「えっ、夏油さまってあの“ゴジョウサトル”とクラスメイトだったんですかぁ?」
素っ頓狂な声に夏油は思わず笑った。少女は目をまん丸に見開いて彼を見つめている。その瞳の色が、夏油はお気に入りだった。それから、少女のきめ細かな肌も。夏油の指先が頬に触れて、そのまま少女を包み込むように撫でる。少女は気持ちよさそうにその大きな手のひらに擦り寄った。甘える子猫のようなその仕草も、夏油のお気に入りだ。
「同じ釜の飯を食った親友、と言うところかな」
「え〜! ずるい! 羨ましい〜!!」
過去形にするか否か、一瞬迷った夏油に気付きもせず、少女は唇を尖らせた。桜色のそれを親指でふに、と押すと、すぐにそれが夏油の指をちゅうちゅうと吸い上げる。柔らかくて湿っているその感触は、まるで内臓に直接触れているようで、夏油は身体の奥から熱がむらむらと湧き出てくるのを感じ取った。苦笑を零す。どうしてか、少女は夏油の気を乗せるのがうまい。
「それは、どっちが?」
「学生時代の夏油さまを見れるゴジョウも羨ましいし、ゴジョウと一緒に居た夏油さまも羨ましい〜!」
「君が悟を知ってるとは思わなかったな」
「だってあのゴジョウですよぉ? いくら親族からハブにされてたってウワサくらいはきーてます」
少女の生い立ちはそれほど明るいものではない。呪術師の家系に生まれたものの、少女が持っていた術式は母親のものとも父親のものとも違っていた。嫁いだばかりの母親は、少女を生んだ後すぐに息を引き取った。四歳まで跡取りの一人として、蝶よ花よと大切に育てられた少女は、強い術式を持って生まれたにもかかわらず、親族から疎まれて過ごすこととなったのだ。天涯孤独な身の少女を、救ったのが夏油だった。少女の瞳を見た時、彼はどうしようもなく惹かれてしまったのだ。そして、強引に少女を身請けし、こうして囲っている。家族としてなのか、呪術師としてなのか、はたまた情婦としてなのか。夏油自身もよくわかっていない。少女もまた、どうだってよかった。地獄のような日々から救ってくれた夏油は少女にとって神に等しい存在だったし、夏油のためならば少女は簡単に自身の命を見限れた。
「悟に会いたいか?」
「え、会えるの? 会いたい! ツーショ撮って握手してもらう!」
「悟が好き?」
「うん、一回だけ顔見たことがあるの。綺麗な瞳だったなぁ。強い人、好きだし!」
「……もし、悟が、着いておいで、って言ったら、君はどうする?」
夏油にとっては言葉遊びの延長だった。否、もしかしたら、どこかで少女を試していたのかもしれない。ショックを受けて、行くわけない、と悲しそうに言われたかった。それか、子供のように頬を膨らませ、夏油さまから離れるわけないでしょ、と拗ねたように言われてもいい。どちらにせよ、夏油のアクションに対して、何らかの反応を示して欲しかったのだ。――何らかの反応、ではない。嫉妬したり、絶望したり、そう言った、夏油に対して好意を抱いている反応を、彼は無意識のうちに求めていたのだった。それを自覚したのは、少女の瞳が真っ直ぐに夏油を見つめたからだった。感情が窺えないほどに澄み切った瞳。一点の曇りもないそれが、夏油を見つめている。彼がひどく気に入っている、瞳だった。それが、今はざわざわと夏油の心情をさざめかせる。
「夏油さまは、どうして欲しい?」
質問を質問で返されて、一瞬夏油は返答に窮してしまう。どうして欲しいのだろうか。すげなく断って欲しいのか、恋する少女よろしく頬を染めて迷って欲しいのか。夏油自身にもわからなかった。夏油の唇は震えていた。どうしてだろう。恐れているものなどなにもないはずなのに、彼の喉は言葉を発することを拒むようにきゅうと締まった。唇が乾く。少女の瞳が夏油を見つめている。真っ直ぐに、逸らされることなく。その瞳が、恐ろしいと思ったのは、初めてだった。
「私が着いていけと言えば、君は行くのか?」
「うん。夏油さまが望むなら」
「抱かれてこいと言っても? 命を奪えと言っても?」
「うん。夏油さまが望むなら」
澄んだ瞳。夏油が好ましいと思った瞳。いつからだろう、その瞳にもっと熱を宿して欲しいと思ったのは。いつからだろう、少女の夏油へ向ける眼差しが物足りないと感じるようになったのは。少女は夏油を愛していた。他の誰よりも、なによりも、愛し敬っていた。それは神への崇拝となんら変わりなかった。愛は呪いだった。夏油は気付いた。己が求めるものは、この先一生、少女から与えられることはないと。
「わたしがゴジョウ殺せるとは思えないけど、夏油さまが望むなら、」
「いや、冗談だよ」
「抱かれてこいって言うのも?」
「ああ。君を抱くのは私の特権だからね」
「なんだ、もう、びっくりさせないで」
むう、と頬を膨らませた少女に覆いかぶさった夏油が、剥き出しの鎖骨に吸い付くようにキスをした。シーツが肌を滑り床に落ちる。白くてきめ細かい肌。夏油はお気に入りのそれを、やさしく、包み込むように愛撫する。少女の吐息に熱が篭る。澄み切った瞳にも。唐突に、夏油は理解した。年端もいかない少女を手籠にして、すべて暴いたのは、決して肉欲を満たすためだけではなかった。その瞳に熱が篭る、この瞬間が、夏油は好きだったのだ。いつだって、熱をもった瞳で見つめられていたいのだと、気付いてしまったけれど。それはもう、叶わぬ夢だった。
「愛は、理解とは程遠いな」
呟きを掻き消すように、夏油は少女へと口付けた。
201102