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- ナノ -

09


「なー、お前が最近入ったばっかりの“生意気な新人タークス”?」

 もう通い慣れたトレーニングルーム前の廊下。ベンチに座って一人ポーションを飲んでいたら、黒髪の男に突然声をかけられた。見慣れた服装はソルジャーのそれだ。確か色によってランクが違ったと思うのだが、よく覚えていない。ここはソルジャーフロアだから、ソルジャーが居てもなんの不思議もないけれど、話しかけられたのは初めてで一瞬まごついてしまう。なにも返さないあたしに、男はきょとんと目を丸くした。澄んだ空色の瞳が、真っ直ぐにわたしを見つめてくる。ソルジャーの証だった。

「あ、の、えっと、誰……ですか」
「俺、ザックス! ソルジャークラス2nd。よろしくな」
「はあ、」

 にかっと笑った男は、グローブに包まれた右手をぬっと突き出してきた。あまりにも自然な動きに、反射的に右手を差し出してしまう。あたしの手をがしりと掴んだ男の、その力強さにはっと息を飲んだ。あたしより、一回りも二回りも大きな手のひら。分厚いグローブ越しなのに、どうしてか彼のあたたかさを感じるような気がして、身体が硬直してしまう。そんなあたしに一切気付いていないのか、男はぶんぶんと腕を振ったあとあたしの手を解放した。指先が熱を持ったみたいにじんと痺れた気がして、思わず手のひらを凝視してしまう。え、なに、いまの。じっと見つめるけれど、それはいつもとなんら変わりない、見慣れたあたしの右手だった。

「お前、名前なんだっけ? えーと、あー……」
「……カレン、です」
「ああ、そうそう! カレン!」

 びしりと人さし指を向けられて眉間に皺が寄る。一応敬語をつけたけど、一体この人なんなんだろう。怪訝そうな表情をしていたのか、あたしの顔を見つめた男がにこりと笑った。裏表のないその笑顔があたしには眩しすぎて、余計に不信感が増してしまう。だいたい、初対面の人にこんなにフランクに接してくるのってどうなの。理解に苦しむんだけど。そんな失礼なことを考えていたら、もっと理解に苦しむ内容が、男の口から飛び出してきた。

「レノから話、聞いてる! すげー生意気なガキの面倒見てるって愚痴ってた」
「は? なにそれ! そんなこと言いふらしてんのあいつ?!」

 脳内で赤毛の男がニヤリと笑う。そのだらしない顔面に、思い切り右ストレートを喰らわせてやりたかった。そんな失礼なこと、べらべら喋ってんの!? しかもあたしの知らない人間に! タークスって神羅の重要機密なんじゃないの?! 信じらんないんだけど! 一気に沸騰したあたしを見て、男は焦ったように両手を振った。

「や、酒の席で言ってただけだから、俺しか聞いてないよ」
「はあ? 酔っ払ってそんなこと言うとか最低。ありえない!」
「まあまあ、落ち着けって」
「これが落ち着いていられる?!」
「……ふーん」
「な、によ」
「いや、レノの言う通りだなって」
「どうせ、あたしが生意気だって言いたいんでしょ」
「カレンのこと。よく吠える猫って言ってた」

 はあ?! 訳わかんない! もういい直接ボコる。レノは今タークスオフィスに居るはずだ。デスクワークをサボっていたレノに、ツォンさんの雷が落ちたのは今朝のことだった。まさに爆発と言ってもいいほど激しいそれに、レノは無駄口ひとつ叩かず机に向かったのだ。そうしてソルジャーフロアまで来たあたしは、シミュレーターでひとり汗を流していたのである。ちょっと休憩してからまたトレーニングをしようと思っていたけど、予定変更。レノを殴る。手合わせでは未だきちんとしたのは一発も入ってないけれど、オフィスで突然後ろから殴りかかればいけるはず。今までの分も上乗せして思い切り殴ってやる。鼻息荒く立ち上がったあたしのスーツの襟元を、ザックスがぐいと引っ張った。ぐえ、という変な声が喉から飛び出す。ちょ、ま、首、絞まってる!

