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 昔から、指輪が好きではなかった。わたしの手は小さく、指が短い。だから、どんな指輪も似合わないような気がしていた。思春期のころからずっと、アクサセリーといえばピアスかネックレスで、指輪は片手で数えられるくらいしか買ったことがない。それも、1、2回つけてから何処かへやってしまった。デザインが可愛くて衝動買いしたものだったから、付けてみたら煩わしくて、外してどこかに置いて、そのまま。だから、わたしのこの指に、小さな誓いの指輪がはまっているのを見ると、今でも不思議な気分になる。薬指で光る、わたしを縛り付けるための指輪。それが、どうしてこうも愛おしく、切なく、悲しいのだろうか。まさか、指輪を贈られるだなんて、昔のレノからは想像もつかなかった。レノと初めて出会ったころ、わたしは子どもだったし、レノも大人ではなかった。わたしにとってレノはたった一人の男の人だったけれども、レノにとってわたしはたった一人の女ではなかった。遊びだった。それでもよかった。レノが、わたしの頭を撫でて、やさしいキスをして、その場だけの愛を囁いて、激しく抱いてくれれば、それで。レノは他にも女がいたけれど、だからといってわたしを邪険にはしなかったし、ほかの女を感じさせるような真似は決してしなかった。だから、それでもよかった。よかったのだ、最初は。人間とは不思議なもので、手に入れば入るほど、だんだんと欲張りになっていくようだった。手を繋ぐだけでは、我慢できなくなった。キスをするだけでは、耐えられなくなった。抱かれたら抱かれただけ、悲しくなった。その節くれだった手が、厚い下唇が、しっとりと濡れた肌が、他の女に触れると思うと苛立ち、悲しくなった。わたしだけをみてほしい。わたしだけに触れて、わたしだけを求めてほしい。そう思うのは、きっと、悪いことではないはずだった。でも、それをレノにぶつけられなかったのは、わたしの弱さだ。そうやって、ぶつけて、我儘な女だと思われるのが嫌だった。愛想を尽かされるのが怖かった。だから、いなくなった。彼の前から。電話番号もメールアドレスも、別のものに変えた。アパートを引き払って、新しい部屋を借りた。レノの家も、職場も、わたしは知らない。いつも泊まるのはわたしの部屋。でもそこに、レノの痕跡はない。何も。レノは、わたしに何か贈ったりはしなかった。わたしも、レノに何も贈ったことはない。ただただ、一緒に居ただけのわたしに残ったのは、真新しい匂いのする、日当たりの良いからっぽの部屋と、それから、彼との思い出だけだった。それでよかった。もう逢えなくても、その思い出だけで、よかったのに。どうして、神様は、いじわるだ。

「よォ。邪魔するぞ、と」

 昼間食べたものを片付けて、食器を洗っていたら、玄関でがちゃりと鍵の開く音。慌てて蛇口を捻って水を止め、シンクの取手に下がっていたタオルで手を拭いた。廊下の扉が開けられ、赤い髪が揺れる。あたしを見つめたアクアマリンが、嬉しそうに細められた。その視線に、心臓がきゅんと締め付けられる。でも、何事もなかったふりをして、彼に手を差し出した。レノが、ジャケットを脱いで、渡してくる。それを受け取って、シワにならないようウォールハンガーに掛けた。そのわたしの腰に、するりと巻きつくたくましい腕。ワイシャツ越しでもわかるそれに、目眩がした。レノのお気に入りの香水が匂って、それだけで胸の奥が切なく締め付けられる。ああ、この香りだけは、ずっとずっと、変わらない。あのころから、ずっと。レノがわたしを抱きしめたまま、首筋に顔を埋めてくる。はあ、というため息は、一体どんな感情がこもっているのだろうか。でも、浅ましいわたしのからだは、その吐息が肌をくすぐるだけでぴくりと反応してしまう。気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、レノは顔を埋めたまま、ぎゅっとわたしをもう一度抱きしめた。

「良い匂い、する。昼飯、なんだった?」
「……パスタ。今日は、ミートソース」
「へえ、うまそ」
「レノの分も、あるよ。食べる?」
「……腹減ったけど、今は、こっち」

 レノの指先が、わたしの顎をとらえた。そのままくい、と後ろを向かされ、澄んだアクアマリンと目が合う。近付く吐息に、自然と目蓋を下ろした。ふわり、とレノの唇がわたしの唇に降ってくる。音のないキス。二回、三回と重ねられたそれは、やっぱり音もなく去っていった。わたしを抱きしめる腕が緩んで、正面を向かされる。腰に回った腕はそのまま、壁に押し付けるように密着され、わたしの視界はレノの鍛え上げられた胸板だけになってしまった。レノの右手が、わたしの横髪を優しく指に巻きつける。くるくると遊んでから、耳に掛けられた。少し掠っただけなのに、レノが触れた部分がじんわりと熱くなる。その大きな手のひらが、優しく頬を包んだ。恥ずかしくて俯いていたわたしを促すように、でも逃さないように、ゆっくりと上を向かされる。愛おしそうにわたしを見つめるその瞳に、狂おしいほどの感情が灯っていて。その光が、わたしの胸をひどく締め付けた。再び降ってきた唇は、今度は優しくわたしの唇を喰んでくる。上唇をちろりと舐めては、柔く歯が立てられて。下唇を吸われたと思ったら、僅かに開いた隙間から舌が侵入してきた。わたしの舌をつん、とつついたそれが、ぬるりと絡まって、擦られて。それに応えるように、わたしからも舌を絡ませた。優しくも激しい舌遣いに、ぴくりと身体が反応する。気持ち良くて、苦しくて、レノの服を掴むと、腰に回っていたレノの左手がわたしの手を捕まえた。そのまま指を絡められて、親指でさわさわと撫でられる。薬指のリングをなぞった指先が、カリと爪先で甘く引っ掻いた。ぬるり。わたしの口内を堪能したレノが、ゆっくりと口を離す。一瞬だけ繋がった銀色の糸は、すぐにふつりと切れてしまった。レノが、握ったままの手を口元へと持っていく。薬指のシルバーを見つめてふっと笑ってから、音もなくそこに口付けた。

