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「本気ですか?! 実験体を引き取りたいなんて」

 薄暗い部屋だった。部屋というよりは倉庫と呼ぶにふさわしいそこが、彼女の生まれ育った場所だった。大人の身長ほどのプラントポット。その中に浮かぶ小さな身体。衣服はなにも纏っていない。少女の銀色の髪が、翡翠色の液体の中でゆらゆらと揺れている。太腿の無機質な刻印が、彼女が所有物であることを物語っていた。人間として認められていない、この組織の、ただの、所有物。それを視界に入れたヴェルドは、一度ぎゅっと目を瞑った。そうしてから、目の前の男に向き直った。
 痩せ型の若い男だった。身長はヴェルドとそれほど変わりがなかったが、体重差は明らかだ。骨と皮だけのような身体、頬骨がくっきりと出たその顔は神経質そうで、現に今、ヒステリックな声をあげたのもこの男だった。くすんだ金髪を掻きむしる男に気づかれないよう、ヴェルドは小さく息を吐き出す。深呼吸する気にはならない。此処の空気は、このビルのどんな場所よりも澱んでいる気がした。

「彼女は人間だ。こんな箱の中で育てても、情緒が養われるとは思えん」
「目的は人格形成ではなく、身体面の成長です。それに、外に出すリスクを考えると、」
「ならばより此処から出したほうが良いな。適切な食事と適度な運動をしなければ健康な身体は育たんぞ」
「しかし、」
「一体何事かね」
「宝条博士!」

 青年の声を遮ったのは、別の男だった。扉から入ってきた男も、ブロンドの青年と同様白衣を身に纏っている。年齢はわからない。若いようにも見えるし、かなりの歳のようにも見える。脂ぎった黒髪は一つに纏められ、丸眼鏡には手垢がべたりとついていた。男はチラリとヴェルドを見てから、プラントポットを覗き込んだ。少女の目蓋は閉じられたままだ。
 男――宝条は、持っていた茶封筒をデスクの上にばさりと放り投げた。中の書類が飛び出して、空中にはらりと舞う。その内の一枚が、ヴェルドの足元へと舞い落ちた。『DNA鑑定による古代種特殊遺伝子の一致率』というタイトルの下に、幾つものグラフが貼り付けられている。金髪の男が慌ててそれを拾い上げ、食い入るようにその資料を見つめた。もうヴェルドのことなど頭から吹き飛んでいるようだ。ヴェルドはため息を飲み込んで、今度は宝条へと向き直った。

「……そこの彼女の件で、博士にお願いがあります」
「“f”の育成の件か? 断る。先程遺伝子検査の結果が出た。これは古代種だ。まあ、純血種とは比べものにならないくらい劣っているがね」

 はっと息を飲む。古代種。彼女が。まさか。いや、どこかで予想はしていたのかも知れなかった。彼女の瞳は不思議な色をしている。似た瞳を持つ者を、ヴェルドは二人知っていた。二人とも、もう此処には居ない。居ない、と言い切っていいのか、ヴェルドにはわからなかった。母親は、戻ってきた。もう息はしていなかったが。

「興味深い研究結果だ。これ以外の実験体は全て失敗作だった。“a”にも、僅かながら古代種の遺伝子が見られたが、あの数値では古代種とは呼べんな。ああ、母体を廃棄してしまったことが悔やまれるなぁ……。“F”の遺伝子検査では、古代種の兆候は見られなかった。隔世遺伝か? あるいは突然変異か……足がつかないようにスラムから適当な妊婦を引っ張ってきたのは失敗だった。こうなるとわかっていれば、家系の辿れる女を攫ってこいと条件をつけたものを……」

 ヴェルドに話しかけているというよりは独り言のようだった。宝条は無精髭の生えた顎をさすりながら、少女が浮かぶプラントポットを見つめている。しかし、少女を観察しているわけではなかった。この科学者の頭の中は今、検査結果を受けてフル回転しているのだった。

「マテリアを胎児に埋め込んだところで、遺伝子問題が出てくるならば実用化はほぼ不可能。むしろ魔晄による肉体改造の方に焦点を絞るべきかもしれん。胎児期から魔晄に漬けたらどうなるか――……」
「宝条博士」
「なんだ、まだ居たのか」
「彼女を引き取る許可を、ぜひ私に」
「引き取って、どうするつもりだ? 死んだ娘の代わりにでもするのかね」
「っ!!」

