30
ミッドガル・ハイウェイにはあたしたち以外の車は見当たらない。当たり前か。この時間では、ハイウェイを通過しただけで警備マシンに追跡されてもおかしくはない。プレートの上に住んでいる人々が、わざわざそんな危ない橋を渡るはずもなく。まあ、快適だからそれに越したことはないか。未だ追手は見えない。振り切れたのだろうか。そんなに甘くない気はするけれど。
「おいおいおい、なんだよ、あれ!」
後方でバレットの叫ぶ声が聞こえて、クラウドにしがみついたまま振り返った。飛び込んできた光景に、目を疑う。かなりの距離があるはずなのに、未だでかでかとそびえ立つ神羅ビル。その巨大な建物が、黒い霧のようなもので覆われていた。竜巻のように、それはぐるぐるとビルの周りをめぐっている。バレットの声にティファたちも気がついたのか、青い自動三輪がブレーキを掛ける。服を引っ張ってクラウドの名前を呼ぶと、クラウドは車体を旋回させながらバイクを止めた。バイクから飛び降りて、エアリスたちに駆け寄る。空中を浮遊する霧のような物体が、ふわりと吸い寄せられるようにビルのほうに向かって消えていった。
「フィーラー?」
ビルは完全に呑まれてしまっていて、こちらからは様子が確認できない。中にいる人たちは大丈夫だろうか。レノは――、いや、きっと、レノなら大丈夫だ。ぎゅっと拳を握ってから、腰に下げたロッドをするりと撫でる。それよりも、あのボロ布、一体なにが目的であんなに集まっているんだろう。
「ウジャウジャ……だよな?」
「ああ」
「なにが起こったのかな?」
「なんだろうね」
「ウェッジは巻き込まれてねえだろうな」
「無事、だといいけど」
「……来たぞ」
レッドの耳がピクピクと動いたかと思うと、低い声で告げられる。ハイウェイの向こうから、大量の兵士たちが、バイクに乗ってこちらに向かってきた。クラウドの声に、みんなは車へと飛び乗った。あたしも、バイクに跨るクラウドの後ろにピタリと引っ付く。本当は運転したかったけど、多分それどころじゃない。それに、魔法が使えるあたしが、攻撃に専念した方がいい。クラッチを操作したクラウドが、バイクを急発進させる。すぐにギアは二速に変わり、景色が背後に流れ出す。このバイクは相当馬力があるけれど、ティファたちの車はそうもいかない。なんせ、三人と一匹も乗ってるし、そもそもスピードを重視して作られたものではない。あーあ、もっとゴツい車にしたかったのに。キーがなかったから、どうしようもなかった。
「うぉおおおあ!!」
「っ!! バリア!!」
突如銃撃され、バレットが叫び声を上げる。慌ててバリアを張って、銃弾を防いだ。三台ほどのバイクが、あたしたちを追い抜いて、ティファの運転する車へと距離を詰める。クラウドが、手にしていたバスターソードでバイクごと神羅兵を切り捨てた。バランスが少し崩れて、車体がぐらぐらと揺れる。こわ!! ちょ、落とす気ですか?!
