「あんた、本当にそのお侍さんに惚れてたんだねぇ」
「ちょっとおばちゃん!やめてくださいよもう、何年前の話だと思ってるんですか!」
「ふふ、だってねぇ、うちに来るといつもそんな顔するんだものよ」
「…お団子屋さん来るとどうしても思い出しちゃうんです。良い思い出ってだけなんですよ、本当に」
最後の言葉は自分に言い聞かせるように、呟いた。
「そうかい?良い思い出だから、その人のことを話してる時のあんたは幸せそうな顔してるのかねぇ?」
「ニヤニヤしないでくださいったら、もう」
言われた通り、他意はなく本当に良い思い出だから幸せな顔ができるんだろう。街の隅の小さな団子屋で、優しい店主のおばちゃんと懐かしい初恋の話しをしているだけなんだ。
坂田さんが来なくなったあの夜から、二晩だったか三晩だったか経った頃、私のいた遊郭は一晩にして無くなってしまったのだ。
攘夷戦争中、来ていたのは坂田さんだけではなく、もちろん他の攘夷志士の方も通っていたのだが、つまりそれは戦争が行われている場所がそれほど近いということ。
自然といえば自然に、戦争に巻き込まれ文字通り、火事で全て無くなってしまった。
「懐かしい、なぁ」
「今日はちょいと弄り過ぎたかいね?お団子1本サービスするから許してくれね」
「ふふ、じゃあ1本はお土産用にお願いします。そろそろ帰らないと洗濯物があるの、なんだか今日は雨が降りそう」
「あいよ、気をつけて帰るんだよ」
「ありがとう!」
火事に託けて遊郭を抜け出して、江戸の街に来てもう何年も経つ。最初こそしたことのない1人ぼっちの生活に戸惑ってはいたものの、今となってはもう慣れたもので、こうやって買い物帰りに近くのお団子屋さんのおばちゃんと話すのが日課になっている。
「うわ、思ってたより早く降りそう…急がなきゃ」
少しサボっていたせいで溜まった洗濯物をやっと干したものだから、雨が降るとかなりの量がやり直しになってしまうので慌てて帰ろうと小走りしだした。
のがいけなかった。
「危ないアル!!」
「えっ」
声に気づいた頃にはもう遅くて、視界いっぱいに広がる大きくて真っ白なもふもふ。からの暗転。あれ、死ぬんじゃないのこれ、と思いながら意識を手放した。
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「お前らの銀さんのお帰りですよぉーっとォ」
「ちょっと銀さん遅いですよ!って酒臭っ!また飲んでたんですか!」
「っるせぇなー、こちとら溜まってんだよ鬱憤も性欲もォ!」
「知るかそんなこと!そんなことより今大変なんですから、ちょっと来てください!」
気持ちよく飲んで帰ってきたら相変わらずのツッコミで迎えられ、風呂も面倒なのでそのままソファででも寝てやろうと思っていたのにギャーギャー騒ぎ立ててる新八を横目にリビングに足を進める。
「銀ちゃあああん!」
「うおっ、なんだ神楽お前起きてたのかよ!お子様はとっとと寝てる時間だろ心臓に悪い ィよ馬鹿野郎!」
「銀ちゃんのノミの心臓の話しはどうでもいいアル!」
「おいどうでもいいってこたねぇだろ!」
と返したところでふと目の前のソファに見慣れない人間が横たわっていることに気づいてしまった。
「お、おい、なんだこれ誰だよこれ…」
「あー、話すと長くなるんですけど…」
「銀ちゃん、私自首するアル…」
「え、何やっぱり死んでんの?これ死体?」
口籠る新八にとんでもねぇことを言い出す神楽。酔いなんて一瞬で冷めたわけだが色んな意味で吐きそうだ。
「おいおいやっちまったよやっちまったなこれついにやっちまったよ」
