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- ナノ -

05


 それは、あたしの全てを掻っ攫ってしまうほど、美しく凪いだ、瞳だった。



***



「カレン?」
「……え、あ、ごめん、なに?」

 手元のプレートから顔を上げて、ヴェルドを見つめる。苦笑を零したヴェルドが、ワイングラスを傾けた。壱番街、支柱付近の雑居ビルの地下にある、小さな店だった。レストランというにはこぢんまりしすぎているし、バーというには閉鎖的なここは、ヴェルドのお気に入りの店だ。暖かい色の間接照明が、煉瓦造りの壁を照らしている。店内で流れているジャズはスローテンポで、店主のセンスの良さを感じさせた。個室に二人きり、ぽつりぽつりと会話をしながら食事をしていたのだが、いつの間にか考えに耽ってしまっていたらしい。止まっていた手を動かして、柔らかい肉を一口、ぱくり。ああ、美味しい。

「どうだ、仕事の方は」
「まだ、慣れないけど。でも、なんとかやっていけそう」

 タークスの一員となってから早三日。やっとヴェルドと時間が合ったので、こうやって食事を共にしているのだった。怒涛の三日間だった。思い出すだけで、肩に疲労がずしりとのしかかる。新人だから、一人で担当している仕事なんてないし、定時前にはなんとなく書類も片付くけれど。やはり新しい環境に気を張っていたらしく、毎日自室に帰ってから死んだように眠っていた。正直、今もちょっと眠い。あくびを噛み殺しながらグラスを傾けると、それに気づいたヴェルドが小さく笑った。

「メンバーとも、うまくいっていそうだな」
「ツォンさんも、ルードさんも、優しいよ。仕事、丁寧だし。教え方上手いし」
「レノはどうだ? お前の教育係はあいつだろう」
「う、」

 言葉に詰まる。ツンツンした赤髪と、にんまりと細められた瞳が脳裏にチラついた。初日から食ってかかってしまったせいか、どうも会話の端々で衝突するようになってしまった。衝突というよりも、マウントを取り合う、という表現の方が正しい気がしたが。にやにやとした表情を思い出してむかっ腹が立つ。あいつ、絶対、あたしを育ててやるって思ってない。教育じゃなくて、調教しようとしてる、間違いない。初日の、あたしをボコボコにした後の恍惚とした視線。くそ、サディストめ。どうせならルードさんを担当にして欲しかった。そしたら、あたしだってもっと素直に学ぼうとしたはずだ。

「まあ、そういう顔をするな」
「どんな顔よ」
「……周囲を威嚇して唸ってる猫、だな」

 わけわかんない。むすりとしてワインを流し込むと、ヴェルドが楽しそうに笑った。声を出して笑うのは珍しい。酔ってるのかな。ぱちぱちと瞬きしながらヴェルドを見つめると、彼は大きく切り分けたステーキをばくりと口に入れた。もぐもぐと咀嚼してから、ごくりと飲み込む。口元を拭ったヴェルドが、背もたれに寄りかかりながらあたしに視線を寄越した。細められる瞳。う、なんか嫌な予感。

「それで、お前はどうしてあんなにレノに食ってかかる?」
「うぐ、……別に、そういうわけでは、」
「自覚がないとは言わせんぞ。……まあ、大方の予想はつくが」
「…………チャラついてるのが、嫌なだけ」

 目を引く染められた赤い髪も、だらしなく着崩された制服も、飄々としたあの態度も。全てが神経を逆撫でされているみたいに、気に障ってしまうのだ。原因はわかり切っていた。あたし自身の問題だ。レノは一切関係ない。わかってはいるのに、自分の感情をコントロールできない。ただの八つ当たり。あたし、本当に、子どもだ。ぎゅっと、膝の上のテーブルナプキンを握りしめる。ないのだ、余裕が。あたしには、この道しかないから。タークスでなくなってしまえば、あたしは、また、あの場所に逆戻りだ。そんなの、死ぬよりも、嫌だ。だから、必死にしがみついている。その隣で、あんなに、自由奔放に好き勝手に、されて、苛立たない、わけがない。ああ、本当に、ただの八つ当たりだ。じわりと目の奥が熱くなる。それを散らすように、ゆるく頭を振った。お酒、飲みすぎたかもしれない。それとも、疲れてるから、いつもより回りが早いのかな。

「カレン、」
「……ごめんなさい、ヴェルドが、せっかく、まとめてるチームなのに、あたし、掻き乱してる」
「そんなことはない。お前程度に掻き回されるほど、ヤワな人選はしていないさ」
「でも、」
「レノは、」

 ヴェルドが言葉を切った。店内はあたしたちしかいない。ジャズピアノが、あたしたちを静かに包み込んでいる。なんという曲かは知らないけれど、どこかで聞いたことのあるメロディーだった。虹の向こうへ行きたいのに、青い鳥のように飛べない自分を嘆く曲。いつだって、あたしは飛べなかった。今も、きっと、これからも。

