07
「はああぁぁああ……」
やらかした。頭を抱えながら、ため息とも、悲鳴ともつかない声を零す。そのまま、ぐたりとデスクに突っ伏した。ヴェルドがいたら絶対にできない行動だ。幸いにも、タークスオフィスにはあたし以外誰もいない。がらんとした部屋は少しの違和感がある。誰もいない、なんて赴任以来初めてのことだった。いや、ヴェルドは昼休憩に行っただけで、たぶんビル内にはいるんだけど。机に突っ伏したまま、デスクの右側に顔を向ける。いつも隣で揺れている、ツンツンと尖った赤い髪。アクアマリンの瞳を持つ男の席は、いまは空っぽだった。今日、レノとツォンさんは出張だ。なんでも社長が、地方のお偉いさんと会食に行くらしく、その護衛のために朝早くにミッドガルを発ったのだ。リゾート地として有名なコスタ・デル・ソル。見たことのないその場所に想いを馳せる。いいなあ。あんなクソ社長の護衛はごめんだと思ってたけど、ミッドガルを出られるならなんだっていい気がする。しかも、超高級リゾート地。行ってみたい。青い海、白い砂浜、きらめく太陽。ああ、羨ましいけど、でも、護衛ってことはスーツかな。それは嫌かも。炎天下、スーツで砂浜に佇む赤い髪を想像して口元が緩んだ。暑いだろうな。いい気味だ。そこまで考えて、昨日の、驚いたように見開かれた水色の瞳を思い出す。ああああ、そうだ、やらかした。必死に、隠していたつもり、だったのに。
「絶対、怪しまれた……」
再び、頭を抱える。覚悟はしていたはずだった。任務内容に古代種の護衛が入っていることはとうに知っていたし、顔合わせの日だって前もって伝えられていた。十二分に、心の準備をしていたはずなのに。7年も前のことのはずだった。自分の中で、忘れることはなくとも、割り切れていた、はずなのに。胸の奥から、どろどろと吹き出す真っ黒い感情に、一瞬、我を失いそうになってしまって。腕を掴まれたおかげで正気に戻ったけれど、その後の自分の行動は今思い出してもお粗末すぎて笑える。その場から逃げ出すなんて、子どもじゃあるまいし。しかも迷子を心配したレノが追ってくる始末。教会の外で交わされた会話も、何でもない、というあたしの一点張りにレノが困惑していることが手にとるようにわかって、余計にむしゃくしゃしてしまったのだった。
「はあ……」
重苦しいため息を吐き出したところで、気持ちが軽くなるわけではない。古代種の護衛はタークスの重要任務のひとつだ。今日はルードさんが行っているけれど、そのうちあたしにも任されるようになるだろう。エアリスの、驚いた顔を思い出す。信じられないものを見るような、あの目。もっと。もっとあたしが、大人だったら、「久しぶり」と言って笑えたのかもしれなかった。もっとあたしが子どもだったら、「どうしてあたしも連れていってくれなかったの?」と泣きじゃくることができたのかもしれなかった。中途半端だ、あたしは。いつだって。ぎゅ、と唇を噛み締める。実験体として、神羅に育てられていたあたしを、人間にしてくれたのが、エアリスとイファルナだった。ろくに言葉を話せないあたしに、笑いかけてくれて、絵本を読んでくれて、そばにいてくれて、手を握ってくれたのは、エアリスだ。だから、エアリスに感謝こそすれ、彼女を恨むなど、お門違いなのだ。わかってる。わかって、いる。それでも、渦巻く重たい感情は、消えることはない。裏切り者、と喉が切れるくらいの声で叫び出したかった。あたしの心の中、隅っこでひとり、膝を抱えた小さなあたしは、いつだって泣き叫んでいる。捨てるくらいなら、手を差し伸べないで。放っておいて。苦しませないで。みんなみんな、大っ嫌い。ひとりぼっちは、もう――。
「あら、サボリ?」
扉がスライドする音に、反射的にデスクから起き上がった。やばい、ヴェルド……じゃなかった、仕事中だから、主任か。主任に目撃された。瞬時に言い訳をいくつも思い浮かべながら、出入り口を見遣ると、予想外の人物がこちらを見つめていた。見慣れた黒いスーツに、肩口で揺れるブラウンの髪。同じく茶色の瞳は、楽しそうに細められていて。釣り上がった唇が、酷く久しぶりで、思わず立ち上がって、彼女の名前を呼んだ。