「指輪、してくれてんの」
「う、ん……」
「すげー、嬉しい」

 そうしてまた、レノは右手の薬指に口付けた。わたしの指よりも、一つだけ大きいサイズのシルバー。ぴったりだと、抜けなくなってしまうのが怖いから、と、レノに言ったのだったけれど。もしかしたら、失敗だったかもしれない。つけるたびに、両側の指に少し当たるのが、なにをしていても、気になってしまって。まるで、レノが、オレを忘れるなと、そう言っているみたいで、それが、少し怖くて、心地いい。どうしてだろう。左手の薬指で光るゴールドよりも、右手で光るシルバーの方が、輝いて見えてしまうのは。どちらを見ても、切なくなることに、変わりはないのに。レノからの、初めての、贈りもの。受け取った時にはもう、わたしの左手には別のものが光っていた。わたしを縛る金の輪。レノの前から姿を消して、それで、全て終わったと、思っていたのだ。終わった気でいたのが、まさか、わたしだけだったなんて、そんなこと、思いもしなかった。

「名前、久しぶり」

 何年ぶりかに会ったレノは、髪が伸びていて、少し大人びていて、でも全然、変わっていなかった。笑うと目が細くなるところも、歩く時にさりげなくエスコートしてくれるのも、わたしに触れる指先が、ほんのり温かいのも。「好きだ」と抱きしめてきたレノを拒む理由なんて、いくらでもあった。それでも、拒み切れなかったのは、わたしがどこかでレノを求めていたからだった。ずっとずっと、求めていたから。だからといって、左手の薬指を捨てられるほど、わたしは強くなかった。臆病者で弱虫のわたしに、レノは優しく、悪魔のような声で、囁いたのだ。おまえは、そのままでいい。そのままのおまえが、好きだよ。そうして始まったこの歪んだ関係を象徴するように、レノはわたしにシルバーを贈ったのだった。

「……名前、腹、減った」
「じゃあ、ご飯、食べ、きゃっ」
「おまえが食いてえ」

 わたしを抱き上げたレノが、額にキスを落とす。返事の代わりに、ぎゅうとスーツを握った。レノの足が、迷わず寝室へと向かう。ベッドではしたくないと伝えても、聞いてもらえたことは一度もなかった。それどころか、そう告げた日は、まるで痕跡を残すかのように、激しく抱かれるようになってしまった。だから、もう、なにも言わない。ダブルベットにわたしを横たえて、馬乗りになったレノがわたしに優しく口付ける。その手が、わたしの左手を取って。指先と、甲と、手のひらと、数え切れないくらいキスをするから、それだけで頭がくらくらした。するり、とレノが、薬指のゴールドを外して、サイドテーブルへと置いた。それから、わたしをじっと見たまま、舌を出して、わたしの左手を、ねっとりと舐める。薬指の爪先が、ぱくりとレノの口の中へと消えて。優しく歯を立てながら、がぷ、とどんどん食べられていったそれは、ついに根本までレノの口に覆われてしまった。口内で、ぬるぬると舌が指を愛撫して、それだけなのにぞくぞくと感じてしまう。じゅ、と吸われて、甘い声が零れた、次の瞬間、ガリ、と根本を強く噛まれて、悲鳴が漏れた。すぐさまそれは、嬌声に変わる。

「い、った、ぁ、ん」
「ん、おまえの指、細くて、折れそう」
「あ、ぅ」
「痕、ついちまったな」

 唇を歪ませたレノが、見せつけるように舌を出して指を舐めた。左手の薬指は、ずっとつけている結婚指輪のせいで、根本が細くなっている。そこに、レノの歯形が、くっきりと残ってしまった。愛おしそうにそれを舐めて、レノはわたしの手をベッドへと押さえつけた。レノの瞳が近づいて、また唇が塞がれる。窒息するようなキスのその合間、息をするようにレノがわたしの名前を呼んで。必死で息を吸い込むと、レノの香水が、また。ああ、これだけは、ずっと変わらない。たくさんのことが、悲しいほど、変わってしまったけれど。

「あ、んぅ、レノ、」
「名前、名前、愛してる、」

 わたしも、とこたえられないわたしを、どうかゆるさないで。


ひとりよがりのかみさま

200702