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「ルード、よかったら今日、飲みに行かない?」
「ああ、そうだな」
「わ、よかった、ありがとう」

 それじゃあ、あとで八番街で。ルードに手を振って、オフィスを出る。今日はわたしがミッドガル見回りの担当だった。これで今日の業務はおしまい、久々の直帰に、足は羽が生えたかのように軽くなる。それ以上に、先ほど取り付けた約束に、天にも昇る気持ちだった。朝からずっとモニターに向かっていたルードに、勇気を出して声をかけたのは先ほどのことだ。そこはかとなく明るい表情のルードは、ここ数日手こずっていた案件に方がついたらしい。「今日の夜は久々に残業なしだな」と嬉しそうに漏らしたその言葉に、反射的に、誘ってしまっていた。距離感を間違えたことにハッとして、すぐ取り消そうとしたけれど。それよりも早くルードは頷いてくれたのだ。たぶん、一瞬わたしが慌てたことに気づいて、すぐに誘いに乗ってくれたのだと思う。そんな優しいところに、惹かれたのだ。誰にも知られていない、小さな片思い。こんな仕事をしているから、告白とか、そいうことは、考えていなかった。いや、結ばれたら、それは本当に嬉しいことなのだれど、ルードがわたしをどう思っているのかわからない今は、この関係を壊したくなかった。同僚として、友人として、信頼しあっているこの距離感を、告白によって失ってしまうのは恐ろしかった。だから、この恋心は秘めておこうと誓っていたのに。ああ、お酒の力って、こわい。



***



「んん〜世界がほわほわするぅ〜」
「……飲み過ぎだ」
「るーどだって、いっぱいのんでた、じゃん!」
「お前ほどじゃない」

 ふらふらするわたしの二の腕を、ルードが優しく、でも力強く掴んで支えてくれている。ルードと飲むのは初めてではないのに、なんだか緊張して飲み過ぎてしまったみたいだ。お店も、原因の一つだったかもしれない。お酒も美味しかったし、雰囲気も良かったけれど、なによりも、カウンターの、並んだ席が、近くて。少し身動ぐだけで、黒いスーツに包まれたルードの腕に、わたしのそれが触れてしまって、ああ、それが良くなかったのだ。意識を外へ向けようと、いつもより飲んでしまった結果がこれだ。まるで連行されるかのように腕を掴まれて、社員寮へと向かっていた。連行。そう、まさしく連行だ。いや、もちろん、乱暴に扱われているわけでは一切ない。ルードの左手は、わたしの二の腕をしっかり支えてくれている。大きな手のひらは、それだけで安心感をくれるけれど、でも違う。わたしは、ただルードに連れていかれる「同僚」では嫌なのだ。「どうりょう」じゃない。わたしは、ルードと「こいびとどうし」になりたいのだ。腕を掴まれるんじゃなくて、手を繋ぐような。もっと言ってしまえば、その大きな手のひらで腰を、抱かれるような。あ、でもだめかも。そんなことしたら、どきどきしすぎて、きっと心臓が破裂してしまう。でも、されてみたい。でもでも、だめかも。ふふふ。思考がふわふわして落ち着かない。気持ちがいい。ひとりで笑い出したわたしを心配そうに見下ろすルード。「大丈夫か?」低く呟く、ルードの声が心地いい。ぴたりと立ち止まると、わたしの腕を掴んでいたルードも怪訝そうに立ち止まった。その腕の拘束からするりと抜け出して、黒いスーツにわたしの腕を絡めた。しっかりと筋肉のついた、逞しい腕。ぎゅ、と抱きしめると、ルードが硬直したのがわかったけれど。それには気付かないふりをした。

「おい、」
「えへへ〜ルード、部屋の前までよろしく〜!」

 反対の手を振りながら歩き出すと、溜息をついたルードが一瞬遅れてついてくる。その歩幅はすごく小さくて、わたしに合わせてくれているのだと気づいて、胸が締め付けられるようにキュンと痛んだ。ごめんね、これ以上はしないから。望まないから、だから、腕に抱きつくくらいは、許してほしい。どうかこの心臓の音が、彼に聞こえていませんように。



***



 幸せな時間はどうしてこうもあっという間に過ぎ去ってしまうのだろうか。目の前のわたしの部屋のドアに小さく落胆する。まだ酔いがさめず、道中なにを喋っていたのか全く思い出せない。どうにかしてゆっくり歩こうと画策していたのだけは覚えているけれど、そうか、もう着いちゃったのか。カバンをがさごそ漁りながら、かなしくなってきゅっと唇をひき結んだ。ほんとうはまだ、離れたくない。その手を引いて、部屋に招いて、それで、それで。そんなことができたのならば、こんなに悩んではいないのだけれど。やっと見つけたパスケースを手にして、ルードを見上げる。やっぱりその表情からはなにも読み取れない。ねえ、わたしのことどう思ってるの、わたし、わたし、あなたのことが。心の中で何度呟いても、目を見てそれを告げる勇気はこれっぽっちも湧いて来なかった。変わりに飛び出したのは「ごめんね」というありきたりな言葉だけ。ルードの眉が、ぴくりと動いた。唇も。少し開かれた厚いそれが、何かを言い淀むように小さく震える。サングラスの奥、きらりとひかる瞳に、吸い込まれてしまいそうだった。