「シスネ!!!」
「カレン、久しぶりね!」
駆け寄ったあたしに、シスネがひらりと手を振る。ふわり、彼女が学生時代から好んでつけていた香水が鼻をくすぐる。懐かしい。あたしよりひとつ上のシスネは、軍事学校時代の先輩だった。学食でひとりご飯を食べていたあたしに声をかけてきたのが始まりで、ぐいぐいくる彼女に押される形で関わるようになったのだ。今ではあたしの数少ない、というか、たったひとりの友人である。
「貴女、髪、ずいぶん切ったのね」
「ああ、うん、シスネが教えてくれた美容院、行ってきたの」
シスネがあたしの毛先をふわりと撫でる。似たような髪型になってしまって気恥ずかしかったが、シスネはさらりと「似合ってるじゃない」と笑った。その笑顔に、自然とこちらも口元が緩む。1年か、それ以上か。彼女が卒業してから会っていなかったので、本当に久々の再会だった。神羅軍事学校を主席で卒業した彼女は、そのままタークスに配属された。1年本社に勤めた後にその腕を買われ、ジュノン支社に転属となったのだ。連絡は取り合っていたけれど、やはりこうやって直接会うと、いろいろと話したいことが泉のように湧いてきた。そんなあたしの表情に気付いたのか、シスネがくすりと笑う。きれいな微笑みだった。
「どう、タークスは。毎日刺激が絶えないでしょう?」
「まだ、全然。でも、それなりには、やってるよ」
「それなり、ねぇ。聞いてるわよ。レノとやり合ってるんだって?」
「げ、」
その名前に顔を顰めると、シスネは意地悪く笑った。この様子じゃ、全部知っているらしい。白々しく「どう?」なんて聞いてくるあたり、本当にタチが悪いな。やっぱりタークスに推薦されるだけあって、一筋縄じゃいかない。学生時代から痛いほどわかってたことだけど。にやにやしているシスネを睨みながら、唇を尖らせる。あはは、ごめん、と口を開けて笑ってから、シスネはぽん、とあたしの背中を叩いた。
「話は今度聞くわよ。予定合わせてランチでも行きましょ」
「うん。あれ、そういえば今日は?」
「兵器開発部門に、ちょっとね。すぐとんぼ返りよ。勘弁して欲しいわ」
それは残念だ。もう少し話していたかったけれど、仕事ならば仕方ない。また連絡すると言って、あっさりとシスネは去って行った。残されたあたしは、自分のデスクに戻ってから、右耳のピアスに触れる。そうだ、もうあたしも軍事学校を卒業したのだから、ミッドガルを自由に歩けるのだ。シスネと、ショッピングなんかも、できるかもしれない。膨らむ期待に、胸が高鳴った。ランチ、と彼女は言っていた。きっと、素敵なカフェを紹介してくれるだろう。そうして、お互いが話したいことを、好き勝手に話すのだ。彼女と一緒にいるのは心地が良かった。たぶん、境遇が、似ているからだと、思う。彼女の出生について、あたしはよく知らない。どうやら孤児院の出で、神羅に育てられたから、表の部署ではなく裏のタークスに配属されたという話だが、詳しくは聞いたことがなかった。同じように、彼女も、あたしのことを知らないだろう。そういった話をすることはなかったし、あたしの出自についてはデータベースにもロックがかかっているはずだ。それも、とびきりのやつが。それでも、彼女は適度な距離を保ちながら、あたしに付き合ってくれた。その距離感が、心地いいのだ。あたしのなかに、踏み込んでこない、そのぬるま湯のような優しさが、心地いい。だから、壊したくない。全てを知ったら、きっと、今みたいな関係ではいられないだろう。知られてはならない。あたしの過去を。彼女にも――誰にも。
「さて、仕事、再開しますか」
呟いて、ディスプレイに向かう。ひとりきりが、安心するのは、確かだった。
200802