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 地下三階の総務部調査課オフィスには、ツォンの万年筆を走らせる音が響いていた。そして、コツコツと指先でソファを叩く音も。その音の発生源であるレノは、苛立ちを隠すこともなく溜息を吐き出した。最高に不機嫌なレノを見遣ったツォンが、心中で同じように溜息を零す。こちらは呆れからくるものだったが。ソファに横になったまま、レノはギラギラとした瞳で天井を睨み付けている。食いしばった歯の奥から、唸り声すら漏れてきそうだった。擦り傷の処置どころか、顔の煤すら落とされていないその様子からは、いつもの余裕が一切感じられない。流石に出血した場所や大きく負傷した部分には応急手当が施されていたが、それもルードが半ば無理やり行ったものだ。七番街プレートから本社に戻ってきてから、ずっとこの調子だった。原因がわかり切っているだけに、ツォンとしてもどうしようもない。しかし、放っておくわけにも行かない。また零れそうになったそれを飲み込んで、視線を落としたままツォンは口を開いた。

「なあレノ。ケガの治療を優先したらどうだ」
「オレには専属医がいるんでね。……あいつの治療以外、受ける気ねぇよ」
「仕方ないだろう。彼女はタークスだ。社員の健康調査も会社の仕事の内。だろう?」
「連れて行かれた先が科学部門じゃ――やってることは、実験と、同じだ」

 吐き捨てるレノに、ツォンは閉口した。科学部門の統括は血も涙もない宝条だ。彼女のことなど、ただのモルモットにしか思っていないに違いない。ツォン自身それを痛いほどわかっていたため、すぐにハイデッカーに彼女の解放を申し立てたのだが。返ってきた言葉はなんとも要領を得ないものだった。こちらを全く信頼していないのその態度に、さしものツォンですら腸が煮える思いだった。表情には一切出さなかったが。

「……彼女に危害は加えないと言質を取ってある」
「あいつにとってはあの場所そのものが苦痛だろうよ」
「記憶がないのにか?」
「記憶がなくても、だ」

 レノと彼女の関係は、タークスの中では周知の事実だ。事実だった、というべきなのかもしれないが。記憶をなくした彼女とは、まだ落ち着いて話すらできていないはずだ。あれだけ探し求めた彼女を置いて、仕事を優先させたその精神は見上げるものがあるが、しかし、その分やり場の無い憤りが全身を支配しているようだった。爆発していないのが奇跡だ。彼女のことになると、どうやら目の前の部下は自制しすぎる節があるらしい。

「副社長にも掛け合っているが……どうだかな」
「くそ、これじゃあ連れ帰った意味がねェ」
「乗り込んだりするなよ、レノ」
「へいへい」

 話は終わりだ、とばかりに寝返りをうったレノが、「いでっ」と小さく呟く。その様子に、相棒のルードも眉間の皺を深くした。何も言わないのは、何を言っても仕方がないと理解しているからだろう。ルードが大きく息を吐いて、チェアに寄りかかったのと、ツォンのデスクの電話から呼び出し音が響いたのは、ほぼ同時だった。万年筆を置き、ツォンは受話器を手に取る。

「はい、了解しました」

 低い声で了承し、受話器を置いたツォンは室内を見回した。その雰囲気が変わったことに気づいたルードが、背筋を伸ばす。レノも、痛む身体を起こしてツォンの方へと向き直った。アクアマリンの瞳。先程の苛立ちは、影を潜めていて。二人の視線を受け止めたツォンが、ゆっくりと口を開いた。

「副社長がお呼びだ」

 さあ、仕事の時間だ。



***



 目の前のモンスターに向かって、大剣を振り下ろした。何本もの触手をうねらせながら、モンスターは緑色の光になって消えていく。後には、何も、残らなかった。その光景に、言葉をつまらせていると、バレットが後ろから声を掛けてくる。

「おい、宝条を追うぞ」

 そうだ、呆けている場合ではない。先ほど宝条が乗り込んだエレベーターに三人で乗り込み、上へと向かう。辿り着いたのは、研究室のメインフロアだった。行手を阻む、武装した数人の神羅兵たち。その後ろ、中央に据えられた巨大なガラス製のプラントポットに、探し求めていた人物の姿があった。

「エアリス!」

 どうやら、無事のようだ。ほっと息を吐く間も無く、その場に響く不気味な笑い声。この研究室を一望できるように造られたその場所から、宝条が俺たちを見下ろしていた。まるで観察されているかのようなその視線に、虫唾が走る。

