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- ナノ -




「ザックス、あたし、レノに嫌われたかもしんない」
「……は?」

 枝豆が、ぴょんと俺の指先から逃げていった。まだ日が落ちて間もない居酒屋は、これからがかき入れ時なのか、先ほどより慌ただしく店員が行き来している。仕事終わりの客が大勢、のれんをくぐってきたのだろう。それでも、奥まった場所にあるこの個室は、カウンター客の大きな笑い声が時折響いてくるだけで静かなものだ。だからこそ、目の前で泣きそうになりながらビールジョッキを握る名前の、消え入りそうな声も聞こえたわけなんだけど。

「お前なんかしたの?」
「なんにも。いつも通り」
「じゃあなんで急にそんなこと言うんだよ」
「……なんか、今日、冷たかった、から」
「……はあ?」

 それだけかよ。呆れたようにそう言えば、「それだけですけど、何か?」と睨まれてしまった。お前、酒クセェし、顔真っ赤だし、全然迫力ねーけど。タークスには見えねーな。まあ、いつも見えねーけどさ。一緒に仕事をしなければ、この女が、手に持った銃で簡単に人を殺してしまうことなど、信じられないに違いない。俺だって最初、表情一つ変えずに敵の間者の息の根を止める所に遭遇していなければ、何かの悪い冗談だと思っただろう。今は、どちらの彼女も、彼女の持っている一面に過ぎないとわかっている。冷徹な仕事人の彼女も、恋愛にひどく不器用な彼女も。

「ていうか、レノって、絶対シスネのこと好きだと思う」
「はあ? なんで?」
「いっつも比べられるから」

 同じタークスなのに仕事が遅いぞ、とか、どんくさいぞ、とか、胸がちっちゃいぞ、とか。唇を尖らせた名前が、ジョッキのビールをぐいと飲み干す。俺が何か言う前に店員を呼び、おかわりを注文した。正直、これ以上酔っても面倒なことになるのは分かりきっていたのでやめさせたかったが、ここで止めても暴れて面倒なので諦めた。面倒ごとを先送りしたがるのは俺の悪い癖だな。つーか、胸がちっちゃいってそれセクハラ発言だぞ。お前セクハラ野郎は滅べ! ってテレビに向かって叫んでたじゃねーか。レノはいいのかよ。

「レノは……よくないけど、よくない、けど、でも」
「ハイハイ、構われて嬉しいわけね」
「うるさい!」

 おしぼりが飛んできたので、顔を傾けて避ける。なんで避ける! って、そりゃ避けるだろ。当たりたくねえもん。むすりとさらに機嫌を悪くした名前が、箸で軟骨の唐揚げを突いてからパクリと口の中に放り込んだ。食べ方が全然エロくないな。そいうところだと言いたかったけれど、まだ死にたくないので黙っていた。俺だって命は惜しい。

「で、どうすんの、お前。告白しねーの」
「……迷惑かも、しれないから、しない」
「迷惑、ねぇ」

 俯いた名前が辛そうにポツリと漏らすから、それ以上は突っ込めなかった。苦しそうにしてるとこ悪いけど、お前、相当あいつに好かれてるからな。悔しいから絶対ぇ言わねぇけど。ぜってー、言わねぇけど。大体、どちらも不器用が過ぎるのだ。臆病すぎて、相手との距離を測り違えるって、それ、ガキの恋愛だろ。俺だって人のこと言えねぇけどさ、お前らよりはマシだと思うぜ、本当。

「それに、今の関係、壊したくない」
「へぇ?」
「……今の、言い合える関係が、壊れちゃうの、やだ」

 ジョッキを握ったまま、名前が悲しそうに眉根を寄せる。そうか。友達の少ない名前にとって、俺や、タークスのメンバーが、唯一と言っていい交友関係だった。その中でも、一番信頼して、気を許しているのがレノな訳で。まあ、それだけ臆病になる気持ちも、わからなくは、ない、か。焼き鳥の串を口に咥えながらそんなことを考えていたら、名前の瞳からぼたぼたと涙が溢れきたのでギョッとした。は?! 泣いた?!

