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 夜の空気は肌を刺すほどに冷たかった。はあ、と吐いた息は瞬く間に白くなって、空気中へと消えていく。それが面白くて、あはは、はは、と笑いながらその場でくるくる回ると、テニスバッグを背負った仁王くんは呆れたようなため息を吐いた。銀色の尻尾が闇の中で揺れる。

「お前さん、飲み過ぎじゃ」
「今日ぐらいいいじゃーん!」

 誕生日だから、と飲み会を開いてくれたのは、大学で同じ講義を取っているメンバーだった。たまたま席が近かったからグループになったのが始まりだったけれど、今はみんなで休日に出かけるくらいには仲良くなっていた。仁王くんも、そのメンバーの一人だ。
 仁王くんは不思議な人だ。全然掴みどころがない。言葉遣いも不思議だけど、何を考えているのかわたしに全く悟らせないのだ。わたし、他人の心の機微には敏いはずだったんだけどなあ。ちらり、と隣を歩く仁王くんを見上げたけれど、ん? と首を傾げられただけだった。心は読めない。くそお、しかし、けしからんほど顔がいいなあ。

「仁王くんってさ、モテるでしょ」
「さあ……どうだか」
「先月、告白されたの、知ってるんだからね」

 仁王くんはモテる。ものすごくモテる、らしい。噂で聞いただけなんだけど、まず間違いなく真実だろう。情報源は大学で知り合った友人だった。中学校からずっと立海に通っている彼女によると、立海大テニス部という存在を知らない者はモグリらしい。いや、モグリっていうか、外部受験組なんですけどね? 全国屈指の強豪校、という評判とは別に、イケメン集団としても有名なのだそうだ。確かに、仁王くんは常にテニスバッグを持っているし、いつも部活で忙しそうだ。そして、めちゃくちゃに顔がいい。じっと見つめられると、照れてしまうくらいには。わたし、イケメン耐性ないんだよなぁ。

「あれは断った」
「どうして?」
「毎日忙しいからのう」

 テニス部は高校生のように毎日部活があるらしく、一部の人は寮で集団生活までしているらしい。テニスにかける意気込みがすごい。仁王くんからその熱意みたいなものをひしひしと感じたことはないけれど、でも、仁王くんがサボらず真剣にテニスをしていることも知っている。休日の集まりに参加できない時もある。大会だけじゃなくて、練習試合も頻繁に行っているみたいだった。それでも、こうして部活がないときは、必ず集まりに参加してくれるのだから、仁王くんも案外みんなのこと好きなんだと思う。

「テニス部、大変だもんね」
「好きでやってるけぇ、そうでもなか」
「凄いなあ。わたしなんて、なーんにもないよ」

 なーんにも。両手を広げて空を見上げたけれど、生憎の曇り空で星は一つも見えなかった。たとえ雲がなかったとしても、駅へ向かうまでの大通りは明るすぎて、ろくに星空も見えないに違いない。まるでわたしみたいだ。誰にも見えてない、ちっぽけな存在。高い目標に向かって努力しているわけでもないし、自分の中に譲れないなにかがあるわけじゃない。今まで、それなりに頑張ってはきたけれど、他と比べたところでなんの特徴もない。ああ、ちょっと凹むなあ。わたし、本当に、なんにもない人間なんだ。

「そんなこと、なか」

 仁王くんの声が、ひどく真剣だったから。思わず足を止めて、彼を振り返った。いつの間にか、道路の中央で立ち止まっていた仁王くんが、じっとわたしを見つめている。その瞳が、あまりにもまっすぐで。心臓がどくんと跳ねた。
 もう一度、「そんなことなか」と告げた仁王くんが、大きく足を踏み出した。一歩、二歩、ぐんぐんわたしに近づいてくるのに、わたしはその場から動けないでいる。手を伸ばせば触れられる、なんてものじゃない。そのまま抱きしめられてしまいそうなほどの距離まで近づいて、仁王くんはじっとわたしを見下ろした。ふわり、夜風に乗って届く、アルコールの匂いと、それから、仁王くんの香水。見上げる首が、痛いくらいで、その体格差に目眩がしそうだ。じわじわと頬に集まる熱に気づかない仁王くんは、その綺麗な唇をゆっくり開いた。