「……それは、何の謝罪だ」
「えっと、迷惑、かけたから」
「迷惑だとは、思っていない」
「うん、そっか、えっと、送ってくれて、ありがとう」
「ああ」

 頷いた彼から、目が離せない。どうしよう、離れたくない。でも、彼を引き止める言葉も、権利も、わたしはなにひとつ持っていないのだ。だからこそ、苦しくて、切ない。自分の唇が、自分の意図とは正反対に、小さく震えたのがわかった。だめ、これ以上は、これ以上ここにいたら、余計なことを口走ってしまう。見つめあっていた視線を引き剥がして、背中を向ける。「おやすみ、ルード」そう言って、ロックを解除して、扉に手をかけたのに。

「名前」

 ルードの大きな手が、後ろから伸びてきて、開きかけた扉をがちゃりと閉めてしまう。オートロックのかかる音が、ひどく遠く聞こえた。伸ばされた腕の、あまりの近さに、びくんと身体が跳ねる。それに、ルードが、気付かないはず、ないのに。もう片方の手も、扉を押さえるように伸ばされて。扉とルードの間に、閉じ込められてしまった。ルードの気配が近づいて、耳元に寄せられる、唇。たっぷりと吐息を含んだ声に、再度名前を呼ばれる。

「名前、」
「え、あ、るー、ど?」
「そんな目で、俺を見るな」

 ルードの唇が、わたしの耳に触れるか、触れないか、ギリギリのところで、声を発している。こんなに近づいたことなど、いまだかつてなかった。彼が囁くたびに、湿った吐息が肌を濡らす。全神経が、耳に集まっているみたいで、ぞくぞくと鳥肌が立った。ルードといるだけで速まっていた鼓動は、今は爆発してしまいそうなほど大きく脈打っていて。ふわり、ルードが唇で触れた部分が、火傷したみたいに熱くて、痛くて、ぞくぞくした。ゆっくりと上から下へとなぞるその感触に、目眩がする。必死で意識をかき集めて、零れてしまいそうな言葉を紡ぐ。

「そ、んな、目って、」
「物欲しそうな目で、俺を見るな」
「ぁ、」

 気付かれていた。その事実にカッと顔中が火照るのがわかった。気付かれていた、わたしの、秘めた感情を。その事実に、目の前がくらくらした。気づいてて、なにも言わなかったの、ルード、どうして? それは、気付きたくなかったから? それとも、それとも、どうしてだろう。ルードから香るムスクに、頭が焼き切れてしまいそう。

「お前は、知らないだろうが」
「あっ、」
「俺だって、男だ」

 耳の後ろに、小さく口付けられて、身体中にびりびりと電流が走った。そのまま、何度も押しつけられるルードの熱に、脚が震える。立っているのがやっとだった。触れては離れるたびに、彼の吐息が耳をくすぐって背筋が粟立つ。そんなわたしの様子に気づいたルードが、耳元でふっと笑った。それにさえ、敏感になっていたわたしには強い刺激で。ぎゅ、と一瞬目を瞑ってしまう。するり、衣擦れの音と、指先に触れる感触。わたしからカードキーを奪ったルードが、認証端末にそれをかざした。小さな音とともに、再びロックの解除される音。ルードが扉を開くと、センサーが反応して玄関にあかりが灯った。とん、と背中を押されてよろめきながら部屋に足を踏み入れる。慌てて振り返ると、扉を開いたまま、ルードがわたしをじっと見ていた。その瞳は、そう、いつもなら何も読み取れないその瞳は、どうしてか、今、ぎらぎらと揺らめいているように見えて。それは、わたしの期待が見せた、幻なのだろうか。

「ルード、あの」
「飲み過ぎだ。寝る前にしっかり水分をとれ」
「る、」
「それから、」

 わたしの言葉を遮ったルードが、手を伸ばしてくる。革手袋が、す、と唇を撫でて、そしてすぐに去っていった。突然のそれに、息を止めてしまう。触れられた場所が、熱くて、ぎらりと光る彼の視線に、心臓が破裂してしまいそうで。

「次は、覚悟しておけよ」

 では、おやすみ。
 ぱたん、と扉が閉まるのと、へなへなとその場に座り込んだのは同時だった。あまりの出来事に呆然としていると、頭上のライトがぱちんと消える。暗がりの中、わたしを見つめるルードの瞳が、頭から離れない。ぎらぎらとした、獣の瞳。見たことのない強い光に、ぞくぞくとしたなにかが背中を駆けていく。次、次が、あるのだろうか、覚悟、って、ああ、一体、いま、なにが起きたの? 革手袋の感触を思い出すように、自分の指先で唇に触れてみる。逸る心臓。答えはもう、この手の中にある気がした。


能ある獣は何を隠す

200711