「しっかり捕まってろ」
「いや捕まってるからね?! もう、攻撃はあたしに任せといて、運転!」
「あんただけじゃ心許ない」
「なにをう!!」
「せいぜいぶっ倒れない程度でやってくれ。気絶して落ちても拾いに行かないぞ」
「ら、ラジャー」
ヘロヘロになった前科が数え切れないくらいあるため、素直に敬礼する。調子に乗って魔法をぶっ放すのはやめておこう。襲ってくる兵士のバイク、そのエンジン部分目掛けてサンダーを落とした。ショートしたバイクが、バチバチと音を立てながら減速する。早めに降りた方がいいと思うよ、それ。多分、爆発するから。
「やるじゃねぇかカレン!!」
「どーんなもんよ! って、わわっ!!」
「ちゃんと捕まってろ、馬鹿」
「安全運転!」
ぐるりと車体を回転させたクラウドが、バスターソードで神羅兵を弾き飛ばす。危うくあたしまで飛ばされるところだった。神羅兵はひっきりなしに襲ってくる。バイクだけでなく、トラックまで現れた。助手席からレーザーサイトが照射されて、それを避けるようにクラウドがハンドルを切る。意識を集中させて、トラックのタイヤにファイアを放った。小規模な爆発音と、ゴムの爆ぜる音。パンクしたのか、轟音を立てながらトラックが蛇行運転を始める。うーん、気力は使わないけど、その分神経を使う作業だな。でも、文句は言わないでおこう。運転しながら剣を振り回しているクラウドの方が大変だ。そんなことを考えていたら、ハイウェイの前方に神羅の兵士を発見した。盾を持った兵士達の背後には、ご丁寧に赤いバリケードが並べられている。へえ、そんなんであたしたちを止められると思ったわけ? 舐めてもらっちゃ困るね。どう料理してやろうか。ペロリと唇を舐めたのと、クラウドが叫んだのは同時だった。
「飛ばすぞ!」
「え、わ、ぎゃーーー!!!」
一気にアクセルを回したからか、車体の前輪が持ち上がる。後ろに振り落とされないように、クラウドの腰を力の限り抱きしめた。加速したバイクが、前方を走るトラックに一気に追いつく。そのスピードに乗ったまま、クラウドはトラックの前輪をバスターソードで思い切り破壊した。バランスを崩したトラックは横転し、そのまま兵士ごとバリケードを突破して停止した。その脇を、ティファたちの車とともに通り抜ける。拳を上げて吠えるバレット。ガッツポーズで応えたけれど、バレットの声に被さるように、上空から聞き慣れたプロペラ音が。一難去ってまた一難。どうやらこの鬼ごっこ、まだまだ終わらないらしい。
***
並走するモーターボールに、クラウドが渾身の一撃を叩き込んだ。炎を上げながら回転しているそれを、スピードを上げて追い抜く。爆発音。背後からぶわりと熱風が吹いてきて、ゴムの焼ける臭いが鼻につく。バレットが拳を突き上げたのと、クラウドが急ブレーキをかけたのはほぼ同時だった。車体を傾け、強引に止まるバイクに、飛び出しそうになった悲鳴を飲み込んだ。び、びっくりした、な、なに、急に、
「クラウド? どしたの?」
「……いや、」
何か見つけたのかと思ったけれど、違ったみたいだ。首を振ったクラウドの腰から腕を離し、バイクを降りる。目の前にはトールゲート。そこから続く道路の先に、壁はない。ハイウェイの終端、ミッドガルの終わり。この道の向こうに、見たことのない世界が広がっているのだろうか。車から降りてきたエアリスたちと合流する。何かに引かれるように、道の先へと進んでいくクラウド。無言で駆けていたクラウドが、突然足を止める。その視線の先、空中に、男が一人、浮かんでいた。
「……セフィロス」
ゆっくりと地面に舞い降りたセフィロスの左手には、長い刀が握られている。噛みつこうとするバレットを制したのは、意外にもエアリスだった。セフィロスを正面から睨みつけたエアリスは、決意を瞳に宿して告げる。
「あなたは……まちがっている」
「感傷で曇った目には、なにも見えまい」
「あなたは、まちがっている」
ふ、とセフィロスは笑みをこぼした。その魔晄色の瞳が、あたしを射抜いた気がして。気のせいだろうか。それとも。