「は、離して、」
「ストップ、どこ行くんだよカレン」
「レノの所に決まってるでしょ!」
「うお、待てって。さっきのは聞かなかったことにしてくれよ!」
「なんでよ!」
「レノに口止めされてるもん、俺」

 いや、口止めされてることペラペラ喋っちゃダメでしょ。こいつ本当にソルジャー? なんか軽いし、あたしの思ってたのと違う。むくむくと胸中で不信感が募る。抵抗しなくなったあたしに、ザックスはやれやれと手を離した。シャツの襟元を正しながら、じとりと不躾な視線を投げつける。一瞬きょとんとあたしを見つめ返したあと、あたしの思考を読んだのだろうザックスが不満そうに眉根を寄せた。

「お前、今俺がソルジャーってこと疑っただろ」
「だって、軽いし、そんなに強くなさそう」
「はぁ?! なんだよそれ! 俺はソルジャー1stになる男だっつーの!」
「アンタが? 無理でしょ。すぐ倒せそうだし」
「お前にはできねえって!」
「は? やってみなきゃわかんないじゃん」
「いいけど俺、強いよ?」
「上等。返り討ちにしてやる」

 売り言葉に買い言葉とはこのことだ。バチバチと視線をぶつけ合いながら、あたしとザックスはトレーニングルームの扉を潜る。ちょうど良い、実戦形式で試したいことが色々あったんだ。悪いけど、ザックスには実験台になってもらおう。にやりと唇を吊り上げる。プシュウ。背後で静かに扉が閉まった。



***



「ほーら、言ったじゃん、俺強いって。それとも、もっかいやる?」
「っは、ちょ、っと、待って、はあ、んぐ、」
「ほら、水やるよ」

 投げられたボトルを受け取って、一気に呷る。喉を通る冷たい感覚。ぷは、と息を吐いて、荒くなった呼吸を必死で整えた。こいつ、本当にソルジャーだった。腐ってもソルジャー、全然、敵う気がしない。タークスになってすぐの頃よりは動けているはずなのに、これっぽっちも歯が立たなかった。悔しい。唇を噛み締めて俯く。今日も、一発も、入れられなかった。悔しい、悔しい悔しい悔しい。あたし、弱いまんまだ。ちっとも、強くなってない。強くならなくちゃ、なにも、意味がないのに。一人で生きていけるくらい、強くならなくちゃいけないのに。ぶち、と唇が切れて、血の味が滲む。こめかみを伝った汗がぽたりと流れ落ちて、無機質な床を黒く濡らした。

「おーい、生きてる?」
「……アンタがソルジャーってことはわかったから、もう放っておいて」
「いや、泣いてる子は放っておけないでしょ」
「泣いてない!」

 顔を上げて、キッとザックスを睨みつける。驚いたように目を見開いたザックスが、一瞬呆けてから、ふは、と可笑しそうに笑った。なによ。なんか文句あるの。きゅっと唇を結んで、腕で額の汗を拭う。切れた唇がピリリと痛んだ。

「お前、ほんっと、レノの言ってた通りだな」
「は?」
「負けず嫌いで努力家。ほら、立てるか?」

 グローブが差し出されて、一瞬戸惑ってしまう。振り払ってもよかったけれど、それはそれでなんだか笑われる気がする。むっとしたまま、不服そうにその手を握ると、ぐい、と強い力で引き起こされて身体がよろめいた。慌てて踏ん張って転倒を堪えると、やっぱりザックスが可笑しそうに笑う。なんだか気づけば始終ザックスのペースな気がする。ありがとソルジャー様、と吐き捨てるようにそう言うと、おう! と明るい声が返ってきた。だめだ、皮肉、全然伝わってない。