「お前さんは、いつも頑張っとる。目に見えんとこで努力しとるじゃろ。それから、誰かに頼る前に、まず自分でなんとかしようとする。他人のことをぐちぐち言わない。自分の価値観をしっかり持っとるし、他人の価値観を否定せん。誰にもできることじゃなか」
「に、おう、くん……?」
「お前さんの傍は、居心地がいいけぇ……たくさんの人が、集まって来るんじゃろ」

 そうだろうか。わたしよりも、断然、仁王くんの方が、たくさんの人に囲まれている気がした。キャンパスのどこで出会っても、彼は美人な女の人を連れている。連れているという表現よりも、引き寄せている、という言い方が正しいような気がしたけれど。
 でも。もし仁王くんが、わたしのことをそんな風に思ってくれているなら。それはすごく嬉しいし、ちょっぴり気恥ずかしい。仁王くん、わたしのこと、そんなに見てくれてたんだ。くすぐったいようなその事実が、酔っ払ったわたしの口を軽くする。ありがとう、と告げたわたしの唇は、今までずっと胸の奥に燻っていた感情をぽろりと零してしまった。

「よかった、わたし、仁王くんに嫌われてると思ってたから。仁王くんが、ちゃんとわたしのこと、見ててくれて、嬉しいな」
「……は? ちょお、待ち、……なん? 俺が? お前さんを?」
「うん、嫌ってるっていうか、あんまり好きじゃないのかなって」
「…………なして、」

 だって、仁王くん、わたしといる時、作ってるというか、なんか無理してない? にこにこしてて優しくて、紳士的だけど、ほんのちょっとだけ、心に壁というか、そういうものを感じる時があって。男友達と喋ってる時は、そんなこと思わないんだけど。女の子相手だと、一気に丁寧というか、悪く言えば他人行儀になるよなあって、思ってた。だから、あんまり女の子得意じゃなくて、わたしのこと、苦手なのかなって。

「わたしの前だと、特に態度が硬くなるし。何かした覚えはないんだけど、気づかないうちに、嫌な思いさせちゃってたのかなって」
「…………嘘じゃろ……」

 絶望的な声を出した仁王くんは、はあーーー、と大きく溜息を吐き出してその場にしゃがみ込んだ。わたしの膝のあたりで、銀色の尻尾がふわりと触れる。えっ、仁王くん、どうしたの? わたしの声にも、仁王くんは反応しない。それどころか、思い詰めたような声を出して、ぐしゃりと髪を掻きむしった。宵闇に映える、銀色の髪。しゃがみ込んだまま、ゆっくりと顔を上げた仁王くんと、ばちりと視線が合う。眉間にぐっと皺を寄せて、不満そうにするその表情は、初めて見る顔だった。

「お前さんが、言ったんじゃろ」
「へ?」
「初めての、飲み会で。優しくて、大人っぽくて、女性に紳士的な人がタイプじゃって」

 言ったっけ、そんなこと。ぽかんとするわたしを、仁王くんは恨めしそうに睨んでくる。いつものにこにこした仁王くんではない、ちょっと拗ねたようなその表情は子どもっぽくて、でも温かみがある。いつも感じていた壁が取り払われた、素の表情だった。目を見開くわたしに、仁王くんは唇を尖らせる。覚えとらん? 待って、最初の飲み会の時って、ああ、元彼の話をしていたんだっけ。猛アタックされて付き合ったけど、女は見下すわ、子どもみたいな癇癪を起こすわで、すぐに別れた男のことを思い出して、そうして、あんなやつ二度とごめんだと、正反対の性格をタイプに挙げたんだった。

「あれは、言葉のあやというか、その時の感情に任せた結果というか……」

 あれ、待って。どうしてわたし自身が忘れてしまっているような話、仁王くんが覚えてるんだろう。どうしてわたしの男の人のタイプを、仁王くんが気にしてるんだろう。どうして飲み会のあと、仁王くんはわたしを駅まで送ってくれるんだろう。別れを告げた後、いつも改札前のコンビニに消えていく仁王くんが、電車に乗っている姿を、わたしは一度も見たことがない。もしかして、