「感謝するよ。君たちのおかげで有益な戦闘データが取れた」
「エアリスを返してもらおう」
「返す? 返すとは? 私の記憶が確かなら、彼女は自分の意思で来たはずだが」
「マリンをつかって脅したからだろうが!」
「見解の相違だな」

 もういい、とでも言うように、宝条が右手を上げる。戦闘態勢をとった警備兵たちに向け、俺たちも武器を構えた。敵の一人に斬り込もうと一歩踏み出した時、スピーカーから宝条の嘲笑うような声が響いた。

「あー…君たちにはわからないだろうが、ここには世界を変革するにたる貴重な実験体たちが眠ってるんだ。慎重にやってくれよ」

 実験体。その言葉にどくりと心臓が跳ねた。もしかしたら、カレンは、この部屋の、どこかに――。ぐ、とバスターソードを握って、浮かんだ疑問を振り払う。まずは、目の前の敵を、倒す。三人を一気に斬り伏せて、ファイアでシールドを持った鎮圧兵を戦闘不能にする。残りの二人はティファとバレットが倒したようだ。敵がいなくなったフロアで、バレットが宝条に向かって腕を振り上げる。

「計算を間違えたみたいだな」
「ふーむ、未知の要因があるのか……。まあいい、増援は手配済みだ」
「残念だな、間に合わない」
「んん? その瞳、ソルジャーか?」

 何かに気づいたように、宝条が俺の瞳を見つめてそう呟いた。もう何度目かのやりとりに、バスターソードを背負いながら肯定する。元ソルジャーだ、と返せば、今回も、終わる。それだけのはず、だった。

「いや、違う、思い出したぞ。私の記憶違いだったな。おまえはソルジャーでは――!!」

 突然、激しい頭痛に襲われ頭を抱えた。それと同時、どこからともなく現れた霧のようなローブが、一斉に宝条へと襲い掛かる。波のようなそれに呑まれて、宝条は姿を消した。別のエリアまで飛ばされてしまったのだろうか。未だ痛む頭で考える。と、背後から俺を呼ぶエアリスの声。そうだ、彼女を、助けなければ

「バレット」
「わかったよ、下がってろ!」

 バレットのガトリングが火を吹いて、プラントポットのパネルが破壊される。バチバチと火花を散らしたそれから白い煙が上がり、ポットの前面がスライドして中からエアリスが飛び出してきた。

「来てくれたんだ」
「ああ」
「エアリス!」
「ティファ!」

 ティファに駆け寄ろうとしたエアリスが、ハッとした様子で研究室の入り口を見つめた。振り返ると、重装備の戦闘員が二人、こちらに向かってくる。宝条が言っていた増援だろう。話はあとだ、と大剣を構え、そのうちの一体に斬りかかる。魔法を駆使しながら倒した頃には、少し息が上がっていた。先ほどのモンスターといい、神羅兵といい、戦闘続きだ。減ってきた体力が気がかりだった。どこかで少しでも休憩できればいいのだが、でも、その前に、見つけなければ、彼女を。

「エアリス、大丈夫?」
「うん、ティファ、ありがとう」
「よかった」
「エアリス、カレンを見てないか」

 カレン、の言葉に、エアリスはハッとして俺を見つめた。翡翠の瞳が、見透かすように、まっすぐ、俺を貫いた。それを正面から受け止める。エアリスは、小さく頷いてから「たぶん、こっち」とメインフロアの奥の方へと走っていった。数え切れないほどのプラントポットが、所狭しと並べられている。その中に収められた異形のものたちを、できるだけ視界に入れないように、そこを通り抜けた。大丈夫だ、大丈夫、カレンは、大丈夫、だ。自分に言い聞かせるように何度も心中で呟く。最奥に据え付けられたプラントポット。巨大なそれの中に、彼女は、居た。

「カレン!」

 名前を呼んで駆け寄ったけれど、返事がない。青みがかった液体の中で浮かんでいる彼女の瞼は閉じられている。眠っているのだろうか、それとも、いや、まさか。水中に漂う灰色の癖毛が、酷く懐かしいような気がした。扉をロックしているパネルを力任せに叩くと、小さなアラート音とともに液体が少しずつ排水される。待てない。後ろからティファの制止が聞こえたが、構わずバスターソードを構えてプラントポットを叩き割った。勢い良く水が流れ出て、ガラスの破片が飛び散る。構わずに腕を伸ばして、カレンを抱き締めながら地面に倒れ込んだ。すぐさま上半身を起こし、カレンの頬に手を添える。

「カレン、しっかりしろ、カレン!」
「っ、ごほ、」
「カレン!」

 カレンが、肺に溜まっていたのだろう液体を苦しそうに吐き出した。そのまま咳き込むが、やはりまぶたは閉じられたままだ。このまま、目覚めなかったら、あの、深いエメラルドが、もう、見られなかったら、俺は、

