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「悠一ってさ、私と別れる未来も見えてるの?」

 机の上に無造作に置かれていたチョコレートを口にしながら、何の気なしにそう問うた。舌の上でとろりと溶け出すそれは酷く甘くて、成る程、桐絵が好きそうな味である。そういえば、土曜日の情報番組で人気店として取り上げられていた、ような。確かに美味しい。長蛇の列に加わってまで食べたいとは思わないけれど。タピオカ然り、チョコレート然り。女子高生のあのガッツはもう私には無いなぁ、なんて思いながら目の前の悠一を見つめると、珈琲が並々注がれたマグカップを手にこちらを凝視していた。あれ、どしたの?

「あ、べつに別れたいとかそういうんじゃなくて」
「あー、うん、わかった。そうだよな」

 なにか見えたのか、はたまた見えているものに変わりはなかったのか、何事も無かったかの様に悠一は珈琲に口をつける。今日は珍しくブラックの気分らしい。そういえば、昨日の夜はずいぶんと遅くに帰ってきた様だから、もしかしたらまだ眠いのかもしれない。今日は陽太郎と修くんたちは本部まで遊びに出かけていて(なんでも、模擬戦を申し込まれたらしい)、桐絵たちは防衛任務中だ。夕方に彼女たちと入れ替わりになるまでは時間があるし、ゆっくり休んだらいいのに。そんな言葉はミルクたっぷりの珈琲で飲み込んだ。久々の二人きりの時間だということに気が付かないほど、鈍感でもない。

「うーん、ないわけじゃないけど。確率は相当低いよ。今のところ」
「そうなんだ」
「まあ、どんな確率もゼロじゃないってこと。見えないだけで、あり得ないわけじゃない」
「ふーん」
「たまに読み逃したりもするし」
「あ、確かに」

 そう言って、悠一はまた珈琲を口にした。そっかぁ。私もマグカップを傾ける。あり得ないわけじゃない、という言葉に悲しめばいいのか、確率が相当低い、という言葉に喜べばいいのか。多分後者、かな。悠一はロマンチストな部分もあるけれど、サイドエフェクトの影響なのか酷いリアリストだ。彼は私に嘘はつかないし、私も彼を疑わない。ただ、隠し事が他の恋人たちよりも多くあるだけで。でも、そうか、確率はゼロじゃないのか。窓の外を呆と眺める悠一の横顔を見つめながら、相当確率が低いという自分たちの別れを想像してみる。私に、別に好きな人ができる。うーん、あり得なくはないけれど、あまり想像できないかも。悠一に、私以外の恋人ができる。あ、意外とショックが大きい、な。そういえば悠一は私と付き合う前はいろんな女の子のお尻を触っていたし、浮気しない確率もそれこそゼロではないのかも。でも一番確率が高いのは、私ではない何か、例えば、ボーダーとか、たくさんの人の命とか、そういう“世界”を選ぶ未来だ。きっと、きっと、いつか悠一は私を置いていってしまうだろう。そして、残された私のこの感情は、海に沈んでいくように、ゆっくりと死んでいくのだ。

「振られるのは私ね」
「え?」

 思わず漏れた声に、驚いた悠一がこちらを向いた。青い瞳が私を射抜く。

「浮気しても言わないでよね」
「いや、それはしないけど」
「どうかな。いろんな人のお尻は気になってるみたいだし?」
「お前と付き合ってからはしてないよ」
「どうだか」
「信用ないなぁ、おれ」

 苦笑した悠一は、きっと、私が言いたいことをなんとなく察しているに違いない。「どこにも行かないで」本音は呑み込んだ。それを口にしても、きっと悠一は寂しそうに笑うだけだ。その未来も見えているに違いない。私達は、無邪気に未来を語るには共に居すぎたし、背負っているものが多すぎた。

「あのさ、」

 飲みかけの珈琲をテーブルに置いた悠一が、正面から私を見つめる。伸びてきた手のひらが、マグカップごと私の手を包み込んだ。私と違って、厚くて、がっしりとして、あたたかい手のひら。たくさん傷ついて、たくさんのものを救って、その何倍もある未来を切り捨ててきた手のひら。それを全て背負っている、手のひら。それが、私の指先をまもるように包み込んでくれて。ああ、指先、震えてないかな、なんて。

「おれは、お前とこうやって手を繋いだり、抱きしめあったり、キスしたり、そうして、“今”を重ねていきたいと思ってる」
「ゆう、」
「たくさんの分岐した未来があって、その中には、おれが死んだり、お前を失ったり、ずっと一緒に居られない未来もあるけど、でも、おれは、お前とは、今を大切にしていきたいと思ってるよ」

 息を飲む。私を見つめたまま、悠一は満足そうに笑った。そうして、ゆっくりと手のひらを私から離した。今まで包み込んでいた温もり、去っていくそれを、とっさに掴まえる。「え、」気の抜けたような悠一の声。私よりも節くれだった、優しいそれをしっかりとつかむ。そのまま、指先を絡めた。短く切りそろえられた爪。それすら愛おしくて、つうと指先でなぞると、ぴくりと動いた悠一が困惑したように私の名前を呼んだ。私も、同じように彼の名前を呼んで。それがなんだかくすぐったくて、自然と笑みが溢れた。

「仕方がないから、信じてあげる」
「え?」
「浮気、しないんでしょ」

 唇を尖らせながら、彼の青い瞳を見つめる。見開かれたそれは、すぐに嬉しそうに細められて。ああ、防衛任務の時の締まった顔も、ランク戦の時の楽しそうな顔も、寝台の上のぎらぎらとした顔も、どんな顔でも好きだけど、私が一番好きな悠一の表情は、きっと。 

「あのさ、」

 少し顔を赤くした悠一が、きゅっと指先に力を込める。やさしく垂れ下がった眼に、どうしてか涙が出そうだった。ああ、私、貴方のそういうところがね、

「たとえどんな未来が訪れても、」

 おれはお前がずっと好きだよ。
 優しい声。私もよ、の言葉を呑み込んで。寄せられた唇に瞼を閉じた。


やさしい花束

191012