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「#エロ」のBL小説を読む
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「う、っ」

 呻き声が自分のものだと気づいたのは、身体の揺れが止まったからだった。ズキリと痛む頭が、思考の邪魔をする。「カレン、だいじょうぶ?」エアリスの心配そうな声。ゆっくりと瞼を持ち上げると、翡翠の瞳があたしを見上げていた。エアリスの緩やかに巻かれた髪が、太陽の光を反射してキラキラ光っている。はあ、女神かな。

「わたしのこと、わかる?」
「女神がいる。エアリスめっちゃ可愛い」
「ふふ、ありがと」
「……起きてるなら降りてくれないか」

 近距離で響いた低い声に、びくりと体が硬直する。び、びびった。え、クラウド? どこ? そういえば、あたし、随分高い位置からエアリスを見下ろしている、ような。意識した途端に、感じる温もり。目の前には形のいい耳と、男の人らしい太く短い首筋。え、うそ、クラウド、え、なに?????

「ぎぇ、」
「馬鹿っ、暴れるな!」
「カレン、危ない!」
「ぎゃ、あああ!」

 クラウドを突き放そうと暴れたら、バランスを崩して落ちそうになった。咄嗟にクラウドがあたしの脚を抱え込んでくれる。一瞬で事態を把握したあたしは、今度は慌ててクラウドにしがみ付いた。はるか頭上にプレート、足元はトタン屋根。そして、目の前にはクラウドの首筋。どうやら、クラウドに背負われながら、屋根伝いに移動しているらしい。うわ、び、びっくりした……死ぬかと、思った……!!!

「一体、今、何が、どうなってるの?」
「カレン、教会で気を失っちゃったの。頭、ぶつけたみたい」
「え、あ、ボロ布にふっとばされた時?」
「気絶したあんたを、俺が背負って運んでるんだ」
「え、あ、ご、ごめん」
「……いいから、その、……降ろすぞ」
「うん、ありがと」

 いつもだったら悪態の一つや二つや三つや四つ吐いているけれど、さすがにずっと背負ってくれてた人には言えません。素直にお礼を言って、屋根に足をつける。うげ、まだちょっとフラフラするな。

「伍番街スラム、向かってるの?」
「うん。ちょっと休憩、する?」
「ううん、大丈夫。あいつら、追ってきてんのかな」
「その気配はないな。……あれだけ痛めつけたんだ、少しは懲りるだろ」
「うわあ、強気発言」

 ギロ、とクラウドに睨まれて、慌ててあたしは両手をあげた。ホールドアップ。教会では助けられたことに間違いなかったから、何も言えない。クラウドは魔王チョコボから悪魔チョコボにランクダウンしました。本物の魔王の髪は赤い。サンダガを放ったときの、あのブチ切れた瞳を思い出して、ぞくりと背筋が粟立った。く、クラウドがいてくれてよかったって、あたし、心から思うよ。うん。

「ごめんね、カレン。ポーション、持ってないの」
「へーき、放っておけば回復するから」
「便利な身体だな」
「他人の魔法、効きづらいけどね」

 手足をブラブラと振りながら、身体の調子を確認する。うん、特に痺れとかはないな。まだちょっとフラつくけど、移動に支障はないっぽい。エアリスとクラウドに向かって頷くと、クラウドは「先に行け」と顎をしゃくった。なんだか偉そうだな。いつからクラウドがリーダーになったんだ? でも文句は言うまい。とりあえず伍番街スラムに着くまでくらいは静かにしていてやろう。背負われていた借りがある。

「そういえば、あのあとはどうなったの? うまく逃げ切れたの? ボロ布は?」
「うん、わたしのこと、助けてくれた、かも」
「ボロ布が? 襲ってきたり、助けたり、わけわかんないね」
「神羅の人、やっぱり、見えてなかった」
「そっか。……あの、赤髪の、」
「ん?」
「……ううん、なんでもない」

 あの赤髪の男、何か言ってなかった? 聞こうと思って、やめた。多分あいつは、記憶をなくす前のあたしのことを知ってる。ハゲ男も、知ってるようだった。だとしたら、導き出される答えはそう多くはない。でも、今は、知りたくなかった。頭がごちゃごちゃして、だから、一人でゆっくり考える必要があった。考え事はあまり得意じゃないけれど。だって、このままだと、エアリスに当たってしまいそうだ。クラウドは黙ったまま、あたしたちの会話を聞いている。多分。あれ、聞いてないかも? お前の話なんて、興味ないね、とか言いそう。脳内のクラウドが呆れた目で見つめてくる。ハァン? なんだか腹立ってきたな。お腹に力を入れたら、それに応えるように大きな音が、ぐう、と、お腹から。

「……え、えへ。お腹すいちゃった」
「お前、馬鹿正直な上にただの馬鹿だな」
「うるさいな!!!」

 悪態もお腹も、伍番街スラムまで、持ちそうにないな。
 


* * *



 記憶がない、と聞いた時、耳を疑った。
 記憶というのは人格の形成に大きく影響する。むしろ、記憶が人格を作り上げると言っても過言ではないはずだ。だからこそ、記憶は自身の自己同一性そのもので。その、記憶が、全くないとは、一体どんな感覚なのだろう。――怖くは、ないのだろうか。カレンがへらへらと笑うたび、それに呆れたり、毒気を抜かれたり、時には安心したことも、ある。
 その笑顔の裏に、彼女は、いつも、何を抱えていたのだろう。



