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「オマエ、好きだろ――傑のこと」

 ばっと顔をあげた彼女の瞳が、こぼれ落ちてしまいそうなほど見開かれる。すぐさま視線は逸らされてたけれど、髪から覗く耳はこれでもかというくらい真っ赤だ。その光景に、胃から苦いものが迫り上がってきて唇を噛んだ。あーくそ、オマエ、ほんと嘘つくの下手だよな。昔から。餓鬼のころ、二人で迷子になった時のことを思い出す。泣き虫で負けず嫌いなオマエは、転んで足を捻ったくせに「まだ歩ける」だの「痛くない」だの頑なに言い張ってたよな。結局、一歩も動けなくなったオマエを負ぶって、俺は家まで歩き続ける羽目になったんだけど。あの時から、俺たちの関係はなんにも変わっちゃいなかった。見えている部分は、これっぽっちも。

「なあ、名前、」
「好きじゃない」

 名前を呼ぶ前に、冷たい否定が俺の言葉を遮った。表情は窺えない。好きじゃない、か。どの面下げてそんなこと言えんだよ。ふつふつと腹から湧き上がってきたのは怒りにも近い感情だった。なあ、オマエ、自分がどんな表情であいつのこと見つめてんのか、本当に知らねえのかよ。あんな、切なそうに、熱の籠もった瞳で、いっつもアイツの後ろ姿を見つめてるくせに、好きじゃない? 冗談じゃねえよ。

「好きなんだろ」
「好きじゃない」
「嘘だな」
「好きじゃない」
「おい、」
「悟には関係ないじゃん!」
「は?」

 思った以上に冷ややかな声に、俺の方がどきりとしてしまった。関係ない? んなわけねぇだろ。すぐにそう言えたらよかったのに、ぐっと言葉を飲み込んでしまう。気まずそうに上目遣いで俺を窺うコイツから、今度は俺が視線を逸らす。教室には俺とコイツ以外は誰もいない。コイツの机には宿題が広がっていて、俺は硝子の机に腰掛けてそれを見てやりながらパックジュースを飲んでいた。硝子は放課後になる前に教室を飛び出して行った。なんでも、怪我人が高専の救護室に運び込まれたらしい。反転術式が使えるやつは大変だな。そして、その隣。今日一日空っぽの、傑の席。なんでも東北の方にまで呪霊を祓いに行ったらしい。だから、こんな話ができる。寮と違って、教室にはクラスの生徒しか足を踏み入れない。邪魔されずに話をするにはうってつけの場所だった。俺と、コイツと、二人きりになれる数少ない場所。

「関係、なくはねーだろ」
「そう、だね」

 婚約者、だもんね。苦しそうな声に、心臓が締め付けられたかのように軋んだ。呪術界ではよくある話だった。コイツの両親も、ある意味では“よくある”両親なのかもしれなかった。こいつの家系はもともと名家の端くれだったが、しかし近年はなかなか強い呪力を持った子供が生まれなかった。名前だけ当主となったコイツの父親も、もう隠居した祖父母たちも、二級止まりの呪術師だ。コイツの兄も。ところが、コイツだけは生まれ持った力が突出していた。俺程ではないにしろ、幼少期からかなりの呪力を持っていたコイツは、当然、家族からの期待を一身に背負うこととなる。そうして、やっと強い呪術師を手に入れた家族は、今度はそれを根絶やしにさせまいと躍起になった。白羽の矢が立ったのが、隣に住んでいた俺だった。簡単な話だ。なにも知らない餓鬼同士、俺たちを遊ばせて、自然な流れで婚約に持っていく。「悟くんと結婚したら、ずっと一緒に遊べるのよ?」ね? と笑ったおばさんたちの歪んだ顔を、俺は未だに覚えているけれど。コイツが俺の方を見て、へらりと「じゃあ、わたし、さとるとけっこんする!」と言ったものだから、あの時全ては決まってしまったのだ。あの一言が、今もコイツを縛り付けている。それは正しく呪いだった。コイツの父親が、母親が、祖父母が、コイツ自身が、コイツに掛けた、強力な呪い。

「でも、本当に、好きじゃない、から」
「……あっそ」

 それは、俺ではなくて自分自身に言い聞かせるような声音だった。好きじゃない。傑を好きじゃない。そうやって口にするたびに、よりその感情が重く苦しいものになっていくことなど、オマエは分かってる筈だろ。言葉は呪いだ。きっとこれまで何度もオマエは唱えてきたんだろうな。俺の知らない場所で、傑なんか好きじゃないと、何度も、何度も。そうやってさ、アイツのことばっかり考えて、本当に近くにいる俺のことなんか、オマエ、いっつも見えてないよな。俺はオマエばっか見てるのに。だから、どんなことを口にすれば、オマエが傷つくかなんて、考えなくてもわかるよ、俺。

「ま、よかったんじゃねーの?」
「え?」
「傑は硝子が好きだしな」

 小さく息を飲む音が、静かな教室に響いた。一瞬の沈黙。肩にのし掛かる重苦しい空気と、口内に広がるじわりとした苦味。コイツの表情は窺えないけれど、シャーペンを持っている右手は、微かに震えていた。なけなしの良心が痛んだけれど、それにも気づかないふりをする。オマエさ、ずっとずっと、勘違いしてるだろ。傑が硝子を好きだって。それ、見当違いもいいとこだから。言わねえけど。絶対に。傑が、本当はオマエのことが好きなんて、絶対、死んでも、オマエには教えてやんねえ。

「……知ってる」
「あ、そ」

 止まっていた手が再び動き出す。白いノートに生まれていく数式を、ジュースを飲みながら漠然と眺める。数学みたいに、答えがひとつだったらよかったのだろうか。例えばオマエと傑が幼馴染だったら結末は変わっていたかもしれないし、俺が婚約を破棄してやったらなにもかもがうまくいくのかもしれなかった。コイツの手が止まる。悩んでいるそのつむじに向けて一つ公式を唱えてやる。シャーペンがまた踊り出す。「傑は硝子が好きだしな」自分で放った言葉が、喉の奥に刺さって抜けなかった。きっとコイツの心臓にも、同じように刺さっているに違いない。そうやって、一つ一つ、コイツから選択肢を奪っていく。オマエがどこにも行かないように、手の届く位置に置いておくために。オマエを解放できたらよかったのかな。解放する気もないくせに、そんなことを考える。「わたし、さとるとけっこんする!」満面の笑みを向けられた瞬間、俺の心臓がぎゅっと掴まれたみたいに痛んだこと、オマエは一生知らないままだろうな。あの一言が、今も俺を縛り付けている。それは正しく呪いだった。ごめんな、の代わりに、俯いたコイツの頭を撫でてやる。ごめんな、手放してやれなくて。オマエが他の男を追うなんて、そんなの、俺、許せないよ。ごめんな。

「……なあ、」
「なに?」
「…………なんでもねー」

 なあ、俺のこと好き? 喉まで出かかった声を、オレンジジュースで飲み下した。ふぅん。興味なさそうに呟くその声すら、涙が出るほど愛おしいのに。なあ、俺、オマエが好きだよ。言葉にできないその想いを視線に乗せる。ノート向かうオマエを、じっと見つめる。好きだ、好きだよ、好き、好きなんだ、気付け、気付くな、気付くな、気付いてくれ。じわり、と目蓋が熱くなって、誤魔化すようにジュースを啜った。なあ、俺、オマエが好きだよ。声はいつだって届かない。


201110