「命は星をめぐる。だが、星が消えればそれも終わりだ」
「星は消えない、終わるのはおまえだ」
「来るぞ」
バスターソードを構えたクラウドなど気にも留めず、セフィロスは顔を上げた。その唇が動いた、次の瞬間。劈くような金切声が響き渡り、思わず耳を塞いで蹲み込んだ。脳内に直接聞こえてきたかのようなそれは、あたしにまとわりついて離れない。吐き気を催すほどの頭痛。霞む視界に、フィーラーたちが舞う。悲鳴を上げながら、あたしたちとセフィロス取り巻いたフィーラー。セフィロスが、何か言っている。悲鳴が酷くて聞き取れない。頭が痛い。映像が直接、脳内に流れ込んでくる。抜けるような青空と、白い雲。風吹き荒ぶ荒野に、数え切れないほどの銃口を向けられた、一人の男。口元が動く。なにを言っているの。響く叫び声でなにもわからない。男が背中の大剣を手に取り、祈りを捧げるように掲げた。嫌だ、みたくない、この光景は、もう、みたくない、あたし、嫌だ、どうして、だめ、お願い、死なないで、――ザックス。
「いやあぁぁぁああ!!」
はっ、と気がつくと、周囲を飛び回っていたフィーラーたちは消えていた。いや、セフィロスの前に集まって、壁のように立ち塞がっていた。それを持っていた刀でセフィロスが一閃する。鳴り響く雷鳴。嫌な風が、あたしたちの髪を揺らした。振り返ったセフィロスは、クラウドに「早く来い」と、そう告げてから、その霧の壁へと消えてしまう。迷いなく後を追おうとするクラウドの腕を、引き止めたのはエアリスだった。
「ここ、分かれ道だから」
雷が渦巻く壁に向かってエアリスが手をかざすと、光の粒子が弾けて辺りを明るく照らし出した。あたしたちを阻んでいた雷は消え、キラキラと瞬く白い霧。この、霧の向こうにはなにがあるんだろう。ポツリと漏らした言葉に、エアリスが答える。自由。そうか、自由か、この壁の向こうに、喉から手が出るほど、欲していた、自由が、あるんだ。ぞくり、と身体が震えた。自由は、こわい。それを、手にしてしまうことも、すごく、こわい。あたしの、手の中に、自由が、あるのは、こわい。
「セフィロスが大事なのは、星と、自分。守るためならなんでもする。でも、そんなの、間違ってると思う。……星の、本当の敵は、セフィロス」
だから止めたい。エアリスはそう言ってみんなを見回した。その、エアリスの手が、震えていて。そうか、エアリスも、こわいんだ。あたしと、みんなと、一緒で。足を踏み出す。じゃり、という音に、みんながあたしの方を向いた。エアリスも。その、不思議に光る翡翠の瞳を、正面から見つめる。
「エアリスは、いろいろ、知ってるんだね。知ってて、わかってて、でも、この先に、進むの?」
「……カレンに、言えないこと、いっぱい、ある。ごめんね」
「ううん、一番苦しいの、エアリスだよね。あたし、自分のことですら、わからないけど、でも、エアリスが信じた道なら、あたしも、信じる」
エアリスに近づいて、その白く細い手を、ぎゅっと握った。ぜんぶ一人で背負うことなんてない。ちょっとはあたしにも背負わせて。少しでも軽くさせて。クラウドが、あたしに手を差し出してくれたように。遥か昔、誰かが、あたしを抱きしめてくれたように。
「星、救いに行こう? ね、クラウド」
振り返って、微笑む。眩しそうに目を細めたクラウドが、ゆっくり、でも、しっかりと頷いた。
「ああ、迷う必要はない。セフィロスを倒そう。悲鳴はもう聞きたくない」
クラウドが、みんなを見回して。みんなも、クラウドの目を見て頷いた。クラウドが一歩一歩、壁へと近づく。これが、運命の壁。世界の特異点。これを越えたらもう、戻ることはできない。みんな変わってしまう、とエアリスは言った。それでも、彼女が、星を守ると言ったから。あたしが、エアリスについていくと、決めたから。ぐ、と拳を握り締めて、光る壁へと近づく。こわいけど、きっと大丈夫。あたしには、みんなが、ついているから。
200617