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「ああ、最悪、」

 やらかした。吐き捨てた呟きは生暖かい夜風にさらわれていく。神羅ビルのスカイフロアから見下ろす夜景は百万ギル、だなんてよく言われているけれど、屋外に設置された非常階段ももれなくその値段が付けられるだろう。夜を知らない街、ミッドガル。煌々と輝く景色は、強風を差し置いても一見の価値はあるだろう。そんなところで、こんな時間、ひとり突っ立っているのには馬鹿馬鹿しい理由があった。ただ逃げてきたのだ。オフィスから。定時はとっくに過ぎたけれど、タークスオフィスは日中と変わらない忙しさだった。近頃は反神羅組織の活動が活発で、みんなろくな休みを取れていない。特に今日は社長が狙われて、なんて、ああ、それも言い訳か。はあ、とため息をついて、缶コーヒーのプルタブを開ける。ごくりと一口飲んで、あまりの苦さに顔を歪めた。些細なミスだった。命とりになるような重大なものでもなく、「そのままでもいいんじゃない?」なんて言われてしまいそうな、小さなもの。でも、今日のミスはそれが初めてではなかった。小さなミスの繰り返し。私らしくないそれに、苛立ちが募っていくのが自分でもわかった。感情が爆発する前に、なんとか口実を作ってオフィスを抜け出したのだ。誰にもバレないように。気付かれてしまっては、彼らのことだ、きっと気を遣ってくれるに違いない。それは嫌だった。いつだって私は対等でいたい。だから、ここに逃げてきたというのに。ああ、どうしていつも、貴方は。

「ルードもサボり?」

 振り向くと、気まずそうなルードと目があった。へらりと笑って、すぐに視線を夜景へと戻す。バレていない自信はあったのに。仕事中の態度も、オフィスを抜け出す時も、いつもと変わりない私のはずだったのに、どうしていつも、彼には筒抜けになってしまうんだろう。

「名前、」
「ごめんね、ひとりになりたいの」

 本心で、そして、嘘だった。一人になりたいのは確かだった。でも、独りにはなりたくなかった。ルードの温もりを求めているのも確かだった。でも、彼に呆れられるのが怖かった。彼が好きだから、いつだって、隣を歩ける自分でいたかった。だから、やんわりと拒絶したのだけど。私の言葉なんかまるで無視して、ルードは私の隣に並んだ。視線は交わらない。服越しのお互いの体温を感じながら、静かに街を見下ろす私たち。あの灯りひとつひとつに人が居て、家庭があって、人間の営みがあるなんて、なんだか信じられなかった。フェンスに肘を乗せて、両手で缶コーヒーを握りしめる。とぷん。ほとんど飲んでいないコーヒーが、缶の中で微かに揺れた。

「体調が、悪いんだろう」

 それは問いかけではなく、確信を持った響きだった。体調。そうか、私、体調が悪いのか。そういえば、月のものが来ていない。それから、最近あまり睡眠時間を取れていなかった。食欲も暑いせいか、そんなにないかも。そうか、私、体調が悪かったんだ。ルードの言葉がすとんと私の中に落ちてくる。こんな仕事をしているからか、体調よりももっと直接的な、怪我だとか、そういったものに目が向くようになってしまっていた。そっか、とぽつりと呟いてから、ふふ、と自然と笑いがこみ上げる。私が気付かないような、私自信のこと、ルードは、気づいてくれるんだ。

「笑うところか?」
「ごめん、嬉しくて」

 ありがとう。片眉を釣り上げたルードにそう述べると、納得したようなしていないような、微妙なニュアンスのため息が返ってきた。伸ばされた手、革手袋に包まれたそれが、するりと私の握っていた缶コーヒーを奪っていく。あ、という声が漏れたけれど、ルードは全く意に介さずにそれを煽った。ごくり、ルードがコーヒーを飲むたびに、彼のごつごつとした喉仏が上下する。それがいやに官能的に見えて、さっと視線を逸らした。うう、私、やっぱりすごく疲れてるかも。

「お前に必要なのは、これじゃなくて」

 空になった缶を振ったルードの顔が、ずいと迫って、そうして唇に触れる、熱。ふわりとコーヒーの香りを纏ったそれは、柔らかく私の唇を食んで、すぐに離れていった。突然のことに、じわりと頬が熱くなる。ここが非常階段でよかった。きっと私の顔は真っ赤になっているはずだ。

「十分な休息と、それから、俺、だな」
「っ、で、も、」
「主任に許可は取ってある。帰るぞ、名前」

 いつのまに。するりと絡まる指先に抵抗する術があるなら教えて欲しい。ビルの入り口に向かって一歩踏み出したルードが、「ああ、」となにか思い出したように立ち止まった。そのまま私を見下ろす瞳は、ぎらりと妖しく光っていて。絡めとられた手はぐいと引かれて、指先をかぷりと甘噛みされた。

「俺に必要なものは……もうわかるな?」

 ずるい、そんなの、頷くしかないじゃない。


200905