「なー、」
「んー?」
「昨日、五条先生となにしてたの?」
「え?」
突然の言葉に、ページを捲る一瞬手が止まってしまった。そんなわたしに気付いているのかいないのか、悠仁はすり、とわたしの首元にすり寄ってくる。お腹に回された悠仁の手が、ぎゅっとわたしを抱きしめた。悠仁と触れ合っている背中は暖かくて心地よいのに、心臓はどくどくと嫌な音を立てて走っている。胸のあたりに、じわりと冷気が広がった。別に、やましいことなど一切していない。最近、術式を組み合わせた体術の練習をしていて、それを五条先生が見てくれただけだった。本当に、ただそれだけだ。だから、そう言えばいい。なにも隠さず、ありのままを伝えればいいはずなのに、わたしの口は、まるで呪いが張り付いているかのように、うまく動かなくなってしまった。舌の根が痺れたように、じくじくと熱を持っている。意を決して、重い口を開いたけれど、そこから音が飛び出る前に悠二が動いた。
わたしのお腹の前で組まれていた手が、するりと解かれる。左手はそのまま、ゆるりと下腹部を撫でる。探るようなその手つきに、ぴくんと身体が跳ねた。それを押さえ込むように右手が這い上がってくる。臍を通って、鳩尾へ、胸の間、心臓の上を這って、大きな手のひらは鎖骨を覆った。そのまま――首を。手のひら全体で、包み込むように首を撫でられて、ひゅう、と変な息が唇から漏れた。絞められているわけじゃない。触れているだけなのに、どうしてだろう、呼吸が浅くなる。ねっとりと、まるで何かを上書きするように、悠仁の手のひらが首を撫でる。ゆるりと伸ばされた親指が、顎をとらえた。それ以外の指は喉に触れたまま、親指だけがするすると肌を滑って、そうして、唇へと辿り着く。唇は震えていた。なにも言わず、悠仁は親指で唇の輪郭をなぞる。中途半端に開いた唇の、左端から右端まで。悠仁の指は大きくて、わたしの上唇も下唇も、余すところなく撫でてしまう。ねっとりとした触れ方が、夜のそれを彷彿とさせて、ふつふつと鳥肌が立つのがわかった。
「もしかして、答えらんねえこと、してた?」
「あ、し、してない、」
「ほんと?」
「本当、ただの、特訓、んっ」
くい、と曲げられた悠仁の親指が、先端だけ口内に侵入してくる。歯に触れた指先は、すりすりとそこを確かめるように優しく撫でた。舌の先端が悠仁の指に触れてしまい、反射的に引っ込めてしまいたくなるのを必死で堪えた。それに気付いたのか、悠仁が満足そうに吐息をこぼした。耳にぶつかったそれがくすぐったくて、ぞくぞくしてしまう。さらに侵入してきた指先が、ぐに、と舌を押し撫でた。ぞわり、腰に広がる奇妙な感覚。
「んん、ゆう、じ、」
「なんで先生? いっつも禪院先輩に見てもらってんじゃん」
「あ、術式、使ってる、から、んぅ」
「あー、じゃあ、ほんと? ほんとに何もない?」
こくこくと頷くと、一瞬動きを止めた悠仁が、はぁーと大きくため息を吐き出した。彼の纏っていた重苦しい空気が、雲散霧消する。わたしの肩に乗っていた重みも。もー、浮気かと思ってびびったじゃん。悠仁の明るい声。わたしも大きく息を吐き出したかったけれど、彼の親指が未だ舌の上に乗っているせいで躊躇してしまう。悠仁が左手でぎゅっとわたしを抱きしめた。
「俺、心配性だって言ったじゃん。おどかすなよ」
「だって、悠仁が勝手に、んぐ」
「しかも相手、五条先生だし」
「んっ、ゆーじ、ゆび、」
「でも無理、センセーにも渡したくない、お前のこと」
ぬるり、舌を好きなだけ弄んでいた指がやっと出て行ったと思ったら、顎を掴まれてぐいと横を向かされた。目の前いっぱいに悠仁の顔が広がって、唇に触れた熱に慌てて目蓋を下ろす。悠仁の熱い湿った唇が、ちゅ、ちゅ、と何度もわたしに吸い付いてきて、それだけで頬が熱くなって頭がくらくらする。ぬぷ、と侵入してきた舌には、やっぱり反射的に舌を引っ込めてしまった。ん、と小さく不満げな声を漏らした悠仁が、すぐさまそれを絡めとった。ずりずりと擦り付けられて、苦しくて、気持ち良くて、教えられた通り、応えるように必死に舌を絡ませる。悠二の左手が身体を這う。熱い。どこもかしこも。燃えてしまいそうだ。やっと離れた唇に、薄目を開けて荒い呼吸を整える。熱を孕んだ悠仁の瞳が、わたしをじっと見つめていた。ぐ、と体重をかけられ、あっ、と思った時にはもう、ソファに押し倒されていた。手にしていた文庫本はいつの間にかテーブルの上に置かれている。するり、と悠二の手が、お腹から服の中へと侵入してくる。ぞくり、駆け抜けたそれを振り払うように彼の手首を掴んだ。
「ま、待って、悠仁、」
「だめ?」
「だって、昨日も、」
「だめ?」
「うう、」
そんな瞳で見つめられて、だめって言えるはずがない。言葉に詰まったわたしに、悠仁はにこりと笑いかける。ずるい。そんな優しくて、とろけてしまいそうなほどの表情、わかってやってるとしたらとんだ策士だ。でも、毎回それに絆されちゃうわたしは、もう手遅れなのかもしれない。満足そうな悠仁が覆いかぶさってきたので、いいよ、の代わりに目蓋を下ろした。優しく触れてくる唇からは、さっきまでの重く仄暗い空気は感じられない。どちらが本当の悠仁なんだろう。ふと抱いた疑問は、彼が再び手を動かし始めたことですぐに掻き消えてしまう。答えを出してはいけないと、本能が叫んでいるみたいだった。
「ゆうじ、」
「ん?」
「好き」
「……俺も」
囁くように愛を紡ぐ。どちらでもいい。この気持ちだけは、疑いようもない、本物なのだから。
201117