「クラウド!」

 鋭いエアリスの声に、ハッと顔をあげる。眉を寄せたエアリスが、俺を見つめていた。カレンとよく似た、翡翠の瞳。逸っていた気持ちが、不思議と落ち着くのを感じた。エアリスが、カレンの顔にかかった髪を優しく退けてやる。血の気のない小さな唇が、それでも微かに震えていた。生きている。生きて、呼吸を、して、いる。

「カレンは、だいじょうぶ。だから、落ち着いて」
「……ああ、すまない」
「おい」

 振り返ると、バレットが白い布を突き出していた。視線は明後日の方向を向いている。なんだこれは、と問う前に、エアリスがその布を受け取って広げた。どうやら、白衣のようだ。

「そこらへんにあったやつだ。ねえよりマシだろ」
「!」

 そこで初めて、カレンの格好に気付く。上も下も、下着を纏っているだけだった。意識すると同時に、体が硬直して動かなくなる。頭に血が上ったように、顔全体が沸騰した。突然、抱きしめたその身体の柔らかさが自分の服越しに伝わってきて、思考がショートする。う、そ、だろ、どうして、こんな格好。考えることも、動くことも、なにも、できない。そんな俺を見かねたのか、エアリスが、できるだけカレンの身体を動かさないようにしながら、白衣で包んだ。されるがままのカレンは、起きるそぶりすら見せない。

「どこかに休める場所があるかな」
「わたし、案内、するよ」
「じゃあ、カレンは俺が運ぶか」
「いや、俺が、」
「クラウド、びしょ濡れ」
「腕も怪我、してるよ」

 エアリスに言われて、初めて自分がずぶ濡れだということに気がついた。意識した瞬間に、水を吸った衣服が重く感じる。ティファがハンカチを取り出し、素早く腕に巻いて止血してくれた。バレットが、ぐったりとしたカレンを慎重に抱え上げる。ああ、くそ、しっかりしろ、俺。滴る水を払うように、頭を振った。エアリスを先頭に、来た道を戻る。エアリスが捕らえたれていたプラントポットの前まで戻ってきた時だった。獣の唸り声がしたかと思うと、背後から、一匹の狼のような獣が躍り出た。真っ赤な毛の獣は、こちらに向かって威嚇するように唸ってから、先ほどまで宝条が居た観測室の窓を突き破って消えてしまう。

「なんだ、ありゃあ」
「……行かなきゃ!」

 その獣を追って、エアリスが走り出した。ティファが名前を呼ぶが、立ち止まらずに彼女は階段を駆け上がっていく。仕方なく、俺たちも後を追うことにする。観測室のその先、長い廊下の突き当たりのエレベーターに、宝条の白衣が消えた。それを追った獣が体当たりをするが、扉は閉ざされてしまった。獣がくるりと振り向き、こちらに歩いてくる。堂々としたその様子に、隙は見られない。拳を握るティファ。それを制したのは、エアリスだった。

「待って! ……この子は、大丈夫」

 ゆっくりと獣に近づいて、その額に手を当てる。一種の沈黙。歯茎を剥き出して威嚇していた獣が、唸り声を止める。エアリスが笑って離れたときにはもう、獣からの殺気は消えていた。カレンを抱えたバレットが、困惑したように呟く。

「なんなんだよこいつ」
「興味深い問いだ」
「しゃべった?!」
「私とはなにか……見ての通り、こういう生き物としか答えられない。受け入れてもらえると助かる」

 低い声で響くように告げる獣の前腕に、XIIIの刺青が入っている。『レッドXIII』というのが、どうやら宝条が彼につけた型式番号らしい。ティファが名前を聞くも、レッドXIIIは答えずに首を振っただけだった。廊下の突き当たり、エレベーターがゴウンと音を立てて止まる。逃げられたか。ぼそりと呟いたときだった。突然、また、刺すような頭痛が襲ってくる。目の前が霞んで、見たことのない光景が頭に、いや、違う、なにか、ここと、似た場所を、知っている。知っていた? 何かに導かれるように、ゆっくりと歩みを進める。プラントポットの中、大量に繋げられたチューブの束。頭が痛い。母さん。目の前が霞む。裸の女性。胎につながれる管。会いにきたよ。浮き出る血管。ジェ、ノ、バ。あまりの痛みに頭を押さえる。ポット内を満たす溶液。ごぽりと吐き出される空気。母さん、一緒に、この星を――。

「かぁ、さ、……?」

 身体に力が入らない。視界は、そのまま暗転した。


200527



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