冬にね、マフラー作ってみたの。手編みのやつ。でも、手編みってさすがに重いよね。作り終わったあと気付いたんだ。しかも初めて作ったから形も不恰好で。そのマフラーね、渡すに渡せなくて、結局お父さんにあげちゃったの。胸に溜めこんだ想いを、今ここでぶちまけられたらどんなに幸せだっただろうか。でも私は、それすらすることをやめた。どうせ思い出にするなら、後腐れなく、綺麗にお別れしたかったから。




駅のプラットフォームにつく。寿一の乗る電車が来るまで、あと五分もない。言わなくちゃ。私のことは忘れていいよって。言わなくちゃ。
「寿一、あの…、あのね」
言わないと。言わないと。言わないと。鼓動が速く脈打ち、気持ちばかりが焦ってしまう。頭の中では言葉が準備出来ているのに、それが上手く喉元まで下りてこない。ぱくぱくと口だけを開ける私は金魚のようだと思われているのだろう。ようやく決心がついたとき、電車がつく。瞬間頭の中が真っ白になってしまう。寿一がそっと私の手を握った。
「…寿一、手、離して、よ」
「離したら、お前はどこかへ行ってしまうだろう」
馬鹿。どっか行っちゃうのは、寿一のほうじゃない。私を一人にして、どんどん先に進んじゃうんだから。
「寿一、電車、出ちゃうよ」
「まだ発車時刻まである。それまでは名前、お前とこうしていたい」
首から下は真っ赤なのに、顔にはそれを全く出さない。今なら言える。特に確証はないけれど、そう思えた。寿一、勇気を振り絞り彼の目を真っ直ぐ見つめる。
「向こう行ったら、ね。私のこと、忘れて」
「………」
言えた。ちゃんと言えた。もう後のことは何でもいい。どうにでもなってしまえと視界が揺らぐ。電車の発車音が鳴る。早く行って、寿一。そう言いかけた唇は寿一のそれにより阻まれ、言葉を失った。

「…行ってくる」

寿一は一言、そう言って私を抱きしめて、電車に乗り込んだ。ドラマみたいな、そんな別れ方って本当にあるんだ。彼の前では絶対に泣くもんかと決めていたのに涙がこぼれ落ちる。顔を上げ、寿一に手を振ると彼は小窓から小さく笑っていた。



この時、私は三年後、寿一が高校を卒業してから迎えに来たと微笑む日が来るのをまだ知らない。



♪初めての恋が終わる時/初音ミク


140729.
最初桜のところを雪で書いちゃって卒業式の後に初雪はねえよという時系列が錯乱する時代が起こりました 見直しって大事