「ちょ、おま、泣くなって」
「ふ、ぅ、どうしよ、ザックス、レノに嫌われたくないよお……」
「いやいやだから安心しろって、あいつがお前を嫌いになるとかねーから」
「うっうっ、シスネのことすきだったらどぉしよお……」
「いやそれはねーって」
「レノがシスネと付き合っちゃったらどうしよお……」
「いやそれはもっとねーよ」

 ていうか多分シスネは俺のこと好きだし。余計混乱しそうだから言わねーけど。ずびずびと鼻をすすりながら、うだうだ管を巻く名前。その彼女のスマホが、テーブルの上で振動した。表示された名前を見て、お互いピタリと動きを止める。は、嘘だろ、なんで、タイムリーすぎんだろ。お前の話、してたとこだけどさ、そりゃねーって。名前の顔を見ると、目を真っ赤に腫らしながらスマホの画面を凝視している。そりゃ、ま、そうなるよなァ。普段から電話するような仲なら、こんなこじれたことになってないだろうし。

「出ろよ、ホラ」
「や、むり、今は、むり」
「なんでだよ! 出て、好きって言えばいいだけだろ」
「もっと無理!!!」

 ぎゃんぎゃん言い合っているうちに、卓上のそれは動きを止めた。けれど、間髪入れずにまた振動を開始して。先ほどよりも長いそれが、無言のプレッシャーのようだった。ものすごい、圧を感じる。俺、何もしてねーのに。名前も同じことを考えているのか、酷い狼狽具合だった。テンパってまた涙目になっている。ちょっと可哀想だ。

「あー、仕事の話、じゃねえの?」
「仕事なら、秘匿回線だから」
「だよなァ」
「う、ザックス、出てよ」
「はァ!? なんでだよ!」

 わざわざアイツに睨まれるようなこと、したくねぇよ! レノ、と表示されたそれを、名前がぐいぐい俺に押し付けてくる。お前、アイツ怖いの知らねーだろ! 以前、お前にちょっかいかけてるとこ見られたときは、本当、大変だったんだからな! 押し付けられたそれを押し返す。まるでコントだ。やってる俺たちは、マジなわけだけど。さらに押し付けられたスマホを、うっかり、手を滑らせて、テーブルの上に落としてしまった。瞬間、電話が切れる。一瞬の沈黙、そして、再度、コール音。恐ろしいのは、それが卓上の名前のスマホではなく、

「な、ん、で、俺にかかってくんだよ!?」
「え、なに、なんなの、もうわけわかんない!」
「俺だってわかんねーって、……あ、」

 するりと手が滑って、通話ボタンを押してしまった。やべえ。通話画面に切り替わり、『レノ』の下に時間が表示される。このまま切ってしまいたい衝動を抑え込んで、恐る恐るスマホを耳に当てた。恐怖は、先送りにしないほうがいい。それだけは間違いない。

「よォ、レノ。どうした?」
「……名前、と、何、してる?」

 こええよ!! なんだよもうお前わかってんじゃんこいつといるの。その独占欲どうにかなんねーの? まだ何もしてねーよ! 酒飲んでべろべろに酔っ払った名前に絡まれてるだけだっつの! 俺! 被害者!

「あー、何つーか、」
「……は? 居酒屋かよ」

 逆 探 知 か よ ! ! 仕事はえーなオイ。普段からそれくらいしろって言われるぞ上司に。もう何つーか諦めの境地に達してしまい、大きくため息をついた。こちらの会話が全く聞こえていないのか、酔いが一気に回ってきたのか、名前がとろんとした瞳でこちらを見つめてくる。う、その顔は、ちょっと、グッと、くる、かも。艶やかな半開きの唇が、誘っているようで。いや、待て俺、酔ってる? 落ち着け、あれはグロスじゃない。軟骨の油だ!

「1分で行くからそこ動くなよ」
「もう好きにしてくれ……」

 神羅ビルから歩いて5分とかからないこの居酒屋、レノにかかれば本当にそれくらいの時間で着いてしまうだろう。ぶつりと勢い良く切られた通話が、あいつの余裕のなさを表しているようで。それ、ほんと、直接名前に言ってやったほうがよっぽどこじれねーんだけど。なんで素直になれねーかな。お互い様か、こいつらの場合。

「ね、ねえ、レノ、なんて?」
「今からここに来るってさ」
「?! か、帰る!」
「はぁ?! ちょ、待てって!」

 慌てて立ち上がった名前の腕を掴んで引き止める。いやいやお前に会いにくるんだぜアイツ! 俺だけ残ってたって仕方ねーじゃん殺されるよ俺。しかし名前も必死なのか、結構な力で俺の手を振り解こうとする。こういうとき、こいつが腐ってもタークスだということを思い起こさせる。おま、力強ぇな! ただ、酔っ払って力加減がきかないのは、俺も同じだったようで。ぐい、と腕を引くと、体ごと、名前が俺のほうに倒れてくる。やべ、と咄嗟に名前を抱きとめて、自分も倒れないように足を踏ん張る。あ、ぶなかった。流石に店内で転ぶなんてしたくねーよ、俺、一応ソルジャーだし。胸に倒れ込んできた名前が、ごめん、と小さく呟いた。俺こそ、ごめん、と続けようとして。