「あいつは、誇りを持ってタークスをやっている」
「……そうだね」

 誇り。プライド。初日のあの、戦闘訓練を思い出す。あたしの素手の攻撃は、一発も当たらなかった。どこを攻撃しても、隙をついたと思っても、それはするりと無駄のない、最小限の動作で躱された。その流れるような動作が、あまりにも綺麗で、胸を突かれてしまったのだ。どれだけ。どれだけ鍛錬を重ねれば、あれほどまでに相手の動きを読むことができるのだろうか。鍛錬だけではない。それ以上の実戦経験を積まなければ、あんな動きができるはずがない。実戦経験。卒業試験と称されて、戦地に連れて行かれたことを思い出す。ぞくりと背を這う不快感。あんなにも簡単に、人の命を奪えるのだという絶望感。それを、あの男は、どれだけ経験してきたのだろう。生き残るには、目の前の敵を倒すしかない。その屍を越えた先にしか、あたしたちに未来はないのだ。あの男の足元には、きっと、あたしには想像できないくらいの屍が、転がっているに違いない。血濡れた革靴でそこを歩く彼は、一体なにを見て、なにを思ってきたのだろう。

「あたしにも、持てるかな。誇り」

 彼のように、とは言えなかった。初めて目が合ったときの、胸のざわめきを思い出す。湖の底のように、酷く澄んだアクアマリン。それは、あたしの全てを掻っ攫ってしまうほど、美しく凪いだ、瞳だった。

「……お前次第だ」
「……そっか」

 いつの間にか、手元のグラスは空になっていた。「帰るか」と言って、ヴェルドが立ち上がる。ここは俺が持つ、という言葉に甘えて、奢ってもらうことにした。タークス就職祝い、だそうだ。いつも何かと理由をつけて奢ってくれるので、あたしが出したことはほとんどなかった。甘やかされているという事実が、くすぐったい。ありがとう、と述べて、あたしも席を立った。会計をするヴェルドに声をかけて、先に店の外に出ることにする。響くドアベル。顔を上げると、大量のライトに照らされて、神羅ビル本社がそびえ立っていた。暗闇を切り裂くように、煌々と光る無機質な物体。あたしの、帰る場所。ぶわりと生暖かい風が吹いて、咄嗟に右手で髪を押さえる。耳に触れる硬い感触。埋め込まれたピアス、あたしを、縛る、もの。手のひらをぐっと握り込む。負けない。負けて、たまるか。こんなところで、負けたく、ない。

「待たせたな」

 カラン、というドアベルの音を立てて、ヴェルドがあたしの横に立った。あたしと同じように神羅ビルを見上げて、小さく息を吐く。それに気づかなかったかのように、わざと明るい声を出した。

「へーき。ごちそうさま」
「ああ。……一人で帰れるか?」
「大丈夫。迷子になるな、って方が、無理」
「そうだな」

 ふ、と笑ったヴェルドが、じゃあな、と手をあげてから、ふと思い出したようにあたしの名前を呼んだ。表情はいつもと変わらないのに、目の奥が楽しそうに光っている。な、なんだろう。なんか変なこと、考えてるな?

「そういえば、言い忘れていたことがあったな」
「な、なに」
「レノが、お前の対人戦闘能力は最悪だと言っていたぞ」
「うげ、」

 なんということだ。そりゃあ、軍事学校の成績は保護者であるヴェルドに包み隠さず伝わっているだろうけれど、わざわざそんなこと、伝えなくてもいいんじゃないの? 眉間に皺を寄せたあたしをみて、ヴェルドがククッと笑う。笑いごとじゃないし。ヴェルドには言ってないけど、あたし、あの時思いきり脇腹蹴り上げられて、吐くかと思ったんだから。昼休みにトイレで確認した時もまだ青痣が残ってたんだから。どんだけ本気で蹴ったんだあいつ。初日の新人に対する仕打ちじゃないんですけど。信じられない!

「それから、射撃の腕はピカイチだとも言っていた」
「!」
「頑張った甲斐があったな」

 ぽん、とあたしの頭に手を乗せたヴェルドが、今度こそ背を向けて去っていく。急降下していた気分はぐんぐん上がって、我ながらなんて単純な人間なんだろうと思った。ほ、褒められた。うれしい。にやにやしながら、ヴェルドが触れた場所をなぞるように、髪を撫でる。ふと、レノにも同じように、頭を撫でられたことを思い出した。ヴェルドよりも、少し乱暴に置かれた大きな手のひら。そういえば、ヴェルド以外の人に、頭を撫でられたのは、初めてのことかもしれないな。だからだろうか、変に胸がざわつくのは。それともワインの飲み過ぎか。

「ま、部屋に着く頃には抜けてるっしょ」

 ライトに照らし出されたビルに向けて、一人歩き出す。不思議と、いつもより足取りは軽かった。





200723



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