 息を飲んだヴェルドの顔を、宝条は興味なさそうに覗き込んだ。ズキリ。痛む筈のない義手に走る電流のようなそれ。代わりにしようと、しているのだろうか。彼女を、喪ってしまった娘の代わりに。……そうかもしれない。これはただの偽善で、彼女を引き取ることで背負っている咎を少しでも軽くしようとしているのかも知れなかった。自分のせいで、腕も、村の人々も、大切な家族でさえ、全てが無くなってしまった。その、償いのつもりなのか。違う、と言い切ることはできなかった。それでも、記憶の中の少女の瞳が、なぜかヴェルドを急き立てる。深い森のような、暗く澄んだエメラルドグリーン。あの眼差しを、ヴェルドは忘れることができない。

「……このままプラントポットの中で育てれば、健全な肉体は望めないでしょう。適度に運動させるには、監視し指導する人間が必要だ。子どもの面倒を見れるほど、化学部門が暇だとは思えないが」
「タークスなら暇だと?」
「…………軍事学校に入れます。あそこなら警備はしっかりしているし、監視の目もある。寮に入れば衣食住全てが供給される。脱走が心配なら発信機でも埋め込めばいい」
「ふむ……確かに……いずれは健康な実験体を孕んでもらわねばならん。なるほど、卒業と同時に新しい実験に移ればいいというわけか」
「しかし、表向きは保護者が必要です。また、実験体を恒常的に研究室の外に出しておくとなれば、重役会議に掛ける必要がある。反対意見が全く出ないということはないでしょう」
「そこで、君の出番と言うわけかね」
「はい」
「成程、面倒な部分は全て君が処理し、我々は研究に没頭できるというわけだ。それで、君は何が狙いだ?」
「……ひとつ、条件を呑んで頂きたい」

 ヴェルドの言葉に、宝条はぴくりと眉を上げた。床に座り込んでいた金髪の男も、ヴェルドの声色が変わったことに気がついて顔を上げる。じっと宝条を見つめたまま、ヴェルドは唇を開いた。

「彼女がもし、神羅にとって有益な人材と判明したら、実験は待ってもらいたい」
「それは無理な話だ。モルモットの存在価値を根底から覆す気かね? 研究対象でなくなればあれはただの塵だ」
「使い物にならなければそれでも構わない。私は――彼女にチャンスを与えたい」
「私が、君に義手を与えたようにかね?」

 反応を探るような宝条の視線を、ヴェルドは正面から受け止めた。一瞬の沈。息の詰まるような緊張感のあと、ふう、と息を吐いたのは宝条の方だった。手垢だらけの眼鏡のブリッジをかちゃりと押し上げてから、床に這いつくばったままの金髪の男を見下ろす。

「あー君、えーと、」
「アシュヴィルです、宝条博士」
「ああ。近日中に“f”の資料を会議用にまとめておいてくれたまえ」
「っ?! 博士、この男の話を飲むのですか?!」
「話は以上だ。私は第一研究室へ戻る」
「宝条博士!」

 男の叫び声も虚しく、宝条は扉の向こうへと消えていった。呆然とした男は、それから不快そうにヴェルドを睨みつける。ヴェルドは何も答えなかった。男は荒々しく鼻息を吐き出しながら、手にしていた資料をまとめてデスクの上に置いた。脇の棚から分厚いファイルを取り出し、ぺらぺらと資料を捲る。ヴェルドはその背中から、視線をプラントポットの少女へと移した。彼女は眠っている。何も知らずに。たった今、彼女の人生が大きく変わったことなど、全く知らないまま、こんこんと眠り続けている。少女を見つめたまま、ヴェルドは男へと声を掛けた。

「君……アシュヴィルくん」
「……はい」
「彼女に名前はあるのか?」
「実験体に? あるわけないでしょう。与えられたコードは“M壱零壱−f”。それ以外の何物でもありませんよ」
「では、私がつけても構わないな。報告書はそれで作成してくれ」
「はあ……で、一体なんですか?」
「……カレン。“カレン”だ」
「花と豊穣の女神? 随分大層な名前ですね」

 “カレン”は、この星が生まれた時から居るとされる神々のうちの一人だった。どうしてその名が頭に浮かんだのか、ヴェルド自身もわからない。わからないが、そうするべきだと思ったのだ。彼女の瞳が脳裏に浮かぶ。荒廃したこのミッドガルに咲く花に、彼女はなれるのだろうか。過酷な人生になるだろう。それでも、彼女には他の道など用意されていなかった。ヴェルドにできるのは、彼女を道の真ん中に立たせることだけだった。歩くかどうかは――彼女次第だ。

 それから数年後、カレンはヴェルドに連れられ、地下三階、タークスオフィスへと、足を踏み入れることになる。





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