* * *



「っう、」
「いったぁ〜」

 バタン、と目の前で扉が閉まった。教会の奥は手入れがされていないのか、倒れ込んだせいで舞った埃に少しむせる。周囲を浮遊する霧のようなローブは、こちらを窺うようにふわふわと浮いているだけだった。扉越しに兵士たちの声が聞こえる。ローブたちによって礼拝堂からこの奥の部屋に飛ばされる直前、増援が来たのが見えたのだ。早く立ち去った方が良さそうだ。床に手をつくと、ふに、という妙な感触。そういえば、倒れ込んだにしては身体が痛くない。それに、ほんのりと温かい、ような。

「……?!」
「あ、カレン!」
「わ、悪い!」

 慌ててカレンの上から退いたのと、エアリスが駆け寄ってくるのは同時だった。どうやらローブたちに放り込まれた時に、下敷きにしてしまったらしい。頭を打ったのか、呼び掛けても返事はない。幸い、呼吸は正常で出血もないので、軽い脳震盪だとは思うが。

「本当は、頭、動かさない方がいいんだけど」
「おい、開けろ!」

 礼拝堂へと続く扉が乱暴に叩かれる。どうやらゆっくりしている時間はないらしい。エアリスと無言で頷き合って、カレンの膝裏と脇の下に手を入れて抱き上げた。できるだけカレンを揺らさないよう注意しながら、先導するエアリスに続く。階段を上り、ローブたちの妨害を回避しながら、腐った床板を踏み外さないよう慎重に歩みを進めた。一度、エアリスが落ちそうになったところを、ローブがふわりと支えた。襲ってきたり、助けたり、訳がわからない。でも、とにかくここから脱出しなければ。剥き出しになった梁を先に渡り、エアリスの方を振り返った時だった。入ってきた方とは反対側の扉が開かれ、雪崩れ込む神羅の警備兵たち。

「どこだ?」
「あそこだ!」
「おい、撃つな!」

 タークスの制止は間に合わなかった。銃弾が、エアリスの足元へと放たれる。老朽化した梁は真ん中から真っ二つに折れ、エアリスが悲鳴を上げながら一階へと滑り落ちてしまった。手を伸ばそうにも、カレンを抱えている状態では不可能だ。下を覗き込みながら、慌てて声をかける。

「おい、大丈夫か」
「平気……じゃ、ないかも」
「ケガなんかさせてみろ。おまえ、終わるぞ」
「はっ!」
「目的は、保護」

 男が顎で指示を出す。ゆっくりとエアリスに近付く兵士を妨害したのは、霧のローブだった。見えない壁に戸惑う神羅の面々。その隙に、兵士の真上のシャンデリアに向かって、氷結魔法を唱えた。鎖が凍り、次の瞬間、弾ける。劈くような音ともに、巨大なそれはエアリスと兵士の間に落下した。「いまだ!」包囲を駆け抜けるエアリスを、体勢を崩した兵士は見送るしかなかった。階段を駆け上がってきたエアリスと合流しようと、一歩踏み出す直前に、腕の中でカレンがもぞりと動いた。

「う、うう……?」
「気がついたか」

 薄らと目を開けたカレンが、頭を押さえながら辺りを見回した。痛みはあるか、と自身の唇が問う前に、空気を震わせる、ひとつの、声。

「カレン!」
「れ、の……?」

 支えられて立つ赤髪の男。その叫び声に、カレンが小さく名前を呼んだ。さっと、背筋に冷たいものが走る。今、彼女は、何と。

「カレン、来い!」

 こちらに両腕を広げた赤髪の、胸元でシルバーが鈍く光る。男を見下ろしたカレンが、まるでひかれるかのように、それに手を伸ばした。だめだ、それは、だめだ、……嫌、だ。

「カレン、」
「う……あ、たし、」
「カレン、しっかりしろ」
「う、くら、うど……?」

 名前を呼んで、視界を遮るようにカレンを強く抱きしめた。戸惑うような声をあげた彼女の、深いエメラルドの瞳を覗き込む。潤んだそれは微かに揺れていて、まだ意識がはっきりしていないことが伺えた。安心させるように、抱きしめる腕に力を込める。カレンの身体から力が抜けた。その耳元に唇を寄せて、低く囁く。

「エアリスが待ってる。行くぞ」
「えあ、りす……」
「今は、休んでおけ」
「うん……」

 ゆっくりと閉じられた瞼。すぐさま小さな寝息が聞こえてくる。それを確認してから、階下からの視線を、受け止めた。目の覚めるような赤い髪。乱れたその前髪の間から見える、激情。一言も発しない男の、刺すような殺気を受け止めてから、俺はカレンを抱えたまま踵を返した。あいつに用はない。屋根裏へと続く梯子の前で待っていたエアリスに頷いて、歩みを進める。腕の中で、カレンが、小さく何かを呟いた、気がした。



* * *



「一週間くらい前かな。さっきのクラウドみたいに、花畑に倒れてたんだよ」

 まるで、ちょっと昼寝でもしていたかのようなテンションで、彼女はそう述べた。理由はわからないが、タークスに狙われているらしいとも。次々と明らかになる彼女の事実に、目眩がした。あはは、と困ったように笑うカレン。パシリと俺の腕を叩くその手が、ひどく儚く見えてしまったのは幻覚だろうか。ああ、エアリスが、彼女に構う理由を、俺は唐突に理解した。ないのだ。何も。彼女を繋ぎ止めているものが、どこにも。突然俺の日常に現れた彼女は、同じように、瞬きをした次の瞬間には消えてしまいそうだった。白昼夢のように、一瞬で。残されるのは、彼女を捕まえようと伸ばされた俺の指先と、行き場のなくなった名前のない感情だけだ。だからエアリスは、彼女の居場所を作っているのかもしれない。存在を、無条件で認める場所。赤子を抱く母のように。生命を抱く星のように。

「仕方ない。俺が――」

 護ってやる。彼女の居場所を。彼女が、彼女でいられる場所を。エアリスと一緒に。だから、タークスなんかに、彼女は渡さない。


200511



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