満ちる心と


命からがら船内に戻った頃にはもうくたくただった。いや本当、今日こそ死んでしまうと思った。
特別剣術に長けているわけでもなければ頭脳明晰というわけでもない、要領よく物事を捉え進められるかと言われるとそれも微妙。そんな使い捨ての駒にするのも憚られるような私が過激派攘夷と呼ばれる鬼兵隊に属していられる理由と言えばもう「お情け」以外の妥当な言葉が思い当たらない。


「随分早ェ帰りだなァ」

「びっ、くりした…」


前述の通り戦闘にも交渉にも不向きな私はしばらくの間、武装警察真選組の女中として潜入捜査を任されていた。バレない限り情報を流し続ける為長い仕事になるな、と思っていたのだがこの船に戻ってくるのは実に二週間振りである。

潜入なんて久しぶりだと浮き足立ちながらも女中の仕事をこなしていたある日、家に帰るとどこかで見たことのあるような顔が怖い顔をして待ち構えていた。まぁ案の定その男は真選組の密偵とやらで、その後は斬りつけられたり転んだりゴミ箱の中に隠れたりしながら死に物狂いで逃げてきたわけだ。優秀な密偵だなと思ったのだけど、もしかすると家のカレンダーに「密会」とか赤文字でしるしを付けていたのがいけなかったのか。

とかく、そんなボロボロで帰還した私へ背後からいきなり嫌味をかけてきた高杉さんはゆっくりとした歩みでこちらに近づいてきた。


「すいません、高杉さん。真選組の密偵が優秀すぎました。地味な顔して結構やり手ですよありゃあ」

「俺ァてっきりお前が余程使えねェのかと思ってたが…」

「違います。違いますよ高杉さんそれは違います」


まともなご意見ではあるがそれを総督であるこの人に言われてしまっては船からポイ捨てされる可能性が脳裏にチラついたので言葉尻に被せるように否定しておいた。

とは言ったものの高杉さんとはもう長い付き合いだし、私が使えないことなんて十数年も前から変わらない事実としてご理解いただいているはずだ。それでも側に置いてくれているのはやはりお情けでしかないだろう。しかし今のところポイ捨てされる心配はあまりしていない。


「まァお前にしちゃ大層な進歩だったか」


この言葉の裏に隠れているのは「大した情報も寄越さねェ挙げ句お前の厄介払いもたった二週間しか持たなかった」ということだ。なかなかの嫌味に嫌味を重ねてくる。


「でも聞いてください、女中が流せる情報なんて隊士たちの食事内容と履いていたパンツの柄くらいなんですよ」


だからって高杉さんに副長のパンツの柄をお知らせするのは自分でもどうかと思いましたよ。でもそれくらいしか書くことないし、真っ白な報告書を提出するよりマシかと思った私の気持ちも汲んで欲しいと思う。そんなことしか書かれていないとはつゆ知らず、危険を冒してまで報告書を受け取りに来ていた仲間には悪かったけれども。


「そんなもんの為に一々斬られてんじゃあ世話ねェだろうよ」

「わあ本当だ、よくよく考えたら私副長のパンツの柄を流出させただけで斬られたんですね」

「…そうまでしてここに居てェか」


隣に立つ高杉さんの目は相変わらずこちらを向かないので私も習うようにしてぼーっと空を仰いでいた。質問をしてきたわりに答えは分かりきっているからだろうか、甲板の淵に片肘を乗せて紫煙を漂わせたまま依然前を見据えている。


「高杉さんのお側に居られるなら私、どこへだって行きます」

「そうか」

「もしかして心配してくれました?こんなポンコツでもあんな大層な戦争も生き抜いて今ここにいるんですから。私昔から運は良い方なんです」


昔はよく怪我をしてボロボロで帰ると高杉さんに鼻で笑われながら手当てしてもらったものだ。総督の手を煩わせるなんて贅沢な手当てだったと思うけど、そんなことよりも少し乱暴に巻かれた包帯を見るたびに私は頬を綻ばせていた。

どこに行ってもちょろちょろと付いてくる私をどう思っていたのかは知らないが、高杉さんはいつだってそれに口を出すことはなかった。放っておきはするけれど懐いた犬は存外大事にするタイプなのかもしれない。ああでも、手隙の坂田さんに手当てをしてもらった時は心底機嫌が悪かったように見えたので独占欲は強いのかも。


「それに今更私がいなくなったら高杉さん、逃げても逃げても探し出してふざけんなって斬り殺しそう」


当時を思い返しながらやっぱりこの人の側を離れることは出来なさそうだなと思い、続けるとやっとこちらを向いた顔は可笑しそうに笑っていた。


「ああ、違ェねえ」


なんでもないようにポイ捨てされるよりは、今この独占欲みたいなものが私に向けられているうちに逃げ出していっそ高杉さんの手で死ねたらそれはそれで満足かもしれない。

高杉さんの細められた目がやけに幼く見えて、今日は久々に手当てをお願いしてみようと思った。してくれないなら万斉さんに頼むとでも言えばきっと断られないに違いない。そう企んで声をかけてみると意外とすんなり受け入れられ、やっぱりポイ捨てされる心配はなさそうだとニヤける顔を両手で押さえつけた。

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