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「オマエ、さ」
「……なに?」
「やっぱなんでもねー」
「……はぁ」

 朝教室に行ったら、いつもはギリギリ遅刻してくる悟が既に座っていたのでびっくりした。どうしたの、と訊いても返事は「なんでもねー」だったので、「今日は雪でも降るんじゃない?」なんて返したんだけど。ほんとは、心臓がタップダンスを踊ってるみたいに暴れ出したので必死に取り繕ったのだった。あまりにも大きな鼓動に、隣の悟に聞こえてしまうんじゃないかって心配してしまうくらい、だったのに。今のわたしは困惑と苛立ちに揺れていた。先ほどから悟はずっとこの調子で、わたしのことを呼んでは「なんでもねー」を繰り返している。はあ? なに、どういうこと? からかわれてる? 初めは宿題を広げたわたしの邪魔をしたいのかと思って、わざとそっけなく接していたのだけれど、ちらりと盗み見た横顔は妙に真剣で、どうやら本気で何かに悩んでいるようだった。そんな悟の姿は見たことがなかったので、なんて話しかけていいのか全くわからない。そうして、同じような問答が何度か繰り広げられていた。ちなみに、宿題は全然進まない。

「なあ」
「だから、なに?」
「……オマエ、そこ間違ってる」
「え、どこ」
「ここ」

 にゅ、っと悟の指先が視界に入ってきて、とんとん、とノートの英文を指した。「スペルミス。aじゃなくてeな」あ、ほんとだ。小さく呟くと、悟がふっと笑う気配。教えてくれる声は優しさすら感じる響きで、どうやら怒っているわけではないようだけれど、じゃあなにをそんなに言い淀んでいるのだろう。なんとなく腑に落ちないまま、ありがと、と告げてから、間違った箇所を修正する。そうしてまた教室は、わたしのカリカリというシャーペンの音と、窓の外でさえずる鳥の声が聞こえてくるだけになった。いつもは軽い口喧嘩ばかりの悟と、こんな静かな空間を共有することになるなんて、なんだか不思議で、変にくすぐったい。朝の自習、日課にしててよかったな。緩みそうになる頬を必死で引き締めていると、ごほん、と悟がわざとらしく咳払いをした。どうやらやっと、何かを話す気になったらしい。

「オマエ、さ」
「んー?」
「好きなヤツ、いんのかよ」
「……い、え゛?!」

 がたり、座っていた椅子が悲鳴を上げた。思わず悟の顔を見上げてしまって、ああ、失敗したと心の中で叫んだ。サングラス越しの澄んだ空色の瞳を見た瞬間、頭のてっぺんから爪先までを、稲妻が駆け抜けたみたいにびりびりと痺れた。耳が、頬が、かあっと赤くなったのが、自分でもわかった。う、わ、最悪、いまので、絶対バレた。悟、ほんと、意味わかんない! うそでしょ、なんで! 今そんなこと! 聞くの! 大声で叫び出したかったのに、開いた唇からはなにも飛び出てこない。金魚みたいに口をぱくぱくさせるわたしを見て、悟がぎゅっと眉間に皺を寄せた。一気に不機嫌になった悟に、思わず口を噤んでしまう。な、なんであんたがそんな顔すんの。

「いるのかよ」
「さ、さとるに関係な、」
「いるんだな」
「う、あ、」
「誰だよ」
「い、言わないっ!!」

 思ったより大きな声が出てしまって、悟の眉間のシワがさらに深くなった。言えるわけ、ないでしょ。そんな顔してる悟に向かって、あんたが好きなんだよ、なんて、わたしに言えるわけが、

「なんだよ、言えって」
「やだ、なんで悟に、」
「俺には言えるだろ」

 伸びてきた悟の手が、ぐっとわたしの手首を掴んだ。熱くて大きな手のひらに、どくんと心臓が跳ねる。ま、って、なんで、そんな。現状が全く理解できなくて、唇を震わせながら悟を見つめることしかできない。逃さない、とでもいうように悟がわたしとの距離を詰める。サングラスの隙間から見える空色が、切なそうに細められた。それにまた、心臓がぎゅっと締め付けられる。どうして、そんな顔するの。悟がなにを考えているのか、わたし、これっぽっちもわからないよ。ただ、掴まれた手首が痛くて、向けられる視線が熱くて、何もかもが溶けてしまいそうだった。

「なあ、誰だよ」
「まって、悟、手、はなし、」
「傑か?」
「え?」

 すぐる? どうして傑が出てくるんだろう。わたし、傑となにかした? 目を見開いたわたしを見て、なにを勘違いしたのか、悟は辛そうに顔を歪めた。待って、本当に、待ってほしい。パズルのピースは全部手元に揃っているはずなのに、混乱で考えがまとまらない。悟がその長い睫毛を伏せる。「そっか」零れた声は弱々しかった。悟らしくない声にツキンと胸が痛む。なぜかはわからないけれど、どうやら悟はわたしが傑のことを好きだと思い込んでいるらしい。な、なんでよ。うそでしょ。あんた、ばっかじゃないの。あれだけ、あれだけ毎日一緒にいたのに、わたしの気持ち、ぜんぜん気付いてなかったの?! それどころか、傑が好きって、なにそれ、悟、本当に、バカ!

