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18


 知らない匂いだ。指先を動かそうとしたけれど、痺れていて感覚が曖昧だった。まるで、脳と身体がリンクしていない、ような。なんで、どうして、あたし。鈍く痛む頭のせいか、浮上した意識に反し、思考が全然まとまらない。知らない、匂い。静かな部屋。頭を押さえながら目を開ける。知らない、天井。ここは、どこ、だろう。あたし、一体、なに、してたんだっけ? 瞬きを繰り返すと。だんだんと頭痛が治まってきた。ゆっくりと身体を起こし――自分の格好を見下ろして、息を飲む。そうだ、あたし、コルネオの屋敷で、閉じ込められて、ガスを、それで、

「!」

 飛び起きて周囲を確認する。ベッドとサイドテーブルがあるだけの、簡素な部屋だった。ベッドとは反対側に、自動扉がある。外へと続く扉は、その一つしかない。サイドテーブルの脇に、ブラインドのついた小さな窓があった。ベッドから立ち上がって、ゆっくりと近づく。嵌め殺しの窓、音を立ててそのブラインドを開けて、絶句した。眼下に広がるのは、美しい夜景、だった。空にかかる月の光が、無機質な窓枠を照らしている。いくつもの小さな光が、連なったり、瞬いたりしながら、そこに住む人々の営みを証明していた。遠くの方に見えるのは、間違いない。魔晄炉だ。潔く理解した。ここはもう、スラムなんかじゃない、プレートの上、しかも、番号は、きっと、零番。

「う、そ……」

 どうして、こんな所に、いるの、あたし。言葉を失っていると、突然、背後で扉の開く音。振り返ると、男が立っていた。目の覚めるような赤い髪、着崩した黒スーツ、胸元で光るシルバー。こちらを見つめるアクアマリンの瞳と、ニヤリと歪んだ唇。――タークス。

「お目覚めか、と」
「っ、アンタは……レノ」
「その様子じゃ、今回は記憶がありそうだな」

 咄嗟にバングルを掲げようと腕を上げて、ドレスを着た時に外したことを思いだした。くそ、丸腰か。でも、どちらにしろ、こいつに雷魔法は効かなかった、ような。戦闘態勢をとったあたしを見てにやにやと笑う男は、唇を釣り上げたまま、一歩一歩あたしに近づいてくる。背後には、窓。扉は男の後ろだ。逃げ場がない。

「……他の皆は? 無事なの」
「目下捜索中だぞ、と。」
「ふーん」

 できるだけ、情報を引き出したい。拘束されてないってことは、あっちは今のところ、あたしを傷つける気がないということだ。たぶん。もしかしたら、余裕のあらわれなのかもしれないけど。人ひとりぶんの距離を空けて、男が立ち止まった。手を伸ばせば、すぐに届く距離だ。身体を強張らせるあたしを見下ろして、男が楽しそうに喉の奥で笑った。くそ、性格悪いな、こいつ。

「それで、拉致専門のタークス様があたしになんの用」
「おっと、同僚に対して随分ないい草だな」
「っ、じゃあ、あたし、」
「そ。おまえは俺達と同じ、タークスの一員ってわけだ」
「っ!!」

 ずっと、心に引っかかっていた疑問をあっさりと肯定され、息を呑んだ。思わず見つめた男の、その瞳が正面からあたしを捉える。アクアマリンの瞳。澄み切ったその色が、男の言葉が真実だと伝えている。タークスの、一員。それはつまり、神羅の狗ということだ。あたしが、タークス。予想していたとはいえ、混乱するには十分な情報だった。だから、目の前の男がぽつりと漏らした言葉に、反応が遅れたのだ。

「……本当に記憶、なくなっちまったんだな」
「え?」

 す、と頬を滑る男の指先。あまりに自然に伸ばされたそれに、警戒することすら忘れてしまった。優しく、まるで、愛おしいものに触れるみたいに、頬に触れたそれは、そのままするりとあたしの髪に触れた。丁寧に横髪を掬われ、耳に掛けられる。切なげに揺れる男の瞳から、目が離せなかった。

「やっぱり、痩せた、な」
「あ、」

 何かを、言い返そうと、したのに。言葉はただの音になって唇から漏れてしまった。アクアマリンが近づいたと思ったら、突然、痛いほど、抱きしめられる。一瞬遅れて、その腕を振りほどこうとしたけれど。気づいてしまった。黒いスーツのその下の、しなやかな筋肉のついた、男の人の腕。痛いくらいにあたしを抱きしめる、その腕が、ほんの少しだけ、震えている。

