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「七海さんのことが好きです」
「そうですか。それは光栄ですね」

 淡々と返答した七海に、少女はぷうと頬を膨らませる。七海は胸中で大きく溜息を吐き出した。カフェの中は暖かく、七海も少女も上着とマフラーを脱いでいる。ホットコーヒーを啜る七海を恨みがましく見てから、少女はココアが入ったマグに口をつけた。爪は短く整えられていたが、制服の袖口から飛び出しているベージュのカーディガンは、彼女の手の甲をほとんど覆ってしまっている。少し長めの前髪が鬱陶しかったのか、少女は指先で髪を流した。そうして、両手でマグを持った少女はこく、こく、とココアを飲み下した。ほ、と小さく息を吐いたあと、ぺろりと上唇についた残りを舐めとる。眉一つ動かさずそれを見届けてから、七海はコーヒーカップをソーサーへと戻した。
 数えきれないくらいの“そういう部分”が、七海が彼女を少女と思う所以だった。もちろん、七海にとって高校生とは保護する対象であり、決して恋愛感情を向ける相手ではない。自分の年齢を考えずに若い女に手を出す男はクソだと考えている七海にとって、少女の告白は「今日は天気がいいですね」くらいの認識であった。七海としては、少女を軽んじているわけでも、彼女の気持ちを疑っているわけでもない。少女が好意を自分に向けていることは理解していたし、それを彼女が恋愛感情と認識していることもしっかりと把握していた。その上で、彼女のその感情が揺れ動く思春期特有のものであり、一時の感情であると結論づけていた。七海は七海なりに彼女の気持ちを受け止めていた。ただそれだけだ。彼にとって彼女はまだまだ子どもであったし、子どもに返す恋愛感情は持ち合わせていなかった。

「七海さん、本気だと思ってないでしょ」
「そんなことはありません。貴女は嘘をつくタイプの人間ではないですし」
「でも、全然、本気で返してくれない」
「本気で受け取っています。返すものがないだけで」

 ない、という言葉にぴくりと反応した少女に、しまった、と七海は眉間に皺を寄せた。少しキツい言い方になってしまっただろうか。しかし、事実を捻じ曲げて伝えることは、彼の信念に反した。七海の中に、彼女に対する恋愛感情は欠片もない。どれだけ彼女が大人びていようと、どれだけ優れた反転術式の使い手であろうと、どれだけ七海のことが好きであろうと、彼女が高専の生徒であるうちは。

「七海さんって、あの、女の人に興味がない、なんてことは……」
「過去にお付き合いした女性ももちろんいますし、結婚願望もあります」
「え、それって、元カノ? っていうか、結婚、って、え?」
「なにか問題でも?」

 くい、と眼鏡をあげると、少女はうっと言葉に詰まった。そうして少し逡巡してから、マグをテーブルに置いてゆっくりと右手を上げる。真っ直ぐ自分を見つめてきた視線を受け止めて、七海は少女を指名した。質問ですか。どうぞ。挙手をしていた少女はごくりと唾を飲み込んで、慎重に唇を開いた。

「七海さんの元カノって、どんな人でしたか?」
「……生産性のない話はしない主義です」
「あります、七海さんのことをもっと知れますし、それに、」
「私のことが知りたいのなら、過去ではなく好みを聞いた方が早いでしょう」
「え、いいんですか?」

 きょとん、と少女が目を見開く。ぴくりと眉を動かした七海は、何もなかったかのように再びコーヒーカップを手にして一口飲んだ。香ばしい豆のかおり。七海のお気に入りだった。この豆も、この店も。七海がカップをソーサーに置くのを待ってから、少女は再び挙手をする。はい、どうぞ。

「七海さんの好みの女性を教えてください」
「そんなもの、ありませんよ」
「えっ」
「好きになった人が好みです」

 そんな、と言ったきり言葉を失う少女を、七海は目を細めて見つめた。その視線が柔らかいことに、目の前の少女は気付かない。眉をきゅっと下げたその顔は、まるで捨てられた仔犬のようだった。七海は犬が好きだ。賢く、忠実で、可愛らしい。こほん、と小さく七海がわざとらしい咳をしたので、萎れていた少女は目線を上げた。その瞳をじっと見つめたまま、七海が唇を開く。

「ですが、そうですね、一途な方が好ましいです」
「っ、わたし、一途です! 七海さんに!」
「知っていますよ」
「っ、」

 かぁ、と少女の頬が真っ赤に染まる。それを目で楽しんでから、七海はふっと笑みを零した。少女は、頬だけでなく首筋まで赤く染めながら、七海さん、と震える声で七海の名を呼んだ。なんですか? 七海の返答が優しくて、少女は身体中の産毛がぞわりと逆立つのを感じた。目の前の、眼鏡の奥で光る、七海の瞳をじっと見つめながら、少女は一つひとつ、言葉を紡ぎ出した。

「わたし、ずっとずっと、好きです、これからも、七海さんが」
「残念ながら、君はまだ子どもです」
「でも、」
「貴女が学生のうちは、私が貴女に応えることは一切ありません」

 学生のうちは。雷に打たれたみたいに、少女の全身はびりびりと震えた。ぴしゃりと放たれたそれは、確かに拒絶の文句であったのに、少女にとってはこれ以上ない希望の光になった。上気した少女の顔を、七海は無言で見つめ返す。あまりの可愛らしさに、緩んでしまいそうになる頬をきゅっと引き締めた。少女がきらきらと瞳を輝かせながら七海に詰め寄る。曇りのない澄んだその瞳が綺麗だと、七海は思った。

「それは、わたしが卒業したら、返事をくれるってことですか?!」
「さあ、どうでしょう」
「わたし、きっと、ううん、絶対、卒業しても、大人になっても、ずっとずっと、七海さんが好きです」
「女心と秋の空、なんて言いますからね。今はあまり使われませんが」
「心変わりなんてしません、わたし、ずっと七海さんが、」
「さて、そろそろ出ましょうか」

 がたり、と七海が話の腰を折るように立ち上がったので、少女は再び頬を膨らませた。その様子に、思わずふっと七海は笑ってしまう。テーブル上のクリップボードを手に取り、ここは私が持ちましょう、と七海は財布を取り出した。いつものことだった。この後すぐ、「ちゃんと払います」と少女が言うのも、いつものこと。

「あ、今日こそはわたしが、」
「子どもに払わせるような甲斐性なしではありません」
「っ、」
「それから、」

 七海の真っ直ぐな瞳が、少女を貫いた。少女が息を飲む。その瞳が、少女は好きだった。強い意思を孕んだ瞳。その瞳に、少女は恋をしたのだった。

「私は貴女以上に一途ですから、一度結ばれたら二度と離す気はありませんよ」
「っ、そ、れって、」
「さて、高専へ帰りましょう」
「……はいっ!」

 くるり、と背を向けて歩き出した七海のあとを、少し遅れて満面の笑みの少女が着いていく。七海の中に、彼女に対する恋愛感情は欠片もない。それは恋愛感情と呼べるものではないし、恋愛感情にしてはならないことを、七海は重々承知していた。けれども、年月をかけて育て上げれば、それが綺麗に咲き乱れることも七海は知っていた。それを、彼女は分かったのだろうか。今の七海にとっては、どうでも良いことだった。数年後、確かめればいいだけである。なにせ、七海健人という人間は、いっとう一途であるのだから。


201221