「お前、いっつも一人でトレーニングしてんの」
「一人でしたり、レノやルードがいたり、色々だよ」

 初回こそ手厚い“実力確認”をしてくれたレノだったが、レノ自身も暇なわけではない。単独任務もあるし、ルードと組んでミッドガルの外に出ていくこともままあった。それどころか、教育と称してあたしを大量の仮想敵と戦わせ、自分は悠々と隅で寝ている日もあった。要はサボりである。もちろんルードも相手になってくれることはあるけれど、基本は一人で行うことが多くなっていたから、正直ザックスとの手合わせは助かった。ホログラムとの対戦も悪くはないけれど、振り返りを行えない分効率は悪い。今日みたいにアドバイスを貰えるのはありがたかった。だから、突然の申し出を、すぐに断れなかったのだ。ザックスが笑顔で口を開く。

「じゃあ、一人の時は俺誘えよ。相手してやるから」
「え?」
「俺も仕事あるけど、待機してる間は暇だからさー。カンセルは自主練の付き合いわりーし」
「ちょっと、待って、」
「あ、連絡先交換しようぜ! いつでも連絡くれよ」
「は、え、」
「端末持ってねーの?」
「いや、ちゃんと支給されてるけど、」

 取り出した端末を掴んだ指先ごとザックスが握ってくるから、どくんと変に心臓が跳ねた。いつの間にかグローブを外していたらしい左手が、あたしの左手を包み込んでいる。大きな手だった。大きくて、硬くて、あたたかい手だった。守る人間の、手だ。完全に固まってしまったあたしに気づかず、ザックスがあたしの端末をじっとみつめてから、自分の端末を操作する。離して、の一言が、喉に張り付いて出てこない。ザックスが触れている場所が、じりじりと火傷したみたいに痺れていた。香り、が。ふわりと漂ってくる、嗅ぎ慣れない匂いに視線が泳いでしまう。ま、待って、これ、ちょっと、近い、

「はい、送信完了っと。これでいいだろ」
「え、あ、うん、」
「俺のも登録しとけよ! メールすっから」

 朗らかに笑いながら、ザックスがするりと手を離す。端末が震えて、画面に表示される「よろしく!」の文字。差出人の名前を慣れない手つきで登録していると、ピリリリと電子音が室内に響き渡る。ザックスの端末からだった。

「あ、やべ、アンジールとの約束の時間過ぎてる!」
「アンジール?」
「そ。ソルジャークラス1stで、俺の目標! じゃ、俺もう行くから!」
「あ、ザックス!」

 慌ただしくトレーニングルームを出て行こうとするザックスを、思わず呼び止めてしまう。なに? と振り向いたその表情に、なんて言っていいか分からなくなる。眩しい笑顔、だった。今まで見たことないくらい。

「あー、今日は、ありがと」
「おう! じゃ、またな、カレン」

 プシュウ。扉が閉まっても、あたしはその場に立ち尽くしていた。手に持った端末をじっと見つめる。両手で数えられるくらいしかない連絡先の、一番下に見慣れない名前。保護者でも、上司でもない。同僚、と言う表現も、なんだか違うような気がして。爪の先で、その表示をなぞる。「ザ、ッ、ク、ス」小さな小さな声で、名前を呼んでみた。返事はもちろんないのだけれど、どうしてそれでもいいと思ったんだろうか。むず痒い感情に、首を傾げた瞬間、ピリリと端末が鳴り響く。反射的に通話をオンにして、端末を耳に当てる。聞こえてきた声は、相変わらず人を食ったようなそれだった。

「よォ新人。仕事だぞ、と」
「サボってたみたいな言い方しないでよ。アンタじゃないんだから」
「お前……ッ、いいから早く来いよ、と!」
「はいはい」

 ブツリ、通話を切って床に置いたままだったボトルを手に取る。あ、水のお礼、言い忘れたな。ま、いいか。そのうちまた会うでしょ。スーツの襟を正して、トレーニングルームを後にする。手の中で、ボトルがちゃぷんと音を立てた。





201120



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