「もう駄目アル!銀ちゃんのことはいいから私たちだけでも逃げるネ新八ィ!」
「何俺に擦り付けようとしてんだオイ!どうすんだよこれ埋めるか?埋めればいいのか?」
「いや死んでないから!あんたら何物騒なこと言ってんだ!」
神楽のとんでも発言で滝のように冷や汗が吹き出してきたところで呆れた顔の新八に突っ込まれホッとひと安心、したのはいいんだが結局何故うちで知らないやつが寝てるのか全く理解できず、目で説明を求める。
「はぁ、もう僕が説明するから神楽ちゃん黙っててね、余計なこと言ったら朝食抜きだから」
「オッケーアル!」
「昼、神楽ちゃんと買い物に行ってたんですけどね、帰りに少し雨が降ってきてはしゃいだ定春がその人とぶつかった、というか轢いちゃったんですよ…」
一応連れ帰って寝かせてるんですけど、まだ一回も起きてないです、と付け加えて困ったようにこちらを見る新八は相当疲れた様子だ。
「ったく、しょうがねぇなぁ…」
もう夜も遅いのに俺を待っていたらしく眠そうな顔で突っ立ってる新八と神楽に、あとは俺がなんとかしておくから、と伝えてとっとと寝るように促す。
しばらく心配そうにチラチラこちらを見ていたが、諦めたのか眠気に負けたのかすごすごと寝室に向かっていった。
「って、女かよ」
うわーまたこれめんどくせぇ要素が増えたよセクハラとかで訴えらんねぇよな、とかブツブツ呟きながら、何か手がかりがあるかもと女の持ち物にあった免許証を見て驚いた。
「なんっか、聞き覚えある名前、だな…」
なんだこの突っかかる感じ。喉まで出かかって、いやそんなわけないと自分自身で否定してしまう。
忘れたわけじゃない、忘れたことなんて1度もない、あいつの顔が浮かんですぐ消えた。
いやいやそんなわけないだろと思いつつ恐る恐るソファで横たわる女の顔を覗き込んでみる。
「…あー、えーと、こんな顔、だったかァ…?」
さっきのやり取りでちょっと冷めたとはいえ酒は入ってるわ部屋は暗いわでぶっちゃけよく分からない。そもそもあの頃から何年も経っているし、もしこいつがあのなまえだったとしても、化粧だって服装だって変わっているはずだ。だいたい名前が同じってだけで、何をそんなに慌ててるんだ俺は。
「馬鹿みてェ…とりあえず住所も書いてあるし、送ってくか…」
気を取り直すようにガシガシと頭を掻き、気持ちよさそうに寝息を立てる女をおぶって、先ほど帰ってきたばかりのはずの万事屋を後にする。
「…って遠すぎだろ!」
免許証に書いてある住所と照らし合わせながらおぶっているやつの家を探すが歩けども歩けども辿り着かない。あいつら買い物の帰りに轢いたとか言ってたよな!?どこまで買い物行ってたわけ!?
悪態をつきながらひたすら歩き続けると、江戸の端も端、来たこともねぇようなところまで来てしまった。
「あー、ここ、か」
書いてある住所通りであろう家はお世辞にも綺麗とは言えないあばら家だった。
どうにもぼーっとする頭で、女の持っていた鞄から鍵を取り出し扉を開ける。年頃の女が知らない男に知らない間に家の中を見られるのもなんだろうと思い、あまり周りを見渡すということはせず、適当に布団を引っ張り出してそこに寝かせる。
家を出る前に、迷惑をかけてしまったということで一応「万事屋 銀ちゃん」と書かれた名刺を枕元に置いてきたわけだが、
「後で慰謝料とか請求されたらどうすっかな…」
行きは暗くて気づかなかったが通り沿いに古びた団子屋があることに気付き、ふーん、と声に出してから朝日も昇りつつある寒空の下、昔のことを思い出しながらゆっくりと歩いて帰った。