「は? おまえら何してんだよ」

 赤い髪の悪魔がギラついた眼でこちらを睨んでいた。

「ひぃ!」
「よ、よォ、早かったな」
「何してるんだ、って聞いてるんだぞ、と」

 ばっと名前から手を離す。ホールドアップ。やましいことは何もしてねぇよ、とレノに目線で訴える。そりゃ、今ちょっと、お尻、触っちゃったけどさ、わざとじゃないっていうか、不可抗力っつーか、な?

「居酒屋で逢引か? 楽しそうだなァ。オレも混ぜてくれよ」
「え、あ、や、あの、あたし帰る、」
「あ?」
「ひぃ!!!」

 凄まれて名前が悲鳴を上げる。いやお前アイツのこと好きなんだろ? なんとかしろよ。もう俺じゃあどうしようもねーよ。お前にしかどうしようもねーって、な?

「名前、」

 ちょいちょい、とレノが手招きをする。口元は楽しそうに笑っているが目がマジだ。怯えた名前が縋るように俺の服を掴む。だから! それやめて! いや可愛いけど! いつもなら嬉しいけど! 今は勘弁! ほらレノめっちゃ睨んでるから! つかお前もうこれ絶対両思いじゃん。完全にレノ嫉妬してんだろ。なんであんなウジウジ泣いてんだよ……わかれよ……。

「あ、の、あたし、」
「名前、」
「う、ハイ」

 おずおずと名前がレノへと近付く。その細い手首を掴んだレノが、素早く名前を引き寄せた。左手で頬をがっと掴んで、その瞳を覗き込む。スッと細められる瞳に、名前がまたか細い悲鳴をあげた。

「泣いたのかよ」
「え? あ、や、俺は何もしてねーけど、」
「だ、だって、だって、レノが、冷たくて、」
「あー、わかったから、もう泣くな」
「う、レノ、あたしのこと、嫌いにならない?」
「ああ」
「っふ、うう、ほんと?」
「ならねーって」

 レノが左手を添えたまま、名前のおでこにキスを落とす。そのまま目元にも口付けて、溢れ出る涙をちう、と吸った。反対も。ぐずぐずと泣いている名前は、それに気付いているのかいないのか、「嫌いにならないでぇ」と言いながらレノの服を握っている。は? つーか、今、こいつ何した? キス? こいつら付き合ってたのかよ? いや付き合ってるわけねーか告白だってまだっぽかったし。はあ? 付き合ってねーのにこんなことしてんのこいつら。ニヤリと笑ったレノが、挑発するように俺を見つめる。その視線。おま、今のが初めてじゃねーな?!

「こいつ、酔うと泣き上戸」
「あー、さっき知った」
「泣いたときは大抵記憶ねーからな」
「は?」
「だから、もうこいつに飲ませんなよ」

 オレだけの特権だからな、と。勝ち誇ったようにそう言って。レノは名前の唇に噛み付いた。がぶり、と音が聞こえてきそうなほどのキスに、名前が「痛いぃ」とまた涙を零す。「悪ィ」と適当な謝罪をしてから、レノは噛み付いたそこを丹念に舌先で舐めた。「ん、」名前が悩ましい声を上げる。いやいやここ居酒屋だし、俺いるし。ねえもう帰っていい?

「おまえ、しょっぺぇ」
「あー、さっき軟骨食ってたな……」
「さて、帰るぞ、と」

 未だぐずぐず泣いている名前の腕を掴み、レノがポケットから札を取り出してテーブルの上に置いた。「口止め料、な」それはどういう意味か。もうなんだか考える気力もなくなって立ち尽くしたままレノに手をあげる。ニヤリと笑ったレノは、名前を連れ立ってその場を後にした。残された俺は力なく椅子に座り直して、すっかり泡の消えたビールを喉に流し込む。もう当分、名前と二人で飲むのはよそうと心に誓いながら。よかったな、名前。お前、愛されてるぞ。だいぶ歪んでるけどな。最後の唐揚げを口にしながら、ここにはいない名前に合掌した。どーぞ、オシアワセニ。


まほろばは苦く甘く

200605