「生きてて、よかった……」

 か細く囁かれたその声も、きっと、震えていた。どうして。どうしてこの人は、こんなにも切ない声で、あたしに囁くんだろう。どうして、この人は、哀しいくらい優しく、あたしに触れるんだろう。どうして、あたしは、この人に触れられるだけで、こんなにも、胸が苦しくなるの。どうして。ゆっくりと身体を起こしたレノの瞳が、あたしを捕らえた。それだけで、動けなくなってしまうのは、どうして。背中に回されていた彼の左手が、ふわりとあたしの頭を撫でる。そのまま首を優しく引き寄せられて、まぶたを下ろしたレノが、ゆっくり近づいて、唇に、彼の、吐息が、

「ちょ、ま、待って!」
「……あ?」
「ストップ! ストップ!!」

 ぐいぐいと両手で男の頬を押すと、不機嫌そうな声を発したレノはあたしから距離をとった。今!! 今、え、何された?! 違う、未遂だ!! 今、なに、されそうだった?! え、あれ、何が起こったの?! ねえ、誰か教えて!!

「イイトコなのに、なんだよ」
「違う!! なんだよじゃない!! 今何しようとしたの?!」
「キス」
「なんで?! なんで?! どうして!!」
「はあ? ……ああ、記憶ねーのか」
「ねえ、アンタ、あたしの何?! 昔のあたしとどういう関係だったの?!」
「俺とおまえの関係? へぇー。気になるのかな、と」

 ドン、とレノがあたしの顔の横に手をついた。密着する身体。後ろは窓。前はレノ。逃げ道は完全になくなった。あたしを見下ろしたレノが、ニヤリと唇をつり上げる。え、ちょ、待ってください、目が、目が、マジなんですけど。

「可愛い格好してくれちゃって。食われても文句は言えないぞ、と」

 右手は壁につけたまま、グローブを纏った左手が、つつつ、と鎖骨をなぞる。その手つきがエロティックで、ぞくりと鳥肌が立った。え、可愛いって、食われるって、え、それって、あの、どういう??? 混乱したあたしの胸元に、レノが顔を埋める。鎖骨に感じるふわりとした感触は、きっと唇で。キス、されている、と、思った時には、それはもう首筋に移動していた。音もなく触れるだけのそれが、あたしの脳内を掻き回していく。ゆっくりと耳に辿り着いて、吐息たっぷりに囁かれた。

「綺麗だな――ぐちゃぐちゃにしてやりたくなる」

 食われるってやっぱりそういうことですか?!?!?!
 ひい、と思い切りレノの肩を押したけど、びくともしない。なんなの! くそ! 細身だと思ってたけど腐ってもタークス?! 褒めてない!! どうしてあたしの周りの人間は筋肉マンばっかりなんだ! あたしだって筋肉欲しい! 脳裏にクラウドの二の腕が蘇り、慌ててかぶりを振った。いい、今は出てこなくていいよクラウド! もちろん声には出していない、はず、なのに。

「ていうか、おまえ、あのチョコボ頭とどういう関係だ」
「え、あ、くら、クラウド?!」

 レノもエスパーなの?! 混乱するあたしの叫びに、名前を聞いたレノは苦虫を噛みつぶしたような表情になる。何その顔!! 自分で言ったじゃん! チョコボ頭って!!

「あ、アンタには、関係、ない!」
「関係あんだよ」
「なんで!」
「惚れた女に手ェ出されて黙ってる男なんていねーよ」
「て、手なんか出されてない!」
「はぁ? 反応するところ、そこかよ」
「大体クラウドとはそんな関係じゃなくて、」
「おまえ、いい加減黙れよ、と」

 今度は、唇を塞がれた。目を瞑る暇もなく降ってきたそれは、あたたかくて、柔らかくて。レノの香水なのか、ふわりと香るそれに心臓が鷲掴まれた。胸を掻き毟りたくなるようなノスタルジア。一瞬であたしを貫いたそれは、また一瞬で去っていった。レノの長い睫毛が遠ざかり、アクアマリンが覗く。い、いま、キス、された、あたし、