「お前さん、知らんかったじゃろ」

 俺、高校時代からずっと寮生活じゃき。
 はっと息を呑む。学生寮は、駅とは反対方向だ。いつも一緒に飲むメンバーは、わたしたち以外は一人暮らしで、大学の近くや駅前にワンルームを借りていた。どうして、気づかなかったんだろう。わたしが終電で帰る時も、仁王くんはいつも駅まで送ってくれていた。優しく、紳士的に。彼の手が、わたしに触れたことは、一度もない。

「な、んで、」
「なんで? 聡いお前さんなら、もう分かっとるんじゃなか?」

 仁王くんの綺麗な瞳が、触れたら切れてしまいそうなほどの鋭さを持ってわたしを射抜いた。それに、ぞくりと胸が震える。知らない、わたし、こんな仁王くん、知らない、こんな、鋭くて、ぐらぐらしてしまうくらい、熱の籠った瞳をした、仁王くんなんて、わたし。

「まったく、柳生を真似て見たところで、本物の紳士にはなれんかったの」

 ゆらり、立ち上がった仁王くんが、わたしを見下ろして目を細めた。そこはかとなく漂う色香に、心臓がバクバクと走り出す。ふ、と妖しく微笑んだ仁王くんの、釣り上がった唇から目が離せない。色の薄い唇の、その傍に、ほくろがあることに、気がついてしまった。仁王くんの大きな手のひらが、わたしの頬を滑る。微かに触れた指先は冷たくて、ぞくりと鳥肌がたった。

「に、お、」
「ま、惚れさせれば、タイプもなにもないじゃろ」
「な……、んっ」

 ふに、と唇の端に触れる、柔らかい何か。わたしとは違う熱を持ったそれは、音も立てずにすっと離れていった。突然のことに硬直するわたしを、にんまりと笑う仁王くんが覗き込む。いつもより顔が近い。あれ、仁王くんって、こんなに猫背だったっけ。こんなに表情豊かで、妖しい笑い方、するひとだったっけ。っていうか、待って、今、わたし、キス、

「それ、宣戦布告。絶対、逃がさんぜよ」

 え、え、なにそれ。手の甲で唇を隠したわたしに、仁王くんは楽しそうにクククと笑った。それから、くるりと背中を向けて歩き出してしまう。「終電、気ぃ付けんしゃい」ひらり、と仁王くんが左手を上げたのと、駅のアナウンスが終電を知らせたのはほとんど同時だった。「それとも、」肩越しに振り返った仁王くんが、にやりと唇を釣り上げる。

「俺と一晩一緒におるか?」
「っ、帰る!!」

 反射的にそう叫んで、改札へと駆け出した。振り返らなくてもわかる、仁王くんは今、楽しそうに笑っているに違いない。先程のニヤリ笑いを掻き消すように、ぶんぶんと頭を振った。なんで、どうしてこうなった。だって、そんな、知らなかったのだ、否、どこかで、何かがおかしいと、気づいていたのかもしれないけれど。
 ホームに滑り込んできた電車のドアが開き、生暖かい風が頬を撫でた。いつのまにか上がっていた呼吸を整えるように、大きく息を吐いて、最後の電車に乗り込んだ。まったく、とんだ誕生日になってしまった。お酒は飲みすぎたし、仁王くんにはキスされるし、それに、それに。どくどくと鳴り止まない鼓動、電車のドアに寄り掛かって、静かに目を閉じた。それに、気づいてしまったかもしれない。ずっと胸の奥で燻っていた、この感情に。
 電車の揺れに身を任せながら、先程の言葉を思い出す。ああ、きっと彼には勝てないだろう。でも悔しいから、すぐには言ってあげない。わたしだって、少しくらい、余裕なふりしたって、いいでしょう?


駆け引きは告白のあとで

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えまちゃんいつも素敵な絵を描いてくれてありがとう!
ハッピーバースディ!