熱を出した。

昨日掃除中にいつもの教室内の紛争に巻き込まれて頭からバケツの水を被ったからかもしれない。ていうか絶対そうだ。

初夏の生緩い空気にそぐわずずっと寒気がしている。今日は安静にしてなさいと内科の医者に言われしばらく寝ていたけど、朝から何も胃に入れていないからかなんだか気持ち悪くなってきた。


15


ピンポーン、家に響き渡る音にうわぁめんどくさいと思わずつぶやいてからのっそりと起き上がって玄関に向かう。それにしたって身体が重たいな、結構しんどいや。


「はい…」

「やっほーザキくん、元気?」


現在午後2時、ここにいるはずのない聞き慣れた声がしたので幻聴が聞こえるなんて俺死ぬのかなと思いながら顔を上げて確認するとばっちりなまえ本人がそこにいた。

え、何してんの。


「って元気なわけないよね。ゴメンゴメン」

「いや、え、学校は」

「わ、喉掠れてるね。セクシーフゥー!」

「え、お前学校、え」

「いつも通り登校してからずっと寝てて昼休みに起きてみたら隣の席に誰もいなくてね、先生に聞いたらザキくん熱出してるっていうからサボってきた」

「バカだろ…うつるから学校戻りな」

「さ、お部屋入ろう入ろう」

「聞いてる?」

「掠れてて何言ってるか分かんなーい天龍源一郎ですか」


わざとらしいボケをかましてずいずいと俺の背中を部屋へ押し戻すなまえはいつも通り俺の話を聞く気はないらしい。


「あらまぁ簡素なお部屋」

「地味って言いたいんだろ」

「シンプルで素敵なお部屋」

「わざわざ言い直すなよ!…ゲホッ」

「あーあー大きい声出すと悪化するよー。ほら寝て」

「ご、ごめん…」


どうぞ、と俺の布団を捲ってくれたなまえにお礼を言うと満足そうな顔をされた。何しに来たんだと聞くとドヤ顔で「看病しに」と即答されたけど未だ俺はこいつはサボりに来ただけだと踏んでいる。じゃなきゃわざわざ家にまで押しかけて来ない、はず。

いきなり来られたせいで寝癖も部屋もあまり見せられたものではないので妙にそわそわするのを紛らわすように布団を深くかぶった。まぁ、そわそわしているのは俺だけではないらしくなまえも正座した足をもぞもぞと動かしていて落ち着かない様子だ。


「ふふ、初めてお家来ちゃった」

「あんまり人来ないし、ちょっと新鮮かも」

「女の子とか連れ込まないの?」

「連れ込めると思う…?」

「思わない」


言い出してきたのは自分のくせに相変わらず失礼な奴だ。そりゃいつかは部屋に彼女を呼んでお家デート、なんてことを出来たらいいなと思うけど果たして人生でその瞬間が訪れることがあるか否か。あれ、待てよでもそう考えると今俺の部屋にこうしてなまえが座っているのってなんか、なんかなんか…さっきとは比にならないくらい緊張してきたぞ!


「ザキくん、汗すごいよ。結構しんどい?」


熱の具合を見ようとしたのだろうか、ふいに額に近づいてきたなまえの手を無意識にサッと避けてしまう。ああそんな微妙な顔しないで許して!心の準備が!


「なんで逃げるの。どうかした?」

「…あれだよあの、風邪だからってあんまりこう、簡単に男の部屋に上がらない方がいい、と思う、うん」


しどろもどろになりながら言うとハァ?と小馬鹿にしたような返事が返ってきた。なんか沖田さんに似てきたんじゃないの、なまえ。


「どうしてそんな風に思うの?」

「いや、だって…何されるか分かんないでしょ…」

「風邪引いてる人なら弱ってるから大丈夫だよ」

「弱ってるって言ったって相手が男ならさ、色々」

「色々?」

「看病に乗じて手とか出されたらどうすんの、って言ってんの!」


三秒、いや五秒?十秒?わからないけどそれくらいの間にやけに多く目を瞬かせて口を惚けている目の前の顔に「しまった」と今更思ったってもう遅い。こりゃ変なことを言ってしまった、せっかく看病に来てくれたって言うのに。熱のせいでうまく頭が回らない。


「…なに、ザキくんヤラシイこと考えたの」

「ち、ちがっ!俺は違う、けど!」

「私があなた以外のお家にわざわざ看病行くと思います?」

「えっと…行かないの?」

「行かないよ」


心外だというように行かないと言い切ったなまえに俺の後悔の念は更に加速する。そんな、君があばずれだなんて思って言ったわけではなくて、ああなんて説明すればいいんだろう誰か通訳、通訳を!一人脳内で慌てているうちに彼女がスッと立ち上がった。もしかして怒らせた?


「まぁ、ザキくんになら看病に乗じて手を出されてもいいよ私」

「は…?」

「風邪もらってあげよっか?」


出口に向かうであろうと思っていた彼女の足は確実に、横になっている俺の方へ近づいてきていて、気づいた時には鼻先三センチほどの距離にいつも眺めていた顔があった。但しそのいつもと違うのは隣の席という距離から見ていた寝顔ではなくて、しっかり開かれた大きな目の通り、ばっちり起きているということ。

いきなり目前に迫った好きな子の顔に思わず「っへ、」なんて間抜けな声が出てしまってそれを聞き取ったであろうなまえは口の端を上げてニィ、と悪戯な笑みを浮かべた。


「どうする?今なら熱のせいにしてあげる」


な、何を?なんて聞くほど野暮なことはしない、というかこの状況でそんなこと言えない。チラリと意味深に俺の口元を見て言われたその言葉にごくりと生唾を飲む音が鳴る。


「も、もしかして、だけど」

「なーに」

「キス、していいの…?」

「…それ以上言ったら意気地なしとみなす。はい、じゅーう、きゅーう、はーち…」

「ああああ待って待って待って!」


勘違いだったら嫌だな、いやこの状況でさすがに勘違いってことはないだろう、でもあのなまえのことだぞ俺をからかっているだけかも、

ぐるぐると色んなことが頭を駆け巡って出てきたのが確認の言葉、ってもうわざわざ言われなくても十分意気地なしなことは分かってるよ!未だ数を数える高い声を聞きながら悶々としているとついにゼロまで言い終わったなまえがため息を吐いた。


それから、もうからかわれてたってなんだってどうにでもなってしまえとほんの数秒だったけど、自分の唇を彼女の柔らかい唇に押し付ける。湿った唇から小さなリップ音が鳴って顔から火が出るくらい熱くなった。


「あったかい。熱結構高いね」


いやいやどんな確かめ方だよというツッコミもすんなり出てこなくて、誘われたからと言え自分からキスしたくせに口をぱくぱくさせて間抜け面のまま固まっている俺は今相当格好悪いに違いない。


「お腹減ったでしょ。色々買ってきたからなんか作ってあげるねー」


そんな俺を見かねたのか何なのか、何事もなかったかのように台所へ向かうなまえの意図が掴めなくて、ただただ後ろ姿を見つめることしか出来なかった。柔らかい唇の感触に収まる気配なく跳ね上がる心拍数、これじゃあ風邪をもらってもらうどころかむしろ悪化しそうだ。

ああやっぱり俺、熱上がったかも。


彼女はそうやって掻き乱す
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