「あー、わり、オマエと傑の仲、邪魔するつもりじゃ、」
「悟の、バカっ!!」

 キッと睨みつけて叫ぶと、悟の瞳が驚きで丸くなる。一回じゃ足りなくて、重ねるように「バカ! バカ! 大バカ!!」と叫ぶと、「バカはオマエだろ!」と叫び返された。わたしの! どこが! バカですか!!

「悟の方がバカですー!」
「どう考えたってオマエだろバーカ! 俺の方が成績いいしー」
「成績の話してないでしょ?! ほんっと悟ってバカ!」
「うるせーバカ!」
「わたしが好きなの、傑じゃないし! バカ!」
「だからバカはオマエ、……あ?」
「……好きなの、傑じゃ、ない、よ」

 息を呑んでこちらを見つめる悟の頬に、じわりじわりと赤みが差す。きゅっと唇に力を入れた悟が、視線を宙に彷徨わせた。取り繕うようなその態度に、再び心臓が走り出す。ねえ、その反応、ずるい。わたし、期待しちゃうじゃん。さっき機嫌が悪かったのも、もしかしたら嫉妬したのかな、なんて、勘違いしちゃうじゃん。「なぁ、」掠れた声で悟がわたしの名前を呼ぶ。「なに、」と応えたわたしの声も、掠れてたかもしれない。口の中がカラカラに乾いて、頬が熱くて、頭は沸騰してるみたいで。でも、悟も同じなのかなって思うと、きゅんと胸が締め付けられる。ゆっくりと、悟が唇を開いた。

「じゃあ、誰が、好きなんだよ」
「……さ、悟は?」
「あ?」
「悟は、誰が好き、なの」

 こんな時まで意気地なしなわたしだけど、だってこれだけは今じゃないと、答えてくれない気がして。ごくり、と生唾を飲み込んだ悟が、握っていたわたしの手首から手を離す。そのまま指先が、するりとわたしの指を絡め取って。あまりのことに息が止まりそうになる。きゅっとわたしの指先を握った悟が、わたしの瞳を覗き込んだ。空色の瞳。宝石のきらめきを閉じ込めたようなそれが、切なげに細められて、そうして、優しい声が鼓膜を震わせた。

「オマエ」
「っ、」
「オマエが、好き。ずっと前から」

 悟の左手が、戸惑いがちにわたしの頬に触れる。包み込む手のひらがあたたかい。ゆっくりと悟の顔が近づいてきて、彼の吐息が唇にぶつかった。悟の呼吸が浅い。緊張、してるのかな。悟も緊張するのかな。どうでもいいことが頭を駆け巡っていくけれど。吐息たっぷりに悟がわたしの名前を呼ぶから、全部が吹っ飛んでしまった。

「オマエは?」
「わ、たし、は、」
「ん、」
「悟が、好きだよ。ずっと、前から」

 ふ、と息だけで笑った悟が、知ってる、と呟いた、次の瞬間にはもう唇が触れ合っていた。悟の唇は、柔らかくて、冷たくて、そして、少しだけ震えていた。たまらなくて、触れている場所全てが熱くて、悟が愛しくて、繋いだ指先をきゅっと握る。ぴくりと動いた指先は、さらに強くわたしの手を掴む。離さないで。祈りを込めるように心の中で小さく唱えた。この先、なにがあっても、この手は、離さないでいて。

「ん、さとる……好き……」
「だから、知ってるって言ったろ」
「うそ、だって、傑のこと好きって、」
「オマエ、もう黙れよ」

 再び唇を押し付けられて、言葉は途中で途切れてしまった。朝の教室はシンと静かで、わたしたちの呼吸しか聞こえない。もしかしたら心臓の音も、耳を澄ませば聞こえてしまうのかもしれないけれど。息継ぎをするように唇を離した悟が、好き、と小さく囁いて、また唇を重ねてきた。もうすぐ硝子たちがやって来る。やめなきゃいけないと、頭ではわかっているけれど。あと少しだけ、この幸せを噛み締めていたかった。


201130