「おまえ、本当鈍感だな」
「な、な、」
「気づかなかったのか? これ」

 呆れた表情のレノが、あたしの右手を手にとった。指先で触れるのは、薬指のリング。気づかないはずがない。あたしの、数少ない持ち物。右手の薬指にはめられた、シンプルな指輪。裏側には、そう、名前が、from、Rと、それから、アクアマリンの、瞳。

「ちゃんと着けてんのに、それはねえだろ」
「え、うそ……」
「オレだって、片時も離したことねぇよ」

 チャリ、とレノがシルバーのネックレスを親指に引っ掛ける。そのペンダントトップに、震える指先を伸ばした。チェーンの先で、揺れる指輪。傷だらけのそれは、しかしよく磨き込まれていて、どれだけ大切にされているのか一目でわかった。シンプルなそれに、余計な模様は一切入っていない。内側にはfromの後に、イニシャルが一文字。あたしの、イニシャルと、それから、深いエメラルドの宝石。あたしの、ひとみの、いろ。

「あなた、は、あたしの、何を、知ってる、の」
「……全部」

 レノが、悲しそうに眉根を寄せた。手を握られて、そのまま、腰を抱かれる。

「言ったろ、おまえの身体の隅々まで知ってるって」

 するり、回された手があたしの左腰の辺りを撫でる。そこにあるものを思い出して、さっと血の気がひいた。まだ、誰にも見せていない、痣。記憶をなくしてから、隠し続けていたそれを、知っているのか。この男は。

「全部知ってて、おまえを選んだ」
「あたし、」
「もう、黙れよ」

 三度降ってきた唇は、もう拒むことができなかった。薄いと思っていたそれはあつくて、柔らかくて、あたしの脳をいとも簡単にとろけさせてしまう。ちゅ、ちゅ、と小さく何度も吸われて、抱かれた腰の辺りを何かが駆け抜けていった。唇を甘噛みされて、思わず鼻に抜ける声が漏れる。べろ、と舐められたかと思ったら、熱い舌が口内に侵入してきた。びくりと跳ねた身体ごときつく抱きしめられて、身動きが取れない。その隙に、ぬるりとあたしの口内を味わった舌先が、あたしのそれに絡む。ぐちゅり、といやらしい音が聞こえて、気が変になりそうだ。 

「ん、ふぅ」

 身体に力が入らない。抱きしめられていなければ、立っていることすらできなかった。何かに縋りつきたくて、目の前の男のスーツを力なく掴む。いつの間にかレノの手のひらが、あたしの頬を包み込んでいた。とぷり、送り込まれた唾液を、飲み込んでしまう。残ったそれを刷り込むように、ねっとりとレノの舌がまた絡まってきて、もう頭の中が爆ぜてしまいそうだった。つう、と流れ出た涙を、レノの親指が優しく拭う。何度も合わさる唇。ああ、そうだ、あたし、この唇、知ってる。

「んん、ふぁ」
「はぁ、」

 やっと唇が離れていって、思わず甘い吐息が漏れる。レノの湿った息が唇の端にかかって、それだけでぞくぞくしてしまった。離れることを許さないかのように、腰に回った腕が、あたしを強く抱き締めた。まっすぐ見つめてくる瞳が、欲に濡れていて。何かを我慢するように、レノの眼が細められる。レノの香水の匂いに、くらくらする。レノがあたしの名前を呼ぶだけで、どうにかなってしまいそうだった。

「カレン、」
「れ、の、」
「……ちゃんと嫌がれよ。でないと、」

 でないと、どうなってしまうのか。それは、わからないままだった。突然部屋の扉が勢いよく開き、一人の神羅兵が飛び込んでくる。焦った様子の男は、レノの赤髪を見つけるや否や、口早に報告を始めた

「レノさん! 七番街プレート崩落作戦の件で、主任が、」
「っ、馬鹿!」
「えっ……?!」

 振り向いたレノが、鋭い声で静止をかける。ふわりとレノの香水が香ったと思ったら、それはすぐに離れて行った。背中を向けたレノが、扉へと急ぐ。待って、今、なんて。

「プレート崩落って、なに? 七番街、どうなるの?!」
「チッ」

 舌打ちしたレノが、叫んだあたしに振り返る。彼の腰に装備されたロッドが揺れた。あたしに向けられるアクアマリンの瞳はもう、仕事のそれで。眉間に皺を寄せたレノが、あたしに向かって指をさす。

「おまえはそこでおとなしくしてろよ、と」

 混乱と絶望を残して、再び扉は閉ざされた。


200519



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